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第4話 他の女の子に勉強を教えてはいけません

「蓮、私の声に集中して」


 リコの声は静かだが妙にドスの利いた響きを帯びていた。

 突然始まった怪しげな儀式に、話しかけてきた女子生徒が「え、あ、何……?」と完全に引き気味の声を漏らす。だが、リコは周囲の視線など一瞥もくれず、ただまっすぐに俺だけを見つめ、厳かに口を開いた。


「命令よ。――今日から、私以外の人に勉強を教えてはいけません」


「…………」


(……は? 何その命令!)


 俺は必死にトロンとした催眠状態の目を維持しながら、内心で激しく机を叩いた。あまりに予想外の方向からの縛りに喉がヒリヒリと渇く。


「……な、なんでですか、ご主人様……?」

「あなたが人に教えていたら、それだけ自分の勉強時間が減るでしょう。それに、教える相手によって毎日の予定が狂うもの。――私が、あなたを管理できなくなるわ」


 最後の一句だけ、急に声のトーンが低くなった気がするのは俺の気のせいだろうか。


(なるほど、からの、管理できなくなる、かよ! 本音が完全に漏れ出してるぞ! )


「……わかりました。他には、教えません……」


 ぼんやりとした口調でそう答えると、リコは小さく「ん」と頷き、ようやくスマホをポケットに収めた。

 俺は我に返ったふりをして頭を軽く振り、困惑しているクラスメイトに向き直った。


「悪い。……今日はちょっと、先約があってさ。別のやつに聞いてくれ」

「あ、うん、そっか……。急に声かけてごめんね。白岸さんも、じゃあね」


 女子生徒は少し不思議そうな顔をしながらも長居は無用とばかりに足早に去っていった。

 その背中が見えなくなった瞬間。リコはそれまで硬く強張らせていた両肩を、すとん、と落とした。張り詰めていた吐息が、微かな安堵の音となって彼女の唇から零れ落ちる。


(……っ)


 他の女子が去っただけで、まるで世界の危機を回避したかのような顔をする。そのあまりにも不器用で、かつ必死すぎる幼馴染の姿に、胸の奥がキュンと切なく弾けた。


「……今の命令、ちょっと変じゃなかったか?」


 校門を出て、夕日がつくる長い影を並べながら歩き出す。アスファルトに残る昼間の熱気が靴の底から伝わってきた。


「どこも。合理的な判断よ」

「いや、俺が他の女子と話すだけで催眠とか……。絶対嫉拓――」

「勉強の話でしょう?」

「そうだけど」

「なら問題ないわ。学習計画の維持が私の最優先事項よ」


 リコは前を向いたまま、ツンとした声で言い放った。耳の裏がほんのり赤いことには、本人は気づいていないらしい。


(問題しかないわ! そこは普通に俺を信頼してくれよ。なんで勉強を理由にすれば何でも許されると思ってんだ、この生徒会長)


「……そういえばさ、体育祭の種目、リコは何に出るんだ? やっぱり生徒会長枠で本部でお留守番か?」

「私はリレーよ。蓮、あなたこそサボらずに大縄跳びの練習に出なさい。あ、帰りにコンビニの新作アイス、買ってあげてもいいわよ」

「マジ? じゃあ一番高いピスタチオのやつ」

「贅沢ね。……昔は、よく私の宿題を丸写ししてた癖に」

「懐かしいな。あの頃は普通に勉強教えてくれてただろ?」

「今は受験生だから、状況が違うの」


(受験生って万能ワードかよ。交友関係の制限まで受験のせいにされたら、全受験生が泣くぞ)


 そんな雑談を交わしながら、駅前の賑やかな交差点に差し掛かった。

 信号が青に変わると同時に駅の改札から吐き出された人の波が一気に押し寄せてくる。肩と肩がぶつかりそうな混雑の中、不意に、俺の制服の袖口がぐいっと引っ張られた。


「あ……」


 見ると、リコが少しだけ俯きながら、俺のブレザーの袖の端を細い指先できゅっと掴んでいた。


「……危ないから。はぐれたら、今日の復習が遅れるわ」


 彼女は前を見据えたまま、早口でそう呟いた。

 触れ合っているわけでもない、ただ布地を一枚隔てて引っ張られているだけ。それなのに、俺の心臓はドラムを乱打されたかのように跳ね上がった。夕日の赤さのせいだけじゃない。隣を歩く彼女の横顔を、急に直視できなくなる。


(……いや、違う違う。これも勉強の話だ。学習計画の遅延を防ぐための防衛策だ。そうに決まってる)


 必死に自分の動揺を脳内で打ち消す。横断歩道を渡り終えると、リコは名残惜しそうに、けれどすぐにパッと手を離した。掴まれていた袖口が、急に軽くなって少しだけ寂しい。


「……おい、リコ。もし俺が、他の女子と一緒に帰るって言ったらどうするんだ?」


 からかうような気持ちが半分、そして少しだけの本音が半分。歩調を緩めながら軽い冗談のつもりで聞いてみた。

 すると、リコはピタリと足を止めた。

 一瞬の沈黙。彼女はゆっくりとこちらを振り向くと、その澄んだ瞳に一切の冗談を排したガチの光を宿らせて、真顔で言い放った。


「……それも、禁止命令リストに入れておかないと。今夜のうちにアプリの設定を更新するわ」


(即答!? おい、冗談だろ!?)


 俺の背筋を冷たい戦慄が駆け抜ける。

 白岸家の玄関前に到着しリコはスマートフォンを取り出して画面を真剣な顔で見つめ、小さく呟いた。


「……催眠には段階があるものね。同調率が上がってきたら、そろそろ次の命令も試せそうだわ」

「……次の命令?」

「ええ。もっと、あなたの行動を――いえ、効率を上げるための命令よ」


(絶対本音言い直したな!? っていうかそんな段階的なアップデート機能あるのかあのネタアプリ!)


 満足げに微笑みながら家の中へ入っていくリコの背中を見送りながら、俺は「嫌な予感しかしない……」と夕暮れの空の下で一人、激しく頭を抱えるのだった。

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