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側面のお話 <仔犬もどきの正体は> パトリック視点








 何だろう?


 この香り、とても良く知っている、ような気がする。


 何というか、心安らぐのにざわめく、という相反する心持にさせられる、けれどとても好ましい香り。




 思いつつ、それが何なのか判らないままに、ローズマリーが用意してくれた液状の石鹸で仔犬もどきを洗う。


 しかし、これがなかなか思うようにいかない。


 それはローズマリーも同じようで、俺と同様かなりの苦戦を強いられている。


 「なかなか、落ちないな」


 「油、すごいですね」


 会話しつつ、俺はローズマリーの様子を伺う。


 泥だらけ、油まみれの仔犬もどき。


 どんな状況に在ればこれほどになるのか、と思うほどにその汚れは酷い。


 つまり、かなり過酷な状況に、しかも短くない期間置かれていた、と想定できる。


 それなのに、汚れが酷い以外は衰弱した様子もなく、特に健康に問題は無いように見える。


 


 一体。


 ローズマリーはこいつらを、どんな場所のどんな状況から、どうやって助け出したんだ?




 前人未踏の、しかも泥や油に塗れた場所。


 恐らくはそんな状況で、相当大変な思いをしたに違いない。


 しかも令嬢であるローズマリーが課せられたのだ。


 それは正に想像に絶する苦労だったに違いない、と俺はローズマリーの苦労を思う。


 思いつつ、液状の石鹸を幾度も使う。


 それでも泡立たない。


 汚れすぎているのと、こびりついた油が原因なのだろう。


 そう簡単にはきれいになってくれない。


 油に塗れた時は、同じように油を塗り込んでしばらく置いておくといい、とは言うが、この仔犬もどきがそんなにも長い時間じっとしているとは思えないし、何よりローズマリーが早く仔犬もどきをきれいにしたい、という願いを前面に押し出しているので、俺はそちらに従いたい。


 しかし、急がば回れ、とも言うし。


 「油を塗り込んで馴染ませてからの方がいいのか?いやでもな・・・っと!ちょっと待て!暴れるな!」


 油を馴染ませて時間を置く、というのも有用かとも思うが、そもそもこの仔犬もどきは本物の仔犬ではないので、この汚れをきれいにする作業も、もしかすればもしかする、と思えば安易なことは言えない。


などと洗浄方法を色々悩んでいたら、俺に洗われるのが不満だったのか、仔犬もどきが俺の手から脱走し、ローズマリーへと擦り寄って行ってしまった。


 「くうん!」


 何やら嬉しそうに鳴いて、ローズマリーにじゃれつく仔犬もどき達。


 「わわっ!ちょっと待って!」


 困ったように言いながらも、相手をするローズマリーの目は優しい。


 


 ん?


 何か、ちょっともやっとする。




 仔犬だから?


 もどきとはいえ、見た目仔犬だから、あんなことが許されるのか?


 もし。


 もしも、俺があんな風にじゃれついたとして、仔犬もどきの姿だったなら、ああやって受け止めてもらえるのか?


 いやいや。


 俺だって、この実体で、否、実体だからこそ、ローズマリーを抱き寄せられるし、膝に乗せることも出来るのだから、別に・・・って、俺は何を考えて。




 自分の考えに自分で凹み、俺は大きく息を吸った。


 「判った!ここからも何度か洗うから、ローズマリーにも順番に洗ってもらえばいいだろう?二匹一緒には無理なんだから、片方はおとなしく俺に洗われろ!順番だ、順番!」




 いやしかし、それにしても。


 ローズマリーに洗ってもらう、か。


 うん、それはいいな。


 『パトリックさま。今日は私が、パトリックさまの髪を洗ってさしあげます』


 少し恥ずかしそうに伏目がちに頬を染め、でも俺を上目で見て言うローズマリーは、それはもう可愛いだろう。


 そしてうっかり想像の翼を広げてしまった俺は、今この場でローズマリーを押し倒しそうに・・・なりそうになるも強く拳を握って何とか思いとどまった。




 いやいや待て待て。


 落ち着け、落ち着くんだ俺。


 心頭滅却、煩悩退散・・・いやでもローズマリーは可愛い・・・可愛いからこそ、耐えろ俺。




 そんな葛藤を籠めて叫んだ俺に、二匹は、了承した、とばかりに鳴き声をあげた。


 「よし、いい子だ」


 漸く落ち着いた二匹、と俺は、それからもそれぞれの立場で洗浄を繰り返した。


 ローズマリーと共に二匹を洗う俺、ローズマリーと俺に洗われる二匹。


 約束通り、ローズマリーが片方だけを洗い続けることがないよう、きちんと交代することも忘れない。


 「テオ、クリア。気持ちいい?」


 「くうん!」


 「くうん!」


 洗いながらローズマリーが優しく問えば、二匹が嬉しそうにしっぽを振って答える。


 ローズマリーと、見た目は可愛い仔犬もどきの遣り取りが愛らしい。


 いつまでも見ていられる、むしろ記録魔道具が欲しい、とさえ思う。


 


 ん?


 それにしても。




 「テオ?クリア?こいつらの名前か?」


 名前があったのか?


