EP7:「夜更け、私疲れたわ――そして、彼は手帳を開いた」[LOG_FIRSTNIGHT]
「本日は夜が更けてまいりました。 突然の召喚と慌ただしい話ばかりで、さぞお疲れでしょう。
今夜はひとまずお休みになられてはいかがでしょうか」
使者の静かな声が、石造りの廊下に吸い込まれていく。
凛は小さく息をついた。
青い瞳には怒りと困惑が宿っていたが、その奥に微かな疲労の色が滲んでいる。
「……そうね。さすがに今日は散々だわ」
苛立ちの中に、珍しく安堵の気配が混じっていた。
── 一方、海は廊下の隅で、ぼんやりと使者の言葉を聞き流していた。
右手が、無意識に腰へと伸びた。 そこには、異世界に召喚される瞬間まで装着していたファイズギアが、今もしっかりと巻かれている。
(……まだある。よかった)
ベルトの冷たい感触が、現実を確かめる唯一のよすがだった。
(異世界。召喚。神威。……仮面ライダーで言うなら、第一話の冒頭そのものじゃないか)
頭の中で、かつて何百回と見た映像が再生される。 主人公が謎の力に巻き込まれ、日常が非日常へと塗り替えられる瞬間。
(でも、あれはフィクションだ。現実の僕には、このベルト以外に何もない)
床のタイルを見つめたまま、海は静かに奥歯を噛んだ。
「お部屋の準備ですが……」 使者が一歩前に出て、慎重に言葉を選ぶ。
「お二人様はご一緒のお部屋でよろしいでしょうか。それとも、別々のお部屋をご用意いたしますか?」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、凛が勢いよく眉を吊り上げた。
「はぁ? どうして私がこんな陰気な男と同じ部屋で寝なきゃいけないの? 冗談じゃないわ!」
その声は広間全体に響き渡り、石壁が共鳴するように空気が震えた。
騎士たちは息を飲み、使者は顔を引きつらせながら深々と頭を下げる。
「大変申し訳ございません! 失礼なことを申し上げました。どうかお許しくださいませ!」
凛の冷たい一瞥を浴び、使者は平伏せんばかりになった。
「当然よ。次からは気をつけなさい」
その一言で場が静まり返る中、海は廊下の端で小さく肩をすぼめた。
腰のファイズギアに、もう一度そっと触れる。
(……これって、ライダー一号と二号が初対面でいきなり衝突するやつじゃないか)
脳裏に浮かぶのは、旧仮面ライダーの名場面。
凛の拒絶の言葉は冷たい刃のように胸に刺さったが、海の中のどこかが静かにつぶやいていた。
(でも最終的には、二人で戦うんだ。いつも、そうだった)
「凛さん、ごめん……」 消え入りそうな声で呟く。
しかし、凛は眉をひそめ、冷淡に言い放った。
「なんであなたが謝るの? 私はただ事実を言っただけ。 それに、社長令嬢の私とただの平凡な男が同じ部屋なんて、釣り合わないでしょ?」
(平凡。……そうだよ。僕は平凡だ)
海はその言葉を、静かに胸の奥にしまった。 言い返す言葉も、反論する根拠も、何もなかった。 ただ腰のベルトだけが、冷たく確かに存在していた。
その後、使者の案内で凛と海はそれぞれの部屋へと通された。
凛の部屋は、異世界のものとは思えないほど豪華だった。
中央に鎮座するふかふかのベッド。 美しい刺繍のカーテン。
暖炉の火が部屋を柔らかく照らし、どこか現実離れした温かみを演出している。
彼女はベッドに腰を下ろし、疲れたように天井を見上げた。
「本当に、何なのよ……この状況」
呟いた言葉には苛立ちだけでなく、どこか孤独な響きがあった。
名家の令嬢として何不自由ない生活を送ってきた凛にとって、自分が望まぬ状況に置かれることは、人生でほとんど経験のないことだった。
誰も彼女の意思を尋ねず、同意も得ずに、この異世界へと連れてこられた。 その事実が、彼女のプライドの深いところを静かに傷つけていた。
「帰る方法を見つけるまで協力するだけよ。誰のためでもなく、私のために」
その言葉は強がりのようでいて、しかし確かな決意を帯びていた。
青い瞳が暗闇の中で力強く輝き、彼女は静かに目を閉じた。
一方、海の部屋は質素だった。
薄暗い明かりの中、簡素な木製のベッドと机だけが置かれている。
海はベッドの端に腰掛け、まず最初にファイズギアを腰から外した。
掌の上に乗せると、プラスチックと金属でできたそれは、この異世界の荘厳な石造りの部屋の中で、ひどく場違いに見えた。
(……でも、これが全てだ)
ファイズギアをそっと机の上に置いた後、海は鞄の中から一冊のノートを取り出した。
表紙には几帳面な字でこう書かれている。
「仮面ライダー 魂の記録帳」
海はノートをゆっくりと開き、今日のページに万年筆を走らせた。
たしか――暁暦1025年 4月某日(地球換算:2026年4月5日)
本日のヒーロー:仮面ライダーファイズ
理由:召喚という理不尽な非日常には、孤独に戦い続けるファイズの魂が最も相応しい。
僕は今日、異世界に来た。
仮面ライダーの主人公たちも、最初はみんな戸惑っていた。
だから、僕も大丈夫なはずだ。 たぶん。
海はペンを置き、書いた文字をしばらく見つめた。
(……「たぶん」じゃダメだ)
一行付け足した。
『きっと。』
ノートをそっと閉じ、ファイズギアの隣に置く。
机の上に並んだその二つは、この異世界で海が持つ、唯一の「自分らしさ」だった。
海は小さな窓から見える双子の月を見上げた。
その光はどこか冷たく、それでもどこか懐かしい。
「凛さんは……あんなに堂々としているのに」
思わず声に出した言葉が、静かな部屋に溶けていった。
彼女の強さに圧倒されながらも、海は同時にその隣に立ち続けたいと願っていた。
幼い頃からずっとそうだった。
彼女の隣にいられるなら、自分も何か特別になれる気がした。
(……仮面ライダーたちも、一人じゃなかった。いつも、隣に誰かがいた)
海はもう一度、机の上のノートとファイズギアを見た。
(僕も、いつか本当に変身できる日が来るのかな)
弱々しいながらも、その問いかけは彼の中に確かに灯っていた。
暗闇の中で、遠く響く鐘の音が静寂を破り、夜の終わりが近づいていることを告げていた。




