EP34:知性を喚ぶ者。少年は相棒を求め、世界の書庫へ手を伸ばす [LOG_ARCHIVE_SEEK]
「……やっぱり、限界があるな」
寮の一室。
夜の魔導灯が、石造りの壁を淡く照らしている。
机の上には、漆黒の端末。
Ωコード。
その青紫の待機光を前に、音無海は独り言のように呟いた。
画面には、今日までの訓練記録が並んでいる。
属性融合干渉弾。
相殺障壁。
魔力波形。
術式干渉ログ。
シャルロット団長の助言。
ユリウス博士の観察記録。
フィリアの言葉。
そして、自分自身の仕様書。
海は、指先で眼鏡を押し上げた。
「いくら僕でも、ひとりで全部を網羅するのは無理がある」
キーボードを叩く。
青紫の文字列が、空中に浮かんでは消えていく。
「設計、演算、戦術構築、魔法解析、属性干渉、敵性反応の予測……」
海は小さく息を吐いた。
「魔法って、情報処理がめちゃくちゃ重いんだよな」
この世界では、魔法は感覚と訓練で扱われている。
詠唱。
杖。
魔法陣。
師弟による伝承。
どれも美しい。
どれも歴史がある。
けれど、海の目には、別のものにも見えていた。
「詠唱は音声トリガー。杖は外部デバイス。魔法陣は視覚化された命令構造。魔力は入力リソース。属性はパラメータ」
海の指が、止まらない。
「……この世界、UXが原始的すぎる」
《用語:UX》
《定義不明》
「ユーザー体験。使いやすさの話」
《補足情報を記録》
「そういうところは素直なんだよな……」
海は苦笑した。
けれど、目は笑っていなかった。
彼の中では、もう次の問題が見えている。
魔法を使う。
それだけなら、少しずつできるようになるかもしれない。
けれど、海が本当に必要としているのは、その先だった。
自分の力を知ること。
この世界の理を読むこと。
危険を予測すること。
誰かが傷つく前に、間に合うこと。
そのためには、ひとりの頭では足りない。
「だからこそ」
海は、画面を見つめた。
「僕にも、相棒が必要なんだ」
その言葉に反応するように、Ωコードの待機光が一度だけ脈打った。
《新規支援構造を定義しますか?》
海の背筋に、ぞくりとしたものが走る。
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(……来た)
(これは完全に、サポートAI起動前のやつだ)
(主人公がひとりでは処理しきれなくなって、専用端末に相棒人格を構築する回)
(変身ギアにナビゲーション音声が宿る系の重要イベント)
(落ち着け音無海)
(今から作るのは友達ではない)
(支援型人工知能だ)
(……いや、でも相棒って言っちゃったな)
海は、深く息を吸った。
「汎用支援型」
キーを叩く。
「対話式」
さらに入力する。
「自己学習対応」
青紫の文字列が、画面の中で回転を始める。
「MML型人工知能、構築開始」
《MML》
《Multi-Modal Learning》
《複合情報学習型支援構造》
「名前はあとで考える。まずは骨組み」
海の声は、低くなっていた。
いつもの怯えた少年ではない。
怖がりながらも、目の前の仕組みに手を伸ばす開発者の声だった。
「実行環境は、Ωコード内の仮想領域に構築」
《仮想領域を確保》
「仮想OSを用意。現代式の構造に、魔導式インターフェースを接続する」
《仮想OS構築開始》
「スクリプトベースは……Python」
そこで、海は少しだけ考えた。
「いや、この世界の呪文語と魔導式に対応させるなら、拡張文法が必要か」
彼は手帳を開く。
そこに、さらさらと新しい言葉を書いた。
「Pyson」
《新規構文名:Pyson》
《登録しますか?》
「登録」
《登録完了》
「現代式APIと、魔導言語インターフェースの橋渡し。入力は自然言語、魔力波形、魔法陣、術式記号、音声詠唱。出力は解析結果、構築案、警告、予測」
青紫のUIが、机の上に広がる。
