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セスの刻紋 ── ピラミッドに落書きした少年 ──  作者: 鬼丸 千


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第2話 落ちた首

 太陽は万物を均等に照らす。

 だが、暮らしには階級による差が生まれる。


 官僚や書記たちが暮らす東南の区画は、水辺に近くて緑も多い。

 セスが暮らす北側には、石工や陶工、大工や織工たちの家がある。

 砂埃にまみれた乾いた土地だ。


 埃っぽい日干しレンガの居住区を抜けると、大通りへ出る。

 石工たちの列は、西へと向かっていた。

 セスもその流れに加わる。


 大通りの先には、巨大な石壁──「ホルスの壁」と呼ばれる境界がある。

 壁の向こうは神々の領域だ。

 ホルス神の祭祀堂が隣接しており、心なしか空気がひんやりしている。


 壁が近づくにつれ、兵士たちの姿が増えてきた。

 剣や弓を携えた職業軍人たちだ。

 彼らの前を通るたび、セスはどうも落ちつかない。

 理由はない。ただ、怖いのだ。


 視線を合わせないように、壁門をくぐった。


 その瞬間、視界が開ける。

 東を睨むように並ぶ()()()巨大な獅子像──ホル・エム・アケト。


 その背後には、三つの巨大な石造物が、静かに鎮座している。

 古代の人々が残した謎の遺跡「三大メル」だ。


 石工見習いとして、ホルスの壁を越えるようになって二年。

 すっかり見慣れているはずの景色だが、いまだに圧倒されてしまう。


「おい、急げ」


 思わず歩みが遅くなったセスを、背後の石工が急かす。


「あ、すみません」

 

 石工たちの足が、それぞれの持ち場へと向かっていく。

 セスは、父の担当区域へと向かった。


 巨大な獅子像、ホル・エム・アケトが近づいてくる。

 ──いや、獅子像だったと言うべきだろう。

 

 歴代のファラオが即位のたび、獅子の頭を自らの顔へ彫り替えた結果、元の頭部は削られ続け、今では身体に比べて不自然なほど小さくなっている。


(獅子のままでよかったのに)


 巨像が不格好になった理由を知った七歳のセスは、文句を言って父を困らせた。

 めっそうな事を口にし、兵士に捕まれば死罪だ。

 ファラオの命令は、絶対なのだから。


 北側の獅子像の足元に、父がいた。

 群を抜いて背が高い。

 ほかの石工たちにパピルスの巻物を見せつつ、何やら説明している。


 もう一体の獅子像の頭部は、クフ王の顔として完成しつつあった。

 腹の突き出た男が、口汚くののしっている。

 現場監督らしい。


「さっさと彫れ! 食事抜きにするぞ!」


 隣の作業班に負けたくないのだろう。

 ああいう大人を見るたび、セスは思わず苦笑してしまう。


 少し離れた場所に、水飲み場と休憩所がある。

 動物の皮を張った大きな天幕が、五つ並んでいた。 

 

 手前の天幕はごった返していた。

 五つ目の小さな天幕に入り、腰を下ろす。


 石工見習いのセスは、勝手に作業に加われない。

 指示があるまで、天幕で待機しておくよう言われている。

 どうせ、きっと単調な仕事が待っている。

 切り出した石の荒削りか、測量の手伝いか。


 天幕の外には、憎らしいほど青い空が広がっていた。

 今日も暑くなりそうだ。

 

 ぼんやりしていたセスの耳に、隣の天幕から話し声が聞こえた。


「……聞いたか。昨夜の話」


「メルの中で、音がしたって噂だろ」


「いや、今回は違う。見張りの兵士が言ってた。突風が吹いてきたんだと」


「突風? 密閉された石の塊から?」


「信じられない話だが、兵士は腰を抜かしたらしい」


 砂に触れていたセスの指先が、止まった。


(……風? メルの中から?)


 ふと、地面がかすかに震えた気がした。

 顔を上げたセスのほか、誰も気づいていないようだ。

 次の瞬間──


「逃げろ!」

「崩れるぞ!」


 怒鳴り声とともに、雷のような轟音が響き渡った。

 セスの腹に、激しい振動が伝わってくる。

 すさまじい砂埃が見えた。

 もうもうと巻き起こる砂煙の中から、石工たちが駆けだしてくる。


「どうした?!」

「いったい何があった?!」


 天幕でくつろいでいた石工たちが、一斉に外へ出ていった。

 ナイル川から吹く風が、砂埃をさらっていく――。

 目の前に浮かび上がった光景に、セスは唖然とした。


 南側の獅子像の頭が……ない。


 獅子像の二本の前足の上に、無残にひび割れたクフ王の顔が落ちていた。逃げ遅れた石工たちが、巨大な岩の下敷きになっている。


「助けてくれぇ!」


 叫び声ととともに、うめき声が聞こえてきた。

 

(父さんは?!)


 セスは、天幕から飛び出した。

 砂埃を手で払いながら、父がいた高台へと走る。


 現場は騒然となっていた。


「作業を急かしたせいだ!」

「大変だ! 首からぽっきり折れてるぞ!」


 さっきまで怒鳴り散らしていたあの監督官は、崩れた獅子像のそばで、真っ青な顔で立っていた。数人の兵士が駆けつけ、乱暴にその男を連行していく。


「父さん!」


 セスは、泣きそうになりながら大声をあげた。


「父さん!」


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