1話 魔女の宅配便。
粗筋にも書きましたが、そういったお話です。
早朝の、霧深きテムズ川。
そこに隣接して建つ、とある超高層ビルの最上階にオフィスがあった。
彼女は、そこにいる。
真っ直ぐな桃色の長髪を靡かせ、黒地に銀の縞模様という王道のビジネススーツを纏った女性。
輝く桃色の髪には、特徴的な三角帽子が乗せられている。——魔女だった。
「『魔女の宅配便』CEO。私、モモが全従業員へと命じるわ」
三角帽子は、魔女の正装であった。
「今日も一日、安全運転でよろしくね」
硝子張り、鋼鉄により建てられたビル。
その最上階からは、ルンディニウムの混沌とした街並みが一望出来る。
見晴らしの良い、絶景とも呼べるオフィスであった。
その中央に、彼女は立っている。
翼の生えた黒猫たちに周囲を囲まれて。
「今日の業務を伝えるから、ちゃんと聞きなさいよ」
広いオフィスにひしめく、大量の黒猫たち。
言葉へと頷く様に、その三分の一ほど、四十匹ほどがニャーオと鳴いた。
総勢百を超える彼等こそが、「魔女の宅配便」の全従業員である。
古い言葉を用いれば、黒猫たちはモモの「使い魔」であるのだが、同時に労働者でもあった。
ここは、ブリテン王国——正式には、偉大なるブリテン及び、北部エメラルドアイランド連合王国。
国民の多くがUK、あるいはブリテンと呼ぶ王国の首都、霧の都ルンディニウムに「魔女の宅配便」はある。
魔女モモは、ここルンディニウムの一角にオフィスを構える若き経営者。
郷から一旗上げるため十年近く前、進学と共に都会へと出て来た女性であった。
彼女が学府修了と共に立ち上げたのが、この運送会社「魔女の宅配便」。
本当は「配」でなくスピード感のある「急」としたかったのだが、はるか東方にある巨大企業のせいで、諦めざるを得なかった。
向こうは超巨大、こちらは零細なので。
ともあれ、その「最高経営責任者」という役職が、モモの現在の肩書きでもあった。
そして、居並ぶ黒猫たちこそが、彼女の夢を叶える同志でもある。
商標マークと同じ姿の使い魔たち、社を支える百戦錬磨の従業員。
その三分の二ほどは非番であり、今日も好き勝手に遊んでいる。
「キキ、貴女は中央銀行へ向かってから奥様のティアラをウェセックス公のお屋敷に届けて。トンボは長距離便よ。大急ぎでリヴァプールまで飛んで頂戴、書留の配送ね」
自ら産み出した使い魔たちへと話しかけ、指示を出してゆくモモ。
彼らは擬似生命体といえど、社会的には雇用関係が成立している。
支払っている報酬分くらいは、働いて貰わねばならなかった。
「十八号から二十四号は市内の配達!」
「にゃーお」と返事の如く鳴く黒猫たちへ、テキパキと命令をしてゆく。
まさに、「仕事の出来る女」の風情であった。
しかし、彼女の身体は僅かに震えている。
それは何も、厳しい労働基準法への怒りでもなければ、使い魔への術力供給による疲労でもない。
ましてや、資本主義社会への恐怖でもなかった。
CEO席と書かれた札が置かれた机。
マホガニー製で、造りも良いデスクだ。
その傍に、古びた小さな箒が置かれている。
箒もまた、魔女の正装であった。
業務命令を出された黒猫たちは、翼を広げて超高層階の窓から飛び立ってゆく。
開け放たれた窓から、とても強い風が吹き入った。
モモは、ガクリと膝をつく。
硝子張りのオフィス。その窓の外には混沌とした街並みが広がっている。
古い教会が残り、複雑な迷路にも似た路地裏がそこかしこに通っていた。
そのところどころには、弾丸の様なビルや巨大な三角錐にも似たビルが突き刺さっていた。
遥か先に、地面が見える。
人も車両も猫も、とても小さく視えた。
あまりにも、見通しが良すぎる。
その事実こそが、朝も早くからモモの気力をガリガリと削っていた。
彼女が今も震えているのは、たった一つの理由でしかない。
「こ、ここは地面よ」
震える声で、彼女は呟く。ヘナヘナと情けなく、抜けてゆく腰。
その言葉は、決して間違いではない。ビルは地面の延長として建てられている。
その肩へ、ぴょんと一匹の黒猫が乗った。
「へ、平気よジジ。……でも、ありがとね」
「にゃーお」
モモは、ジジと呼んだ黒猫を抱きしめる。まだ震えたままの身体で。
この震えが収まることはない。
彼女は、高所恐怖症であった。