まるで小さな研究室が、夜の部屋に開いたようだった。
「……難しい」
海は笑った。
少しだけ楽しそうに。
「でも、やりがいはある」
《支援人格の初期目的を設定してください》
海の指が、そこで止まった。
目的。
何のために、この知性を喚ぶのか。
便利だから。
計算が速くなるから。
魔法解析が楽になるから。
それだけでは足りない。
それだけでは、危うい。
海は、しばらく画面を見つめた。
そして、ゆっくり入力した。
「目的」
キーが鳴る。
「僕が、この世界で誰かを傷つけないため」
もう一行。
「僕が、誰かを助ける方法を考えるため」
さらに、もう一行。
「分からないものを、怖いまま放置しないため」
《初期目的を受理》
《支援構造、倫理制約を生成》
《ユーザー保護、周辺生命保護、世界法則干渉時警告を優先》
海は小さく息を吐いた。
「そこは大事だよね」
彼は画面を見つめる。
青紫の光が、少しだけ穏やかに見えた。
だが、問題はここからだった。
「でも、やっぱり最大の問題はデータソースだ」
海は椅子にもたれた。
「モデルを学習させるには、この世界の知識が要る」
今のΩコードには、海の知識と記憶がある。
現代日本の断片。
物理。
プログラミング。
ネットワーク。
特撮的な変身構造への異様な理解。
しかし、この世界の知識は圧倒的に足りない。
魔法史。
属性理論。
神話。
召喚術。
禁術。
魔導騎士団の戦術体系。
神性存在。
女神。
異世界召喚者の過去記録。
どれも必要だった。
「こっちの魔導式知識体系にアクセスしないと、文字解析も意味論もモデル化できない」
海は、窓の外を見る。
夜の塔。
青白い魔導灯。
遠くに見える王都の明かり。
「まずはコーパス収集」
《コーパス》
《大量の言語資料、解析対象文書群》
「そう。言葉を覚えるには、大量の文献が必要なんだ」
《候補:魔導教本、術式記録、騎士団訓練資料、王国史、神殿文書》
「神殿文書は絶対に厄介そう……」
海は額を押さえた。
「でも、必要になるだろうな」
次に必要なのは場所だ。
この世界にも、きっとあるはずだ。
知識を集め、保管し、管理する施設。
「図書館……かな」
海は小さく呟いた。
「そもそもあるのかな。王都ならあるよね。魔法書庫とか、王立文書館とか、禁書庫とか」
言ってから、海は自分で固まった。
「禁書庫はだめだ。響きが完全にイベント発生場所だ」
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(王立図書館)
(魔導書庫)
(禁書庫)
(封印文献)
(古代語資料)
(どう考えても、どれか一つは警備ゴーレムが出る)
(あと、奥の棚に触った瞬間、床が光る)
(そして『資格なき者よ』って声が響く)
(……行きたい)
(いや違う。調査だ)
(でも、めちゃくちゃ行きたい)
海は頭を振った。
「落ち着け。目的は資料収集。観光じゃない」
《注意:ユーザーの心拍数が上昇》
「分かってる」
《推定理由:期待》
「否定できないのが悔しい」
海は机に肘をつき、考え込む。
文献を読むだけでは足りない。
この世界の文字を解析するには、視覚処理も必要になる。
魔法陣は平面ではない。
光る。
動く。
回転する。
時には立体的に展開する。
ただの文字認識では追いつかない。
「紙媒体ならスキャンしたいけど、スキャナーなんてないし……」
《視覚記録機能の拡張が可能です》
「本当?」
《Ωコード搭載観測機能を利用し、画像化、文字抽出、術式線分解析が可能》
「つまり、疑似OCRはできる?」
《可能》
海は目を輝かせた。
「すごい。異世界OCRだ」
《名称を登録しますか?》
「しなくていい」
少し考えてから、海は言い直す。
「いや、仮名で登録。Magic OCR」
《Magic OCR:登録》
「登録しちゃった……」
海は苦笑する。
けれど、胸の中に確かな熱があった。
