一章 ロンペルディア公爵家④
この日のロンペルディア公爵家は、とても賑やかだった。
上級貴族でもなかなか予約ができないという有名なブティックの馬車が朝から出入りし、侍女たちは公爵夫人アンネローゼの指示に従って忙しなく動き回る。
そしてなぜかその中心に立つシェリンたちは、目が眩みそうなほど輝く布たちに取り囲まれ、萎縮するしかなかった。
一人を除いては。
「わぁ……! おひめさまみたい!!」
「ちょっ……レネ、走ったら危ないですよ」
転けるのが、というよりも、おそらく平民が生涯をかけて働いても一着すら買えない額の、この高級品たちを破ることが、だ。
「僕……臭くない?」
「大丈夫ですよ。香油の匂いしかしません」
リシャールは朝から公爵家のお風呂に入れてもらっていたくせに、袖を通して汚してしまわないかと不安らしい。
「このために完璧に磨き上げました!」と侍女たちから自慢げに聞かされていたシェリンからすれば、そんなのは杞憂だ。
「さぁ、あなたたち! さっそく一着目からいくわよ!」
アンネローゼのはずんだ声が聞こえたかと思うと、いっせいに侍女たちが飛びかかってくる。
別室へと連れて行かれ、「わっ……」「ちょっと……」なんて言っている間に、肌触りの良い生地で仕立てられたドレスを着せられる。
仕事を分担してテキパキと働く侍女たちによって、髪型も自由自在に変形され、軽く化粧も施された。
「まあ……! もともと何もせずともお美しい方でしたが、これは――」
「あの……近いです……」
きゃあああ! と頬を赤く染めた侍女たちはお互いに顔を見合わせ、ギラリと目を光らせる。
まったく敵意は感じないのに、これはまずい、と本能が警告を鳴らしていた。
「本日は、たいへん見応えのあるファッションショーになりますね! 私ども、お嬢さまを輝かせるため、全力でいきます!!」
そう。
シェリンはこれから、アンネローゼと侍女たちの着せ替え人形として、長い長い戦いを控えているのである。
そもそもこんなことになったのは、アンネローゼの一言が原因だった。
「せっかくだから、二人ともきちんとしたドレスを仕立てましょうね」
朝食の席で、食事を変なところに入れて咽せなかったシェリンは、褒められるべきだろう。
既製品のドレスでもとんでもないことなのに、オーダーメイドのドレスを平民の子どもに対して与えるつもりとは、ノブレス・オブリージュにしてもやりすぎだ。
「いえ、そのようなお気遣いをいただくなど……」
「今後必要になるかもしれないだろう。仕立てればいい」
止めてください、という気持ちを込めてフュラーにちらりと視線を送ったが、彼もこちらの味方ではなかった。
「今後必要になる状況」というのに含みがあるような気がするのは、シェリンの考えすぎだろうか。
「リシャールも、一つきちんとした服を仕立てておけ。ハンスの手伝いをするつもりなら」
「えっ……!? ぼ、僕も!?」
自分には関係のない話だと油断していたのか、ピクリと体を揺らしたリシャールは顔をひきつらせていた。
彼の気持ちはよく分かる。
貴族からすればそれが当たり前のことなのかもしれないが、平民が上等な服を持っていて良いことなど一つもない。そもそも着る機会が無いし、ちょっとした買い物にでも着ていった日には、その日の夜に強盗に遭うだろう。
だからといって、簡単に売ることもできず、保管するにも場所がいる。
正直言って、シェリンたちには扱いきれないものだった。
しかし、簡単に断ることもできない。なぜなら、この場で一番力を持つ女性の目がキラキラと眩しく輝いているからだ。
「せっかく王都まで来てくれたんですもの。かわいらしい子たちには、かわいらしい装いをさせてあげたいじゃない」
王族の次に身分の高い女性にそう言われれば、もう断ることもできなかった。
***
「さぁ! 次はリシャール坊ちゃまですよ!」
「えっ、いや……ちょっと待っ……!」
扉の向こうからはリシャールの焦った声が聞こえてきて、がっしりと両腕を掴まれ、別室に引きずられていく彼の姿が容易に想像できた。
彼もまた同じように戸惑っているんだろうなと苦笑していると、ガチャリと扉が開き、小さなドレスを着たレネとアンネローゼが部屋に入ってきた。
「あらあら……! これはまたとんでもない宝石を連れてきたわね、あの子は」
「シェリンお姉ちゃんかわいいっ!! 絵本にでてくるおひめさまみたい!」
レネは瞳をキラキラさせて抱きついてきた。
かく言う彼女も、オレンジ色のドレスがよく似合っている。お転婆で明るいお姫さまだ。
「レネもよく似合っています。もう立派な大人の女性ですね」
「でしょでしょー?」と自慢げにレネは笑った。
フリルが気に入ったのか、ずっとクルクル回っている。
「シェリンさんは……ドレスを着ると気品が溢れ出るわね。高位貴族の育ちだと言われても違和感がないわ。きちんとした教育を受ければ、貴族の婚約者としても十分通用する。うちの養女になるのはいかが?」
「お戯れを……気品だなんて……とても公爵夫人には及びません」
「アンネおばさんって呼んでと言っているでしょう? ……それに、戯れなんかではなくって、私は本気よ?」
