8.巻き込まれるのはもはや運命
時はほんの少し遡る。
機関の中庭を、一人の女性が颯爽と歩いていた。
長い黒髪はすっきりと束ねられ、緑の瞳は真っ直ぐ前を見据えている。
後輩女子から格好いいと憧れを集める攻勢魔法研究者、クレアである。
目的地である図書館に到着した彼女は、手にしていた本を返却し、新たな見識を求めて館内を巡り始めた。
攻勢魔法は、なるべく早く展開出来るよう手順が少なくかつ威力が強い方が好まれる。
だが現実、強くするには印に修飾を重ねるので、簡単で等級が低いというのは難しいのだ。
頭の中に作成しようとしている魔法を浮かべ、一つの書架の前に立つ。
そして背表紙の題名を眺めていた、その時だ。
「えっ!? まじっすか!」
書棚の向こうから大きな声が聞こえてきた。
それは少し前に入った司書のものだとすぐに分かる。
今のように賑やかなので、しばしば先輩の定規を食らっているのだが、そうそう個人の性格を矯正することなど出来ない。
しかも元気で明るく人懐っこいものだから、ほとんどの人間が大目に見てしまう。
クレアも、彼がもう少し私語を続けるようであれば注意するか、などとどちらが司書か分からないことを考えていた。
すると――。
「ふざけたことをしてくれるだろ。それでだな……」
聞き覚えのある凶悪な声音が耳に飛び込んできた。それは続けて何かを企むように小さくなる。
(……)
クレアには全くもって関係ないのだが、奴がろくでもないことをすると苦労する子が一人いた。
(何をやらかすつもりなのよ……)
気は重いが無視することも出来ず、書棚に身を隠しながら様子を窺う。
怪しげな会話に耳を澄ませ、ちらりと覗き見てみた――その瞬間。
「あっ、クレアさん!」
ヴィリオに存在を認知されてしまった。
止める間もなく呼ばれた名前に、フォルスが背後を振り返る。
(……怖)
奴がにやりと笑む様は、まるで獲物を見つけたかのようだ。
完全に逃げ道を奪われたクレアは、渋々陰から身を出して変人との会話を試みた。
「……何かろくでもないこと話してるでしょ」
「人聞きが悪いな、ただのお礼の話だよ」
「あんたから礼なんて言葉が出る時点で恐怖なのよ。またニコちゃん困らせるようなら殴るわよ」
クレアの一撃で変態がまともになるなら安いものだ。
早くも対話を投げ捨て物理に頼ろうとしていると、横からまぁまぁと宥める声が割って入った。
「クレアさん、フォルスさんのはニコちゃんのためを思ってのことなので」
「騙されないで。あの子のためなら何もしない事が一番よ。本当にろくなことしないんだから」
付き合いの浅い相手が利用されないように注釈すれば、問題の男はこれ見よがしに溜息を吐く。
「じゃあ、どんな気分になるか教えてくれよ」
「は――、っ!?」
そんな言葉と共に突然腕を引っ張られ、クレアの姿勢が大きく崩れる。
咄嗟に足を進めれば眼前に書棚が迫り、衝突を避けようと並ぶ背表紙に手をついた。
「何す――……」
すぐに振り返って声を上げかけたが、続く声が消失した。
近すぎる。
両腕で柵を作ったフォルスが、拳一つ分くらいの距離でクレアを見下ろしていた。
不本意にも萎縮し動けずにいると、上からふむ、という呟きが落ちてきた。
「……少し違うな。後ろからか?」
「どっちにしろ不愉快しか感じないですね!」
訳の分からない自問自答に能天気な声が被さって、クレアは瞬時にぶちりと切れた。
「――っ、それはこっちの台詞よ!!」
怒りに任せて瞬間小さな風を放てば、フォルスが脇に飛び退いた。
代わりにバサバサと本が落ちてきて、ヴィリオがあー!!と悲鳴を上げる。
「知らなかったわ……あんた、そんなに殴られたかったのね」
「違うって。放っておけとか言うから再現してやったんだろ。まぁ、怒るとは思ったが」
「当たり前でしょ!? いきなりあんな――……」
そう反論しかけ、不意に嫌なことに気がついた。
(…………、……まさか)
つい顔が引き攣って、それを認めたフォルスが嫌な感じに微笑んだ。
「ここから帰ってきた時、やけに疲れていてな。聞けばイルニスが割り入るまで『抜け出せ』なかったと言うじゃないか。可哀想にと思って脱がせてみれば、背中には打ち身まで作ってきて」
辛かっただろうなぁと言いながら、少女の主人はヴィリオと共に散った本を拾い始めた。
クレアはそれを手伝う事もなく、立ち尽くす。
そして、額に手を当てた。
色々言いたいことはあったものの、とりあえず。
「なんで可哀想で脱がすのよ……」
「慰めたかったからかな?」
それをどちらの意味に取れというのか。
この際どい発言をする男の元で、彼女はよく無事でいるものだ。
「クレアさん、どうしたんですか?」
よいしょと最後の一冊を棚に収め、ヴィリオが首を傾げた。
「あなたは何とも思わないわけ……?」
「俺ですか? 大丈夫です! 俺、フォルスさんのことは頼りにしてるんで!」
(……汚染されてるわ……)
犬のように応えた青年に頭痛がした。
何がどうなったか知らないが、ヴィリオはとっくに手遅れだったようだ。
「あっ、そんな顔しないで下さいよー。お礼の方も、フォルスさんの言う通りちょっとびっくりしてちょっと困る程度だったんですよ」
ほら安心安心、と不安しかないことまで言ってくれる。
「……悪いけど、私には変人の言う『ちょっと』なんて分からないから」
「そうか? 本当に大したことはないんだが……そこまで聞きたいなら仕方ないな」
そう言って、フォルスは凶悪な笑顔で『お礼』の相手と内容についてクレアに語った。
思わず、唸る。
反対など出来はしない。
もしそいつがそれで何かを起こしても、全ては自業自得だと言われるだろう。
(……犯人、安らかに眠れますように)
クレアにはもはや、そう祈るしか出来なかった。
お越し頂きありがとうございます(´`*)
師匠が種を撒き終えたところで、次回から暫し機関を離れます。
数話かけてクーデレにゃんことご主人様のお泊まりデート……をお送りする予定ですっ。