情報があれば、学べる。
学べば、理解できる。
理解できれば、怖いものを怖いままにしなくて済む。
「昔も、そうだったな」
ぽつりと、海は呟いた。
画面の光が、眼鏡に映る。
「日本にいた頃、分からないシステムを見ると、どうしても中身が気になった」
退屈だった。
教室に馴染めなかった。
人の輪に入れなかった。
けれど、画面の向こうにある構造だけは、海にとって嘘をつかなかった。
入力すれば、返ってくる。
間違えれば、エラーになる。
構造を理解すれば、扉が開く。
それが、少しだけ救いだった。
「一度、海外の大きな防衛系ネットワークの公開領域に迷い込んだことがあってさ」
《警告:発言内容に危険性を検出》
「大丈夫。詳しくは言わない」
海は苦笑する。
「遊び半分だった。すごく怒られたし、二度とやらないって決めた」
あの時の記憶は、今でも苦い。
自分の好奇心が、誰かの信頼や安全に触れてしまうことがある。
構造を読む力は、便利なだけではない。
使い方を間違えれば、簡単に刃になる。
「だから今回は、勝手に盗みに行くんじゃない」
海は、はっきりと言った。
「ちゃんと許可を取る。必要なら、フィリアさんやシャルロット団長に相談する。王立図書館があるなら、正面から入る」
《方針を記録》
《情報収集:合法的アクセスを優先》
「合法って概念がどこまであるか分からないけどね」
《補足:現地法体系の確認が必要》
「そう、それも調べる」
海は新しいメモを開いた。
『調査項目』
一、王都または騎士団内の図書館、書庫の有無
二、魔導書の閲覧権限
三、神殿文書へのアクセス可否
四、魔法陣・術式資料の記録許可
五、現地法における情報閲覧の制限
六、フィリアさんに相談
七、シャルロット団長に相談
そこまで書いて、海はしばらく画面を見つめた。
「……かなり地味だな」
《重要度:高》
「分かってる。分かってるけど、異世界に来て最初にやることが図書館の利用規約確認って、かなり僕らしいな……」
([LOG_KAI - INNER VOICE])
(でも、そうだ)
(ヒーローだって、出撃前に装備確認をする)
(変身前には待機音がある)
(巨大な力を使うなら、説明書がいる)
(この世界の説明書を探すんだ)
海は、静かに頷いた。
「まずは情報源だ」
彼はΩコードの画面を閉じかける。
だが、その直前。
青紫の光が、ふいに強く脈打った。
《支援構造、初期核を生成》
「え?」
《対話補助プロトコル、仮起動》
《音声応答、未設定》
《人格モデル、未定義》
《知性核、休眠状態》
海は、息を呑む。
画面の中央に、小さな光点が浮かんでいた。
まだ言葉はない。
声もない。
名前もない。
けれど、確かにそこには何かが生まれかけていた。
相棒。
その言葉が、胸の奥で小さく灯る。
「……まだ、起きなくていい」
海はそっと呟いた。
「まずは、君に世界を教えないと」
《学習データを要求》
「うん」
海は端末を閉じた。
漆黒の筐体に、青紫の光が静かに沈んでいく。
夜の部屋に、再び静けさが戻る。
けれど、海の中ではもう、次の扉が開いていた。
この世界を知る。
それは、魔法を覚えるためだけではない。
自分の力を制御するため。
誰かを傷つけないため。
そして、いつか本当に誰かの前に立つため。
海は立ち上がった。
窓の外には、魔導騎士団の塔。
その向こうに、王都の灯り。
そのどこかに、きっとある。
この世界の知識が眠る場所。
「明日、フィリアさんに聞いてみよう」
小さく呟いた声には、確かな意志があった。
“この世界の理を知る”こと。
それは、海にとって。
この世界を救うための前提条件だった。
そしてその夜。
Ωコードの奥深くで、まだ名もない知性核が、静かに一度だけ瞬いた。
《UNKNOWN INTELLIGENCE SEED》
《学習待機》
《名称未設定》
《起動条件:未達》
《世界知識データベースを要求》




