#014
午後の仕事も終わり、退社の時間になった。
退社時間は午後5時半なので、待ち合わせまでは少し時間がある。確か指定の駅には喫茶店もあったことだし、そこで時間を潰すか、と独り言ちて退社する。
○○駅。私の住まいの隣の街にある駅だ。
数か月前に、新世代実体感空間アフロポリスというのがオープンしたが、その最寄駅だったはずだ。最近は通勤帰りにもその駅で、多くの乗客が降車していくのを見ている。
『FANTASY OF OWN LIFE』という、新型VR体験ができるアトラクションは人気があって、連日連夜多くの人が並んでいるという。
アフロポリスというところは、イコール『FOOL』であると位置づけられている。
私はゲームなどはやらない口なので、何がそんなにすごいのかは皆目見当がつかない。
だが、今日の呼び出しはこれに関係がしているような気がする。
でないと、わざわざ多くの人が降りるであろうこの駅の改札を、待ち合わせ場所に選ぶ理由がない。
そう、アプロポリスというか、『FOOL』のおかげで、今、この街は賑わっているのである。それこそ平日休日問わずだ。
『FOOL』はアメリカのさる企業が開発した、VR体験マシンにつけられた名称だ。今は少し落ち着いたが、オープン当初は新聞・雑誌・テレビ・ネットニュースに至るまで、ほとんどこの名前を聞かなかったことはない。今でも結構な頻度で見る。
しかし、中身に関しては結構ブラックボックスというか、とにかく情報がない。
体験者に聞いても微妙に一貫性がないのだ。
体験動画などはもちろん出ていない。テレビのレポートでもレポーターが少し体験した感想を言っただけで、映像などは公表されなかった。
神秘性があると気になる、そういう心理を付いているのだろうが、なかなかにセキュリティは厳しいようだ。
件の先生は私と一緒にこのアトラクションに行きたいのだろうか。
行きたいのなら一人で行けばいいのにね……。別にカップル限定っていう話も聞かないしね。
そろそろ待ち合わせの時間だ。と思い、改札前に向かうために席を立とうと思ったら、こちらに近づいてくる人がいる。
「伊集院翠さんですね。私は本日お約束をさせていただきました者の、代理の者です。」
代理?代理って何?本人じゃないんだ。
もしかして、リムジンでお迎えとかそんなんなの?いや、今どきリムジンは流行らないか。
「こちらで先生がお待ちです。」
と渡されたものは、病院の名前が入った封筒だった。
え?今から病院に来いと?
ここを待ち合わせにしたくせに意味がないことを。
回りくどいにもほどがあるよ、これ。
「いえ、中身をご確認ください。」
あ、そうか、封筒で行先を指定することはないか。ははは。ちょっとビックリな展開に私の方がテンパってしまったようだ。
封筒には一枚のチケットが入っていた。チケットの表記は……。
『FANTASY OF OWN LIFE 特別ご招待券(60分コース) 1/2』
ある意味想像通りなのだが、なぜ代理の人が持ってくるのだ?自分で誘えばいいじゃないかね。
やっぱり回りくどいわ。でも1/2って何?これは2枚セットなのかしら。
「先生はこのチケットを持って、アフロポリスの受付に来てほしいと伝言されました。先生は先に行っているそうです。」
誘っておいて、先に行っちゃうとか、何の罰ゲームですかね、これ。
無視して帰られたら、かなり恥ずかしいことになりかねませんけれど。
「色々とお気に召さない点はおありかと思いますが、なにとぞ、先生のご厚意を汲んでいただき、行っては貰えませんか。」
まぁ、せっかくこの駅で降りてしまったし、この際、話題のアトラクションを体験するのもいいか。ゲームに興味はないけれど、仮に会えなくても実害はないし。
その代り会えたら盛大に文句を言ってやる。んでもって、合コンはキャンセルだ!朱音と早苗には悪いが、ちょいと悪趣味が過ぎる。
そう思った私は、そのチケットの提供主に文句を言うため、代理の人に了解した旨を伝え、移動を始めた。少し怒っていたので、代理の人は恐縮していた。ごめんね、あなたは悪くないのよ。
駅から徒歩で5分ほどのところにその建物『アフロポリス』はあった。人の流れがそこに向いているので、迷うことはなかった。
しかし、受付の待ち時間は「160分」を示している。えー。今からそんなに待って何ができるの?
