第343話 晩餐会への乱入者
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴180年 4月28日 クラスノグラード皇宮 夜 曇り』
その日の夕方。
僕はホテルの自室で、鏡に映る自分を見てニヤリと笑った。
(うん、完璧だ)
身につけているのは、白いシャツに黒いベスト、そして蝶ネクタイ。
どこからどう見ても、皇宮に仕える給仕の姿だ。
昼間の『ライルの市』での演説で、民衆の心は掴んだ。だが、肝心のトップが動かないことには始まらない。
正面玄関が開かないなら、勝手口から入ればいい。それがハーグ流だ。
僕は銀色のトレイを片手に、警備の隙間を――おそらくユーディルがこっそり開けてくれたルートを――縫って、皇宮の奥へと侵入した。
たどり着いたのは、最上階にあるダイニングルームだ。
重厚な扉を、僕はノックもせずに押し開けた。
「失礼します。スープをお持ちしました」
部屋の中には、長いテーブルがあり、その端に一人の青年が座っていた。
キャンドルの灯りに照らされたその顔は、陶器のように白く、整っているが、どこか憂いを帯びている。
彼こそが、ルースキア帝国皇帝、イヴァンだ。
イヴァンは読書の手を止め、怪訝そうな顔で僕を見た。
「……私は、食事はいらないと言ったはずだが?」
「まあまあ、そう言わずに。今日のスープは『ボルシチ』ですよ。温まりますから」
僕はうやうやしく皿を置くと、そのまま――
イヴァンの向かいの席に、どかりと腰を下ろした。
「なっ……!?」
控えていた護衛の兵士たちが、色めき立って剣に手をかける。
だが、イヴァンが片手でそれを制した。
「……無礼な給仕だ。死に急ぎたいのか?」
イヴァンは静かに、しかし絶対零度の視線で僕を射抜いた。
僕はトレイをテーブルに置き、蝶ネクタイを少し緩めて言った。
「死にたくはないかな。まだ孫も小さいしね。……初めまして、イヴァン陛下。僕がアヴァロン帝国皇帝、ライルだよ」
僕がニカッと笑って正体を明かすと、室内の空気が凍りついた。
兵士たちは唖然として動きを止めている。
しかし、イヴァン皇帝だけは、意外にも冷静だった。彼は目を少し丸くした後、フッと小さく息を吐いた。
「……なるほど。噂に聞く『型破りな皇帝』とは、ここまでとは思わなかった」
彼はナプキンを膝に広げ、スプーンを手に取った。
「お客人、せっかく来られたのだ。食べていかれよ。毒見は不要だろう?」
「もちろん。いただきます」
僕たちは、奇妙な二人きりの晩餐会を始めた。
温かいボルシチを口に運びながら、僕たちは天気の話をするように、国の話を始めた。
「なぜ、あのような市を開いた? 我が国の威信を傷つけるつもりか?」
「とんでもない。僕はただ、仲良くしたいだけさ。美味しいものを食べて、温かい服を着て、みんなで笑い合う。それが一番じゃないか」
「……理想論だな」
「理想を現実にするのが、皇帝の仕事だろう?」
僕の言葉に、イヴァンはスプーンを止めた。
「我が国は、力こそが全てだ。皇帝が強くあらねば、国はバラバラになる」
「一人で強くなる必要はないさ。僕なんて、書類仕事は部下に任せきりだし、重要な決定もみんなで話し合って決めるよ」
「みんなで……?」
イヴァンの眉がピクリと動く。
「そう。『議会』っていう場所があってね。貴族も、平民の代表も集まって、喧々諤々と議論するんだ。僕は最後に判子を押すだけ。楽なもんだよ」
「……平民に、国政を語らせるというのか?」
イヴァンは信じられないといった顔をした。だが、その瞳には軽蔑ではなく、純粋な知的好奇心が宿っていた。
「そうすれば、不満も吸い上げられるし、僕が気づかないアイデアも出てくる。皇帝一人で背負うより、ずっと遠くまで歩けるよ」
僕がハーグの仕組み――議会制民主主義の真似事だが――について語ると、イヴァンは身を乗り出して聞き入った。
孤独な独裁者にとって、「責任を分かち合う」という発想は、目から鱗だったのかもしれない。
やがて、皿が空になった頃、イヴァンはナプキンで口元を拭い、静かに言った。
「……貴国のやり方、興味深い。だが、立ち話ならぬ、食卓話で決めることではないな」
彼は立ち上がり、初めて僕に向けて、対等な君主としての眼差しを向けた。
「しかたない。明日、正式に会うとしよう。謁見の間にて待つ」
「ありがとう。楽しみにしているよ」
僕は立ち上がり、給仕らしく優雅にお辞儀をした。
「それでは、お休みなさいませ、陛下」
僕は空になった皿を下げ……るのはさすがにやめて、そのまま部屋を後にした。
廊下に出ると、ドッと冷や汗が吹き出した。
(ふぅ……。なんとか、首の皮一枚で繋がったかな)
明日は正念場だ。
僕は暗闇に紛れ、ホテルへの帰路についた。
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