現代編 1「ある日常の始まり」
少し長いですが現代回です。
西暦20XX年、初夏。
ほぼ全開に開け放たれた窓から、南風が吹き込んできた。ひゅるり、ひゅるりと部屋の中を駆け回り、やがて隙間を抜けていく。
騒がしい奴だ、
ベッドに横たわる俺は、頬や素肌を撫でる風を感じながら、そう思った。
市内の病院に入院してから、およそ二年。変わり映えのしない病室で、俺は今日も担当医の問診に付き合っていた。
今さら、自分の人生に興味も関心もない。退屈な時間が早く終わることを願いながら、医師の問いかけに「はい」か「イエス」だけで答える。
生きることに、大いに不真面目。
誰かにそう言われても、反論できないだろう。
そんな俺にも、担当の女医は諦めずに声をかけてくる。
「諦めるな、頑張れ」と、
その熱意は、ぜひとも他の誰かに向けてほしいものだ。
仕方なく首だけを動かして頷くと、女医は満足そうに笑い、病室を後にした。
その背中を見送ってから、俺は骨と皮ばかりになりつつある腕へ視線を落とした。木の根のように、何本もの管が繋がれている。
煩わしい。だが、もう慣れた。
目を逸らすと、看護師がそばへ寄ってきた。清潔にされた衣服の匂いが鼻をつんと刺激する。
彼女が手にしているのは、俺のVR器具だった。鉄仮面を思わせるそれを、ゆっくりと顔に装着し直してくれる。
かちゃ、かちゃ。
器具を繋ぎ、固定する音が小気味よく響いた。顔面を押さえつけるような重みに、俺は安堵すら覚えていた。
最初の頃は慣れず、息苦しくて仕方がなかった。学校で一度だけ体験した剣道の防具に似た感覚も、当時は嫌でたまらなかった。
それでも今は、この感触がありがたい。
日に日に物を手に取ることも難しくなり、身体の感覚さえ鈍っていく。そんな俺にとって、器具の重みは、まだ確かに感じられるものの一つだった。
装着された器具の内側は、ほとんど真っ暗だ。
昔のVR器具は、現実の視覚を通して映像を体験する仕組みだったらしい。
しかし、今の主流は違う。意識を仮想空間へ転送するフルダイブコンバート型が普及し、現実と変わらない感覚で過ごせるようになっていた。
俺はVR器具をつけたまま眠ることが多くなっていた。
現実で目を覚ましている時間よりも、眠りにつき、VR空間に浸っている時間のほうが長い。
――果たして、どちらで生きていると言えるだろう。
ふと、そんなことを考えるが、答えは一生出ないだろう。
やがて意識が仮想空間へ移ったことを知覚すると、俺はVRゲーム『エンドワールド・フォー・デス』へのログインを始めた。
通称、エンデス。
数十年前、スマートフォンやPCを使ったソーシャルゲームが全盛期だった時代に登場したVRMMORPGだ。ログインには数分かかる。やや古めのゲームということもあり、簡略化されていない手順が残っているのだ。
目の前にタイトルが浮かび上がった。
『エンドワールド・フォー・デス』
当時、国内のゲーム業界は一部の大作を除いて衰退していた。景気の低迷やプレイ時間の減少など、さまざまな要因が重なっていたのだ。
そんな状況を打開しようと動いたのが、新進気鋭のネクロン社だった。
同社は革新的なフルダイブ型VR技術『クロスエンジン』をゲーム向けに発展させ、独自のゲームエンジン『エンドエンジン』を開発。各メーカーやクリエイターを招いて体験試遊会を開催し、共同開発の輪を広げていった。
ダークファンタジーやインディーゲームを手がけるクリエイターたちも参加し、約六年の歳月をかけて、エンデスのベータ版が完成した。
エンデスの基本的なプレイスタイルは、既存のMMORPGと大きく変わらない。だが、リアリティを重視した美しいグラフィックと、生身の身体のように動かせる操作性は大きな話題となった。
そして何より、圧倒的なボリュームと自由度が魅力だった。
基本職は数千種類、上位職も数百種類。種族も人間やエルフ、ドワーフといった人間種から、獣人や人魚などの亜人系、ヴァンパイアやスケルトン、レイス、ゴーレムといった異形・アンデッド・物質系まで幅広く揃っていた。
対人環境で特定のビルドが強さを独占しにくく、プレイヤーが独自性やロマンを追求できる。その自由度は、コアなユーザーにも好評だった。
開発陣にさまざまなジャンルのクリエイターが集まり、CEOからのオーダーを除けば、各自が好きなものを作ることを許されていたのも大きい。
三頭身ほどの愛くるしいケットシーや、宝箱や罠に擬態できるトラッパーズ。従来のMMORPGではあまり見かけない、癖の強い種族まで実装されていた。
俺は、その中からアンデッド系のヴァンパイアを選んだ。
最初から決めていたわけではない。不老不死を体現する種族という、ありきたりな設定に惹かれたのだ。調べれば調べるほど興味が深まり、最終的にはソロでもマルチでも遊べる拡張性を理由に、自分を納得させた。
凝り性の俺は、最適かつ無駄のない構成を目指して、自分の分身を作り上げていった。
選んだのは近接職。剣や素手などで戦うタイプだ。ソロでの活動を考えると、MP切れを気にする魔法使いや、近接戦闘が苦手な後衛職は避けたかった。
……まあ、それも本音の一つにすぎない。
完成した分身には、種族の見た目に合わせて、少し厨二チックな名前をつけた。
シュヴァルツ。
近接職の「ファイター」「チャンピオン」「バトルマスター」に加え、種族職の「ヴァンパイアロード」「デイウォーカー」。それらのジョブレベルをすべてカンストさせ、職業の組み合わせによって隠された「デッドナイト」も解放した。
何年もの育成を経て、ようやく到達した現在のジョブ。それが――「ブラッドブリンガー」だった。
ソロでもマルチでも遊べるように構成してある。そもそも俺にとって、パーティープレイは避けたいものではなかった。滅多にない他人との交流の機会でもあったから、大歓迎だった。
ただ、マルチプレイでは自分のキャラクターを他人に見られる機会も増える。そうなると、見た目にもこだわりたくなった。
幸い、ヴァンパイアは見目麗しい姿の多い種族だ。俺は外部MODのパッチも利用し、自分好みの外見に仕上げていった。
そうして完成したのが、俺の好みを詰め込んだメカクレの吸血鬼だった。
「どうよ、ユーイチ!やっぱ二次元っしょ! これだけ自由に作って操作できるんだから、好きに作らねえとな!?」
「ああ、俺もそう思うよ」
自分のキャラクターを女にして、性癖を詰め込んだ友人Aと俺とでは、好みこそ違う。
それでも、ある一点では意見が一致していた。
「やっぱいいな。自由に動けるって……」
口からこぼれそうになった本音を、俺は心の中に留めた。
どれだけ手を伸ばしても、現実では手に入らないものがある。
だからといって、現実を持ち込んでまで、この場所を壊したくはなかった。
俺はもう一人の分身を眺めながら、静かに眠りについた。