えーと、これは特別招待券になっているから……。とりあえず受付に出してみるか。
受付で先ほど受け取ったチケットを提示した。
受付嬢はチケットを見て、にこりと微笑むと
「お待ちしておりました。伊集院様ですね。お連れの方が先に中でお待ちしております。」
と確認してきた。
名前まで知られていた。招待券だからそういうものなのか。
係の女性に案内され通常の入り口とは、別の入り口から入る。ごめんね、並んでる人。
チケットのせいだからね。私をガン見するのはやめてくださいまし。
少し恐縮しながら、一緒に扉をくぐる。
少し通路を歩くととあるドアの前で、係の人が足を止める。
こちらでございます、とドアを開き、中に案内される。
何というか、窓のない閉鎖空間で、大きくない部屋だ。
少し大きめのリラックスチェアというのだろうか、一脚で何十万もするような一人用の椅子が置かれている。
座り心地がよさそうだから、一つほしいのよね。これ。
サイドテーブルには、頭がすっぽり入りそうな機械がある。これはテレビで見たな。ヘッドギアというやつだ。
仮想世界を体験するのに被るのだそうだ。
「こちらのヘッドギアをお付けになって、椅子にお座りください。しばらくしましたら、仮想世界の体験が始まります。仮想世界内でヘッドギアの音声案内が聞けます。その指示にしたがってくださいませ。」
と係の女性は説明する。
何の仮想世界の体験なのだろうか。さっぱりわからない。
「あの、何の体験なのですか?これは。」
と質問してみたが、それは始まってからのお楽しみですよ、と答える気がない返事をされた。
まぁ、命の危険があるわけではないから構わないのだが。
「受付で連れが待っていると聞いたのですが、その人はどちらに?」
「お隣の部屋で準備をしてお待ちです。仮想世界内で会える設定にしています。」
どこまでもふざけた人だ。名前も顔もわからないのに、いきなりこれか。
にしても、そういう設定が個別にできるんだ。体験者の話に一貫性がないのはこれが原因か。
つまり、仮想世界はその人の希望に合わせてできるものであって、何か固定のものがあるわけではない。しかし、それはそれですごいことなのではないだろうか。
まぁ、とにかく仮想世界だったら多少何をやっても許されそうだし、ふざけた招待者に、顔面パンチの1つや2つ入れておかないと気が済まないよね。少し気合を入れよう。
「わかりました。」
と、平静を装いながらヘッドギアを被る。
多分怖い顔をしていたのではないのかな。
「では、『FANTASY OF OWN LIFE』をスタートします。楽しんできてください!」
係の女性の声が聞こえたと同時に、私は意識を失った。
****************
意識を失ったような気がしていたが、次の瞬間には、視界が開けていた。
暗い……。いや、正確には薄暗い……。何が起きているのだろうか。
停電……じゃないな。
あれ?ここって……。私は自分の今いる場所を確認しようとした。
布団?いや、ベッド?
どうやら寝ているようだった。仮想世界なのに、このベッドのスプリングの心地よさとか、シーツの感触とか、掛かっている布団の気持ちよさとか、全部普段の身体のまま感じることができる。
ふと見ると薄暗い理由が、灯りと呼べるものが窓からの月光のみだからであることが分かった。窓は少し開いており、夜風が柔らかく部屋に入り込んでいる。窓のレースカーテンが靡いているのが分かる。すごく自然な感じだ。
す、すごいなこれ。感触、視覚、聴覚すべてがはっきりしている。外の匂いもするから、嗅覚も効いている。これは体験して正解だ。
薄暗い環境に少し目が慣れた。ベッドを見るとキングサイズだ。大きい。
家具売り場でしか見たことがない大きさだ。
しかも天蓋がついてる。
もちろんカーテンもついている。
な、何ですか?これ、私は何になっているのでしょうか、一体。
今から何か始まるのだろうか……。
と待ってみても何も始まらない。窓から外を眺めると月が見える。
満ち欠け状態と位置を見て、だいたいの時間を図る。うーん。ちょうど丑三つ時ってところかな。
とすると、今からイベントが始まるとしたら、碌なものではない。夜這いとか?夜襲とか?どっちにしてもいい方向には考えられない。ここはおとなしく寝るのが吉ではないだろうか。
布団も気持ちいいのでもう少し横になっていて、明るくなってからイベントかな……それを待つことにしよう。
と思っていたら、このキャラクターはすぐに寝てしまったようだった……。
ちゅんちゅん……ちゅん…
外から雀の鳴く声が聞こえて、目が覚めた。
あ、普通に寝てしまってたのね。これはそういう体験なのか、時間の無駄なのかさっぱりわからない。
さて、どうするか。
あ、そういえば、係の人がヘッドギアの案内に従え、とか言っていた。
ヘッドギア……ないっ!って当たり前か。被ってるのは現実世界の私であって、仮想世界内で被ってたら何も見えないし、変だ。
でもどうしたらいいのかな…。えーと、ヘッドギアさん?
と心の中で呼びかけてみる。
すると、目の前にスクリーンが表示され、音声案内が始まった。
おぉ…びっくりした。見ると、壁に投射されているなどではなく、網膜に直接表示しているような感じに思える。部屋の中に変化がないのだ。
とりあえず状況説明してもらえますかね?
「ようこそ、仮想世界『FANTASY OF OWN LIFE』へ。ここはアマダスカル王国の王城の一室です。伊集院様は王国の第二王女『ミドリ』様となり、今自室でお目覚めになったところです。」
はぁ、王女様。齢25にして王女を演じることになるとは……。
これはかなり恥ずかしいのではないのかな。
そういえば、連れがいるはず。文句を言いたいのに、いつまでも出てこないのはどういうことなのかしら。
「そちらに関してはそのうちお会いできると思われます。」
またお預けですか。どういう設定なのかしらね……。
次回明日更新予定です。
ご感想等お待ちしておりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。