6.楽しいことには全力で
半年ぶりに家族が集った楽しい夜。メルは半年ぶりに会った未来の義姉に『良いもの』を勧めていた。
「――いかがかしら?」
「果実のようで、それでいてわずかに感じる苦味が素晴らしいです」
「お、いいねぇ。じゃあこれはどうだい?」
「こちらは……さらに純度が高いものですね。癖はありますが嫌いではありません」
度数の高い酒精をさらりと飲み干した少女に、ティエンがよしよしと満足そうに頷いた。
そしてまた新たな瓶が卓に載せられ、きゅぽ、と音を立てて封を開く。
「これは穀物が原料のお酒でね。熟成させるのに随分と時間がかかるんだけど、その分良い風味が出るんだ。ちなみに出身はニコと同じところだよ」
「ほぉ、同郷でしたか」
感心したような声を漏らしながら、ニコは琥珀色の液体を口に含んだ。
顔色一つ変わらないが、それは始めに注いだものより倍以上の濃度がある。
「おい、いい加減にしろよ」
「――あっ、何をするのです」
「初めての癖に水みたいに飲むな。どうなるか分からないんだから」
とうとう背凭れが過保護を発揮して、弟子から器を取り上げた。
酒の匂いのせいだろう、いつもの自信過剰な笑みはなく、眉間に皺が寄っている。
「むぅ……酔ってなどいませんのに。今はむしろ、一口毎に頭が冴え渡るような心地なのですよ?」
「……それは酔ってるだろ……」
呻くように呟いて、義兄は卓に置いた器の上で円を描いた。
飴色の軌跡がすうっと伸びて、印を築いたその瞬間。
「! 私の故郷が凍りました……っ」
「どこが故郷だ、どこが」
冷たい師匠の突っ込みに、ニコはふるふると震えながら器を包み込んだ。
傾けてみても、その中身が揺らぐことはない。豊かな香りすら、凍土の中に閉じ込められてしまっている。
「……、何ゆえこのような仕打ちを受けねばならないのでしょう」
「そうですわねぇ……」
そんなもの、愛弟子が呑み過ぎで心配だからに決まっている。
だがそんな普通のことを教えても、メルは全くもって楽しくない。
「やはり、お義兄様が寂しがり屋だから、かしら」
「……寂しがり」
「ええ」
瞬くニコに頷いて、メルは少し困ったような笑みを作った。
その背後では、訳の分からないことを、と睨んでくる男がいるのだが、さっくり無視だ。
(まぁ、嘘ではありませんしね)
血の繋がりのある者は皆、彼を置いていってしまった。
結果義兄は人を寄せ付けず、内側に入るのが難しくなり――入れたものは出られなくなってしまったのだ。
「家族が楽しむお酒の輪には入れずに、弟子は知らない故郷を懐かしむ。子どもみたいですけれど、置いていかれて寂しくなってしまったのですわ」
仕方ないと言わんばかりに語ってやれば、いよいよ義兄の額に青筋が立った。
一方、それが抱えた弟子はといえば、暫しの沈黙の後、温めていたグラスを机の上にそっと置く。
「あら、故郷の味はよろしいの?」
「はい……」
神妙な面持ちで頷いて、ニコはそっと目を伏せた。
そしてぽすりと『椅子』へ凭れ、自身を支えた部分にすり、と頭を擦り付ける。
(……猫だね)
(猫ですわ……)
それはまるで、大事なものに自分の匂いでもつけるような仕草であった。
見れば義兄は顔を背け、表情を隠している。
メルの発言に腹を立ててはみたものの、弟子のせいで怒るに怒れなくなっているのだ。
愉快なことこの上ない。
にやにや――ではなく、にこにことしていると、不意に向かいからメル様、と声が掛かった。
「どうしたの?」
「あの、私――やはり男になろうと思います」
隣から、は?という声が聞こえた。
「まぁ、どうしてかしら」
「私が男であれば、お師匠様が剥こうが触ろうが、周りは気にしないと思うのです。私自身もセクハラに狼狽える必要はなくなります」
「……なるほど」
言わんとすることは良く分かった。
ただ男を剥けば、それはそれで疑惑を生むと思うのだが。
宣言から突っ込みどころは山ほどあるが、面白いので乗ってみた。
「それで、どうやってなるんですの?」
「まずは見た目を整えるところからですね。なのでこれを短く切ってしまいます」
言って弟子が摘まんだそれは、義兄お気に入りの髪である。
「あと、はだけてもいやらしくないよう男物の服を着て、一人称も男らしく変えてみます」
自信ありげに当てた手の下では、可愛らしい膨らみが成長中だ。
まず間違いなく、その肢体が変わらなければ何をはだけさせてもいやらしい。
指摘したい気持ちをぐっと堪えて、メルはふんわりと微笑んだ。
「思いきりますわね」
「はい。僕より俺が良いと思うのですが」
「私は僕の方が好みですわ」
「ではそうします」
そう言って、人形のように愛らしい少女はこくりと首を縦に振った。
なんて楽し……可愛らしいのだろう。
これがゆくゆく姉になるなんて、想像するだけでも気分が上がる。
「ねぇ、ニコ。貴女は本当にお義兄様に忠実ね」
「勿論です。私にとってお師匠様は絶対なのです」
「……ふふ、そう。けれどそんなことを言っていると、逆に危険かもしれませんわよ?」
メルがちらりと忠告すれば、ニコは暫く黙考し――そして、カッと目を開いた。
「まさか、お師匠様は男性が好きな人だったのですか」
「……」
一拍の後、父がぶはっと吹き出した。
全くだ。
何故こうも、義兄を煽るのが上手いのだろう。
ある意味才能だと感心していると、向かいでかたりと音がした。見れば弟子をその場に残したまま、それが器用に椅子から立ち上がっていた。
「……ちょっと教え込むことがあるから行ってくるわ」
言うが早いか、義兄は性転換を目論む弟子を肩へと担いだ。
普段本とペン程度にしか持たない癖に、これだけは非常に手慣れている。
あまりの素早さに、荷物からはれ?と間の抜けた声が出るくらいだ。
「あらあら、行ってらっしゃいませ。どうぞごゆっくり」
沈没した父の代わりに、メルは笑顔で師弟を見送った。
これで責任を取るような事態になれば面白、いや喜ばしいのだが、まず九割方は無理だろう。
(せめて小指の先くらいには、進んで頂ければよいのですけど)
心の中で激励しつつ、メルはまた自身の器を傾けた。
――その甲斐あってだろうか。
翌朝、着衣の乱れを必死で整えつつ、義兄の部屋から飛び出していった娘がいたらしい。
優秀な使用人から報告を受けたメルは、うきうきとしながらその現場へと足を向けたのだった。
安定のいちゃつき具合でした。




