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堕ちる  作者: 熊と塩
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第十五幕:過去

「どうして俺の事を知っているんだ」

 開口一番、佐上は朱美に対し、そう尋ねた。

 もう佐上は現れないものと朱美は思い込んでいたし、事実、翌朝は店にやって来なかった。その方が良いのだと朱美は考えていた。長い夢、悪い夢だったと思う事にした。過去の憧れが、心の疲れに乗じて映し出した幻影だったのだ。そう思う事にした。そう思いたかった。

 しかし幻は再び姿を現す。朱美が仕事を終え、徒歩で家路についたところ、その道程で待ち伏せていたのである。ボンネットに腰掛けていた佐上は、朱美を見付けるなり歩み寄り、その二の腕を鷲掴みにした。そして偽りの無い佐上一郎という男の言葉を朱美に投げ付けたのである。

「俺は君を知らない。けど君は知っているな? どうして知っている、何処まで知っている?」

 佐上は真剣な顔で朱美に詰め寄った。朱美は完全に気圧されたが、

「ま、待って! ここじゃ人目が……」

「そうだな……車で良いか?」

 朱美は佐上に従い、車に乗り込んだ。

 昨晩と同様に、車中に佐上と二人きりという状況。しかし朱美は不思議と冷静でいられた。昨日は無理矢理に事を進めようとした佐上だが、今現在運転席に居るのは、昔から変わりのない、女嫌いの佐上一郎だと感じたからだ。

 佐上は一息吐いて、気持ちを落ち着けてから言った。

「……教えてくれ。何処かで会った事が?」

 朱美は頭を振った。

「会ってない? なら、どうして……」

「佐上君は知らなくて当然。私が一方的に貴方を知ってるだけ」

「……解らない」

 佐上は舌打ちした。

「佐上君、高校生の頃を憶えてる?」

「いや」

 この時点で、佐上にはおよその予想がついた。

「そう……。私は、良く憶えてる」

 乙女だった頃の自分を思い返して、朱美はくすりと笑った。

 高校の頃、朱美と佐上は同一の高校に通っていた。その頃の佐上は、その名を知らぬ者が居ないほど、あまりに目を引く存在だった。

 「王子様」という形容が相応しい男だった。容姿端麗にして眉目秀麗。更に文武両道で成績は常にトップクラス、スポーツも万能。その上、さる大企業の社長子息。これほどの要素が揃いも揃った佐上を、誰もが羨み、誰もが憧れた。特に女生徒などは、こぞって佐上の気を引こうとした。佐上の一挙手一投足に、皆黄色い声を上げた。少女漫画のような、劇的な恋物語を求めた。

 朱美はそういった連中とは一線を画していた。いや、そのつもりだった。全く興味がない振りをしていただけで、その実、佐上に恋をする他の女子らとなんら変わりなかった。ただ朱美の場合、その性格から佐上と接触を図る事が出来ず、ただ遠くから見ているだけで満足だった。

 しかし、それだけでは佐上を知っていることにはならない。佐上が表面を取り繕って生きているのは、今に始まった事ではないからだ。群がる連中は、佐上にとっては落ちた飴玉に集る蟻のようにしか見えていなかった。かと言って、罵声を浴びせて振り払うという事も出来なかった。「佐上製薬社長子息」という肩書が、佐上を束縛していた所為である。家や父親の立ち上げた会社、将来与えられるであろう社長の座など、佐上は守りたいとも思わなかったが、そういった肩書は最大限利用した方が面倒が少なくて済む。同年代の男子は皆自由に憧れたが、佐上は寧ろその逆だった。自由はいつか求めるまでもなく与えられる。自由によって弊害的な面倒が増えるのであれば、いっそ自由など要らない。そういう考えだった。だから佐上は、群がる虫けらどもを払わず、かといって相手にもせず、ただ恵まれた美少年であり続けた。

「それでも私は、佐上君が酷い人だって解った」

 ある日、教室清掃でごみ箱の交換を任された朱美は、前任者の怠慢で破裂しかけたごみ袋をごみ置場まで運んだ。目一杯に膨らんだビニール袋の口を閉じるのは難しく、しかも非力な朱美には不可能だった。そこでごみを一部移し替える事にした。丁度、そこにまだ余裕のある袋があったから、朱美はその縛られた口を解く。その時、袋の中身を見て手が止まった。中にはびっしりと便箋が詰まっていたのである。それも全てがそれぞれ違ったもので、しっかりと封までされている。どれもこれもが可愛らしい、少女が使う便箋だった。朱美はその内の一通を取り、宛名を見る。そこには、「佐上君へ」とあった。その一通だけではない。全部の手紙が佐上宛てだった。恋文に違いない。想いを認めた手紙が大量に、全校の女生徒分はあるのではと思うほどの数が、未開封のまま捨てられているのだった。

 それ以来、朱美の佐上を見る目が変わった。よく見ていると、佐上が浮かべる作り笑いの間には、確かに冷たく黒い何かがある。しっかりと見ていれば解りそうなものだが、きっと誰もが佐上の魅力に目を潰され、盲目になっているのだ。

 朱美は寧ろ、これを喜ばしく思った。佐上の誰も知らない一面を、朱美は知ってしまったのである。

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