第331話 雷帝の激怒と地球儀
【ルースキア帝国皇帝 イヴァン雷帝視点】
『アヴァロン帝国歴179年 10月16日 深夜 木枯らし』
北の都クラスノグラードにある『冬宮』の外は、冬の到来を告げる冷たい木枯らしが吹き荒れていた。
窓枠がガタガタと悲鳴を上げる中、謁見の間の空気は、外気よりもさらに冷たく、凍りついていた。
「申し開きは、それだけか?」
私の低い問いかけに、大理石の床に額を擦り付けている男――かつての英雄、ジューコフが震え上がった。
「へ、陛下……! どうかご慈悲を! 敵の兵器は常軌を逸しておりました! 地面が爆発し、歩兵が吹き飛び、戦車が……!」
「言い訳を聞きたいのではない。貴様は、我が国が誇る虎の子の機甲師団を壊滅させ、おめおめと逃げ帰ってきた。その事実だけがここにある」
私は玉座から立ち上がると、ジューコフを見下ろした。
「敗軍の将に語る言葉なし。……衛兵! この無能を地下牢へ放り込め! 二度と私の前に顔を見せるな!」
「お、お待ちください! 陛下ぁぁぁっ!」
ジューコフの絶叫が、重い扉の向こうへと消えていく。
私は苛立ちを隠そうともせず、卓上のワイングラスを床に叩きつけた。
ガシャンッ!
赤い液体が、まるで血のように絨毯に広がる。
部屋に一人残った私は、復讐の方法を求めて思考を巡らせた。
すぐにでもアヴァロンへ報復軍を送りたい。
だが、現実は非情だ。
第二師団の壊滅により、主力戦車の大半を失った。さらにこれからの季節、ルースキアは泥濘と極寒に閉ざされる。軍を動かすことすらままならない。
「……忌々しい、ライルめ」
私は執務机の横にある、巨大な地球儀へと歩み寄った。
慣れた手つきでそれを回す。
指先で冷たい球体を撫で、ピタリと止めた場所。
――帝都ハーグ。
一年中、海が凍らない温暖な楽園。
豊かな大地と、世界へと繋がる海。
私の指の下にあるその小さな点を、どれほど強く押しつぶしたいと願ったことか。
「どうしても……あの都が欲しい」
窓の外では、ヒュオオオという風の音が不気味に響いている。
この薄暗い北の地から抜け出し、あの太陽の下へ行くことこそが、我がルースキアの悲願なのだ。
コンコン。
控えめなノックの音が、私の思考を中断させた。
「入れ」
入ってきたのは、顔面蒼白の宰相だった。手には一枚の電文が握られている。
「へ、陛下……アヴァロン帝国より、緊急の親書が届いております」
「アヴァロンからだと? 読んでみろ」
宰相は震える声で読み上げた。
『……現状の国境線を維持したままでの即時停戦を提案いたします。もし、ご納得いただけない場合は――』
そこまで聞いて、私は鼻で笑った。
停戦だと? 勝者の余裕か。ふざけた真似を。
「――我が国が開発した『新型長距離砲』の性能試験を、貴国の首都クラスノグラードにて実施せざるを得ません。冬宮が焼失せぬよう、賢明なご判断をお待ちしております』
宰相の声が消えると同時に、私の理性が弾け飛んだ。
「おのれぇぇぇっ! ライルゥゥゥッ!」
ドォォォン!!
私は拳で地球儀を殴りつけた。
支柱が歪み、世界がガタガタと揺れる。
「私を脅す気か! このイヴァン雷帝を! 長距離砲だと? そんなものが実在してたまるか! これは虚勢だ、ハッタリだ!」
怒りで視界が赤く染まる。
ハーグを焼くどころか、逆に我が冬宮を焼くと書かれているのだ。
これほどの屈辱がかつてあっただろうか。
私は荒い息を吐きながら、部屋中を歩き回った。
だが――。
ふと、冷静な計算が頭をもたげた。
(……だが、もし本当だったら?)
相手はあの「発明帝」ライルだ。
戦車の弱点を見抜き、地雷という兵器で機甲師団を葬った男だ。
奴なら、高性能の大砲を持っていてもおかしくはない。
もし冬宮が焼かれれば、私の権威は失墜する。
国内の不満分子が蜂起し、帝国は内側から崩壊するだろう。
今、ギャンブルをするには、手持ちの駒があまりにも少なすぎた。
「…………」
私は歪んだ地球儀の前で立ち尽くし、やがてドサリと椅子へ体を沈めた。
全身から力が抜けていく。
悔しいが、今は耐える時だ。
熊は、傷が癒えるまで冬眠せねばならない。
「……陛下?」
おそるおそる声をかけてきた宰相に、私は力の入らない声で、しかしはっきりと告げた。
「……受け入れよう」
宰相が安堵の息を漏らすのが聞こえた。
「ただし、忘れるな。これは敗北ではない。雌伏の時だ」
私は窓ガラスに映る、自分の疲れた顔を睨みつけた。
「ライルよ、今は笑うがいい。だが、ルースキアの冬は長いぞ。……いつか必ず、その首を喰らい尽くしてやる」
外の木枯らしは、私の慟哭をかき消すように、北の空へと吹き抜けていった。
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