第396話 茶の高騰
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴183年 6月1日 帝都ハーグ 皇宮 雨』
窓ガラスを打ち付ける雨音を聞きながら、僕は帝都ハーグの石畳を走る車に揺られていた。
聖都アウグスタでのドタバタ劇――ピウスさんの盛大な葬儀と、あの突然の大きな地震を終えて、僕はようやくホームタウンであるハーグへと帰り着いたのだ。
次期教皇を決めるコンクラーベについては、「まあ、詳しいことは聖職者のみんなに任せるしかないよね」と判断し、大金だけ置いてそそくさと帰ってきたのである。
ちなみに、ノクシアとアウロラの二人は、「しばらく白亜の館で羽を伸ばすぞえ」と言って、僕よりも一足先に影を通って帰っていった。アウロラは相当お疲れの様子だったから、ゆっくり休んでほしいと思う。
さて、僕ことライルは、家に帰る前に一応、皇宮へ寄ることにした。
僕が留守の間、皇帝代理のさらに代理として政務を任せていた息子、レオの様子を見るためだ。
皇宮の奥深く、重厚な扉を開けて執務室に入ると、そこには見慣れた二人の姿があった。
「うおおおっ、また東の港から陳情書が来てるぞ! こっちは後回しだ!」
「レオ兄さん、それは早めに決済しないと物流が滞るよ。ああっ、こっちの予算案も確認しないと……」
執務机にしがみつくようにして書類の山と格闘していたのは、政務を代行している長男のレオと、胃炎の療養中だったはずの次男、フェリクスだった。
どうやらフェリクスは、慣れない政務に悪戦苦闘する兄を見かねて、手伝いに出てきてくれたらしい。
「やあ、二人とも。ただいま帰ったよ」
僕がのんびりと声をかけると、二人は弾かれたように顔を上げた。
その目の下には、くっきりと濃いクマが刻まれている。
「おい、親父! 遅えよ!」
レオが、持っていた万年筆を机に放り出して大きなため息を吐いた。
「よくこんな仕事、毎日涼しい顔してできるな。俺は自動車会社の社長をやってるから、組織を動かすのには慣れてるつもりだったが……国を動かすってのは、ケタが違いすぎるぜ」
「そうなんだよ、父さん。上がってくる書類が、どれも国家の根幹に関わる重要案件ばかりでさ……。正直、気が休まる暇がないよ」
フェリクスも、胃のあたりをさすりながらげっそりとした顔で同意する。
少しハーグを留守にしていただけなのに、二人はすっかり疲れ切っていた。
「うんうん、二人とも本当によく頑張ってくれたね。おかげで助かったよ。今日はもう上がりにして、白亜の館に帰ってゆっくり休もう」
僕が労いの言葉をかけると、レオは首の後ろを揉みほぐしながらニヤリと笑った。
「まあ、皇帝の仕事も、たまになら手伝ってやるけどよ。ホントにたまにしてくれよ? ……ああ、そうだ。親父がいない間に、俺の判断で科学技術と産業への予算配分を少し増やしておいたぜ。アシュレイ母さんの作ってた飛空船、あれは絶対に使える。今のうちに量産体制を整えておかないとな」
「おおっ、さすがレオ! 現場の技術をよく分かってるね。うんうん、そこはすごく良い判断だと思うよ」
僕が手放しで褒めると、レオは照れ隠しのように鼻の頭を擦った。
しかし、フェリクスは机の上にある一枚の書類を手に取り、深刻な顔つきで僕の方へ歩み寄ってきた。
「父さん、予算の件は僕も賛成なんですが……ただ、これが問題なんです」
そう言って手渡されたのは、一枚の折れ線グラフだった。
縦軸に価格、横軸に日付が書かれている。そして、その折れ線は、ここ一ヶ月で恐ろしいほどの急角度を描いて『右肩上がり』になっていた。
「これは……『茶』の市場価格かい?」
「はい。大暁帝国での動乱が激化している影響で、東方からの茶葉の輸入量が激減しているんです。需要に対して供給が全く追いついていません」
フェリクスの指摘に、僕は思わず唸り声を上げた。
今、帝都ハーグをはじめとするアヴァロン帝国の都市部では、空前の『抹茶ラテ』ブームが起きている。それ以外にも、食後の紅茶や緑茶は、すでに市民の生活に深く根付いているのだ。
このまま価格が高騰し続ければ、いずれ庶民は手軽にお茶を買えなくなる。
嗜好品の不足は、市民のストレスを爆発させ、やがて国への大きな不満へと直結してしまう。
(……美味しいお茶が飲めなくなるのは、僕としても死活問題だ)
「……なるほど。事態は想像以上に切迫しているようだね」
僕はグラフから目を離し、二人の息子たちの顔をまっすぐに見据えた。
「わかった。父さん、少し真面目に東方問題に取り組むよ。……でも!」
僕はそこで言葉を区切り、執務室の窓を指差した。
外は冷たい雨が降っており、すっかり日が落ちて暗くなっている。
「今日はこれでおしまい! 難しい話は明日からだ。さあ、帰ってヴァレリア特製の『焼き豚』でも食べよう!」
僕が満面の笑みで提案すると、レオの顔がパァッと明るくなった。
「いいな、焼き豚! 腹減って死にそうだったんだ! よし、フェリクス、とっとと帰るぞ!」
「ふふっ。そうだね、兄さん。僕たちも、こういう『適当さ』というか……オンとオフの切り替えの早さを、もう少し父さんから学ぼうか」
フェリクスも毒気を抜かれたように苦笑いし、机の上の書類を綺麗に揃え始めた。
こうして、この日の政務は無事にお開きとなった。
ハーグは北の地にあるとはいえ、六月にもなれば夏に向けてそれなりに暑くなってくる。
だが、今日は雨で少し冷える。それに、慣れない政務で疲れ果てた二人の若者には、こってりとした脂と甘辛いタレの、焼き豚が必要な気がした。
レオの運転する車内では、ラーメンに焼き豚を乗せて食べることで、意見が一致した。
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