自分の耳を疑うほどあり得ないアンネローゼの提案に、シェリンは乾いた笑いで誤魔化すしかなかった。
息子しか育てられなかったから、娘を育てることに憧れがあるのだと彼女は言う。
だが、きっと彼女の言う「気品」も、平民には珍しいこの銀の髪色と高級なドレスが、それなりの雰囲気を醸し出しているだけに違いない。所詮は平民の小娘なのだ。
早くフュラーとカミルに帰ってきてほしいと切実に願っていると、「お待たせいたしました〜!」と侍女が勢いよく扉を開いた。
そこには――
「え……」
「まあ……!」
「「きゃあああ!!」」
着替えを済ませたリシャールが立っていた。
しかし、そこにいるのは彼であって彼ではない。
シェリンの予想をはるかに超えたリシャールが、体をブルブルと震わせていた。
「……リシャールさんって、実は女の子だったんですね」
「リシャおにいちゃんかわいい!! ドレスきれい!!」
彼が着せられているのは、貴族の服でも騎士の服でもない。
フリルがひらひらとかわいらしい、水色のドレスだった。
中性的な顔立ちに合わせられた髪型と化粧は、どう見ても囚われのお姫さま。
「……っ、み、見るなあぁあぁあ!!!」
顔を真っ赤にし、必死に裾を押さえる彼に、侍女たちはもう一度「きゃあああ!」と黄色い悲鳴を上げた。
***
アンネローゼが納得して、シェリンたちが解放されたのは、もうお昼を回ったころだった。
「ああ……つかれた……」
「疲れましたね、ほんと」
リシャールは放心状態でソファに姿勢よく座ったまま天井を見つめている。
シェリンも本当はベッドに今すぐ寝転びたい気分なのだが、このまま礼儀作法の勉強を兼ねたお茶会をするということで、最後に試着した服のままなのだ。
もちろんこれも公爵家によって購入されてしまったものなので、迂闊にシワを作るわけにはいかない。
レネは元気に探検に行くと、侍女の一人と出かけていった。
やはり、幼い子の好奇心というのは恐ろしい。
「……ねぇ、いいかげん堅苦しいのやめたら?」
「え……?」
突然思いもよらなかった指摘をされて、ピクリと体が震える。
(堅苦しい、か……今まで誰も何も言ってこなかったのに)
リシャールは相変わらず天井に視線を逸らしていてその表情は読めないが、機嫌が良くないのは明らかだった。
「変ですか?」
「どう考えても変でしょ。大人になら分からなくもないけど、同年代の僕とか年下のレネにも敬語だし。なんか、ムズムズする」
ムッと口を尖らせて拗ねている姿が怒ったときのレネにそっくりで、小さな笑いがこみあげてくる。
打ち解けることができたと感じていたのは、どうやらシェリンだけではなかったようで、少しうれしかった。
「前に私が孤児院の話をしたの、覚えてますか?」
「あの、友だちの話?」
「そうです。みんなは友だちだけど、家族のような存在でもあったので……その、自分なりの区別というか……」
上手く言葉にできないシェリンを見て、リシャールはゆっくりと瞬いた。
「……特別なんだ」
特別。きっとその言葉が、一番合っている気がする。
シェリンにとって、完全に自分の素を曝け出すことは、彼らと自分を唯一繋いでくれていると思うから。そのくらいしか、シェリンがみんなに残せたものはなかったから。
そこを曖昧にしてしまえば、いつか自分の中から彼らが消えてしまいそうで。あの子たちがいなくても楽しいと感じてしまうことが怖かった。
「そう、ですね……自分勝手ですみません」
「別に。なんか、ちょっと安心した。シェリンにそういう人いなさそうだったから」
「どういう意味ですか、それ」
「なんていうか、近くにいるのに遠い、みたいな?」
「そうなんですか?」
そんなふうに思われていたとは。
孤児院の友人たちと同じくらいとはまだ言えない。
けれど、過去を少しでも共有できるリシャールという存在だって、自分にとってただの人間であるはずがない。
だからこそ、彼が望んでくれるのならば。
「『リシャ』と呼んでもいいですか?」
「……!」
紫色の瞳が大きく見開かれたあと、照れているのかジワジワと頬に赤みがさしていった。
「……いいよ」
「では、改めてよろしくお願いします、リシャ」
そう告げると、彼はふいっと視線を逸らして小さく「うん」と呟いた。
しばらくして、シェリンは静かに立ち上がり、鏡の前へと向かう。
鏡の中の自分は、たしかに貴族の令嬢のように華やかな装いで、まるで別人みたいだった。
侍女たちが口々に「どこかの国の王女さまみたい」とはしゃいでいたのを思い出しながら、シェリンはほんの少しだけ、胸が痛んだ。
(……もし、みんなが生きていたら。こんな未来を、笑い合って見られたのかな)
孤児院で肩を寄せ合って過ごした友人たちの顔が浮かぶ。
苦しい生活の中で、「貴族のお嬢さまみたいになりたい」と言っていた姉たちは、今のシェリンを見たら、どう思うだろう。
ドレスを着た彼女たちは、どんなふうに笑っただろう。
あの笑い声も、手をつなぎ合ったぬくもりも――もう二度と戻ってこない。
だからこそ、シェリンは鏡の中の「お姫さまのような少女」に、ほんのわずか、笑みを浮かべて誤魔化した。