「ちゃんとお仕事しなきゃ……」
再び立ち上がったモモ。
その目には、強い意志が宿っている。
彼女は、厳格なCEOの言葉で告げた。
「残りは待機! 猫じゃらしをあげるから、勝手にお出かけしないこと。いいわね?」
「なーご」
良い返事らしきものが返ってくる。
だが、彼らは猫である。猫であるからして、まだゴロゴロ、ダラダラとしている。
「これで暫く、遊んでなさいな!」
モモは言いながら、大量の猫じゃらしを放った。
黒猫たちは猫じゃらしをまっしぐらに咥え、掴んでいく。
ジジもまた、猫じゃらしへと突っ込んでいってしまう。
軽くなった肩に、モモは少しの寂しさを覚えながらも再び告げる。管理職としての業務命令を。
「私は書類を書くから、邪魔しちゃダメよ」
その指示にも、非番である百を超える黒猫たちは揃って、「ナーゴ」と鳴いた。
「おトイレは砂場でするのよ。爪研ぎもいつものところ以外はダメだからね!」
実質ワンオペであっても、従業員へ気を使わねばならないのは、既に日常となっている。
「トンボ、スピード出し過ぎ。今は春の交通安全運動中よ、速度超過にも煩いわ」
机の上で事務仕事を一身に引き受けるモモは、リヴァプールへと向かうトンボへ注意を送る。
トンボは古株の使い魔で、賢く気性も良い。
ただ少しだけ、スピード狂の癖があった。
もう何度、違反切符を切られたかもわからない。
「速度違反自動取締装置」により、速度超過は現行犯でなくとも取り締まられていた。
「先月も捕まってるのだから、気を付けてよね」
事業者として行政へ出頭するのも、罰金を払うのもモモなのだ。あまり違反をして貰いたくはない。
大体、違反はよくない。事故の元である。
装置でなら、角度とかで別猫だと逃げられるときもあるのだが、今は交通安全運動中である。
猫なのに、またネズミ捕りに引っかかってしまっては堪らなかった。
現行犯で捕まってしまうと、それなりの時間が拘束されてしまう。
賢くともトンボは、言葉の喋れない猫なので。
遅配となるのも避けたいところであった。
「十八号は、伝票をお口で咥えないの! 入れてあげるから、届けたらお客様にお財布から出して貰ってね」
猫なので、彼らは伝票やお駄賃なんかを自らお財布に入れることも出来ない。
だから、入れてやる。ついでに注意も忘れずに。
十八号は伝票を咥えていると、二回に一回は落として帰って来る。
他の子達は三回に一回くらいなのに。
仕方がないことだ。
霧の都ルンディニウムには、ネズミなどの小動物や虫も結構多い。
なので猫たちが、つい気をそそられて遊んでしまうからだった。
本日までの売り上げを帳簿に纏めながら、配達員たちの動向をチェックし続けるモモ。
その頭には再びジジが乗っている。
どうやら猫じゃらしには飽きた様だった。
そして肩には百七号が右に、百八号が左に張り付いている。
気まぐれな猫たちは、オフィス内を走り回ったり、喧嘩をしたりと忙しい。
毛繕いをしたり、寝ている猫たちもいた。
だが、モモは気にしない。
配達猫たちの動向へ気を配りながら、帳簿をつけ終えペンを置く。
「ジジ、役所への申請書類を棚から取ってきて」
頭の上から飛び降りるジジ。
空いたそこへ登ろうと、百七号と百八号が争い始めていた。
モモは気にも留めず、ジジが咥えてきた三枚の申請用紙を受け取って、再びペンを取る。
そんな彼女の膝や足元にも、何匹かの黒猫たちがたむろしている。
次に手を付けるのは、行政への届け出だ。
新たに三匹を従業員として登録するための書類であった。
肩での喧嘩を気にする必要はない。ジジが再び頭に乗ると、二匹の諍いは収まった。
ボス猫であるジジは、モモの片腕となっている。
猫たちは、好き勝手気儘に遊んでいる。
だがしかし、机の上に乗る不届者はなかった。
「みんな、良い子にしてるのよ」
「にゃーお」
合唱が響いた。
モモはたった一人しかいない文字を書ける事務員として、仕事を続けていく。
「あら、二十四号は、お利口さんね」
モモには猫達の状況が繋がる先の感覚でわかる。
二十四号は配達先の娘さんに撫でられても、大人しくしていた。猫なのに。
——なかなか、軌道に乗ってきたわね。
彼女は大層満足気に頷いている。見せつけるようにして。
「あの子には、今日はご褒美にマタタビをあげようかしら? 大人しくしているのって、とても立派なことよ」
言葉に、猫たちは突然大人しくなりだした。
——チョロい、チョロい。
ククッと、悪いCEOの顔で笑うモモだった。
管理者とはこういった躾を施すことで、労働者を顎で使うものなのだ。
学府で学んだ経営論にも、労働と報酬の関係は大切だと書かれている。
そして、営業的にも猫たちは、なかなかの精鋭揃いであった。
なにせ、猫である。なのに、虫とかは付かない。
ふわふわの毛並みには、ノミもシラミもまったくいなかった。過敏反応物質だって、ないのである。
使い魔なので、虫さんをお土産に取ってくることはあっても、彼らはいつもピカピカな、毛艶の良い猫たちだった。
「アナタたちは営業の才能があるんだから、我慢よ我慢。そうすれば、結果は付いてくるわ」
厳しいビジネスの世界だ。
顧客サービスという付加価値がなければ、生き残れないものだった。
誠実な仕事ぶりだけでは、足りないものだ。
だからこそモモは、猫たちの気まぐれを抑え込み、猫愛好家の心を取る経営方針を選んだ。
接待戦術であり、成功もしている。
「顧客満足度が上がれば、ご褒美も出るんだから」
猫に癒されたい層は、存外に多いのだ。
それを提供することで、我らが「魔女の宅配便」は、顧客を広げてきていた。
——昔は大変だったけど。
猫たちは呼び鈴を鳴らしても、ニャーニャーと鳴くことしか出来ないので、配達先に気付かれないまま、帰ってきたこともある。
寄り道はするし、届け先にペットがいると、意味もなく威嚇をしたりもしていた。
宅配便と認知されるまで、苦情は結構多かった。
だが、荷物の紛失も誤配をせず、少しずつ信用を積み重ね続けることで、今日まで来ていた。
学府を修了し、開業してからも五年。
いつの間にやら二十七歳となってしまったモモは、窓の外へ目を向ける。
やはり地面が遠い。人も車両も猫も、ノミかシラミの様だった。
少しだけ、クラリときてしまう。
だが彼女は、大空を見上げて立ち上がる。
書類は書き上がり、あとは従業員の帰りを待つだけだった。
それまでは、暇猫たちの遊び相手を務めねばならない。
一服を欲していた。水筒から、カップへ暖かな黒い液体が注がれ、芳しい香りが立ち昇る。
モモの好物、たんぽぽコーヒーであった。
フーフーしながら、チビチビと大人の香りを舐めている。彼女は猫舌だった。
やがて一息ついた彼女は、机に立て掛けていた箒へ、撫でる様にして、そっと指先を這わせる。
子供の頃からの相棒で、一度も配達に出たことのない仲間がこの箒であった。
指を離したモモは、大きく伸びをする。
「休憩終わり! 今日も一日良い子に出来たら、仕事上がりにマタタビが出るかもしれないわね」
また急に大人しく整列し始めた猫たちを眺める。さっきまで纏わりついていたジジたちまでもが、あちらに並んでしまっていた。
現金なものだが、猫なのでしょうがない。
そう頷いて、モモは再び大量の猫じゃらしを放っておいた。
再び、好き勝手を始める従業員たち。頼りになるとは言い難い、仲間たちだった。
だが、使い魔たちの力と届け先の理解によって、モモの「夢」は、今こうして、形となっている。
「魔女宅配便」の企業ロゴは、トマトを咥えた翼持つ黒猫の影絵である。
商標の名の元に、自由を奪う巨悪のものは、子猫を咥えた親猫であった。
「見てなさい、いつか「急」の字は頂いていくわよ。黒猫○マトの宅ピー便!」
トンボの速度超過による罰金納付命令書を握り締め、己を鼓舞する魔女。
納付期限は明日までであった。
魔女であっても、公権力には逆らえない。悲しい現実である。
特別損失として計上する予定ではあるが、使い魔たちの如く羽ばたいていってしまう現金に、少しだけ目頭が熱くなった。
それでも彼女には、野心がある。
いつかあそことコラボして、その文字を使わせて貰うのだと。だってあの物語がそうなのだからと。
「私たちは、お宅へお届けするのがお仕事の、急便屋さんなんだから。……魔女の」
早く現金振り込みに行かなきゃと思いながらも、使わせろと秘めたる野望を口に出すCEOだった。
お読みいただき、ありがとうございます。「あの作品」や様々な作品に憧れた元少女の物語となります。喜んで頂ければ良いのですが、嫌いな方には申し訳ございません。描きたくて仕方がなくなったんです。