 いや、それをどうやってローズマリーが知ったというんだ?


 もしかして、ローズマリーが名付けたのか?


 「すみません、パトリックさま。まだきちんとご挨拶していませんでしたね。こちらの、淡い蒼の美しい瞳の持ち主がテオ、淡い翠の美しい瞳の持ち主がクリアです」


 動揺する俺に気づかないローズマリーが、そう言って二匹の瞳がよく見えるように俺へと抱き上げて見せてくれる。


 「くうん」


 「くうん」


 そして、まるでローズマリーの意図を理解し、俺に挨拶するかのように鳴く仔犬もどき、もといテオとクリア。


 汚れがひど過ぎてよく判らなかったが、よくよくその瞳を見れば、なるほど確かに淡い蒼と淡い翠をしていた。




 ん?




 「淡い蒼と、淡い翠の瞳」


 このような色の瞳を持つ魔獣や動物は居ない。


 ただひとつの存在を除いて。


 そう例外。


 特別な、その存在。




 しかし、あれは・・・。




 「パトリックさま?」


 考え込む俺を、ローズマリーが不安そうに見ている。


 「よし、テオ。目がちゃんと見えるようにしような!ローズマリーはクリアを頼む!」


 ローズマリーを心配させたくはないが、未だ確定でないことを言って不安にさせたくもない。


 結果、俺は、わざとらしい声をあげてテオの顔を洗い始めた。


 それにしても、この仔犬もどきその1、じゃなかったテオは、俺の言葉が判るかのように行動する。


 俺の言葉にこくりと頷くとか、いくら意思疎通が出来る動物とだって有り得ないのではないのか?


 いや、そもそもこいつは仔犬もどきであって犬ではないのだが。


 「テオもクリアも、お話しできるのですよ」


 思っていると、ローズマリーがとんでもないことを言い出した。


 「話が、出来る?」


 それこそ、そんな魔獣や動物がいるなど、聞いたことがない。


 「不思議ですよね。でも本当なのです。なんと言えばいいのか。テオとクリアは、二種類の声を持っているのです。耳から聞こえる声と、直接脳に届く声と。あら?でも、あの。パトリックさまにも聞こえているのではないのですか?」


 不思議、と言いつつ受け入れている様子のローズマリーが、俺も会話をしているのでは、と首を傾げた。




 俺に、二匹、テオとクリアの言葉は聞こえない。


 しかし、ローズマリーは、テオともクリアとも会話をしている、という。


 それは、つまり。




 「確実にテオとクリアが話をしたのは、ええと・・・そうです、戻ってすぐ、パトリックさまに抱き・・・いえあの、ぎゅっ、とされたときに会話しているのですが」


 言い淀むローズマリーを訝しく見れば、そこには恥ずかしさで真っ赤になったローズマリーが居た。




 可愛い。


 可愛いの権化がいる。




 先ほどまでの真面目な思考が一気に吹き飛ぶ勢いで脳内が花畑化した俺は、もっと可愛いローズマリーが見たくなり、その欲求に素直に従うことにした。


 「ローズマリー。俺に”抱き締められた”って言うの、そんなに恥ずかしい?」


 「きゃわんっ!」


 思い切り低音で、掠れぎみに耳元で囁けば、ローズマリーがそれはもう可愛い反応を見せてくれる。


 俺のこの声を耳元で囁かれるのが苦手らしいローズマリー。


 苦手、とはいってもそれは嫌悪ではなく、堪らない羞恥、という感じなのがとても嬉しい。


 「ローズマリー、可愛い」


 こんなにも可愛い姿は俺だけに見せて欲しい、と思いつつローズマリーを抱き寄せようとして、俺は、はたと手を止めた。


 泡だらけの水浸し。


 しかしそれはお互いなのだから今更、と思わないでもないが、『折よい場所に居ることだし、どうせ濡れているなら、このまま一緒に』などという不埒な考えを起こさないか?と自分自身に問うように両手を見つめれば、『起こさずにはいられない』という返事が即座にあったので、抱き寄せることは諦めた。


 「からかわないでください」


 そう言うローズマリーが、何処か複雑そうに見える。


 しかし、俺ほど強欲なことを考えているとは思えない。


 「からかってなんていない」




 そう、断じてからかってなどいない。


 俺はただ、もっと可愛いローズマリーを存分に堪能したいだけだ。




 それが嘘偽らざる本音である。


 本音ではあるが、だがしかし、そんなことローズマリーに向かって言う訳にはいかない。


 しかしそれは、”まだ”、”今だから”であって、やがては言ってもいい日が来る。


 俺が、己を止めずとも良い至福の日々が。


 そう、婚姻を結んだなら、それはもう、可愛いローズマリーを可愛がり放題。


 しかして、その前に課題はある。


 


 「ねえ、ローズマリー。ローズマリーは、俺に抱き寄せられたりするの、嫌?」


 俺はいつだってローズマリーが愛しい。


 だから、もっと触れていたいと思うのだが、もしかするとローズマリーはそういう俺を鬱陶しいと思っているのだろうか。


 大丈夫とは思いつつ、若干の不安を乗せて言えば。


 「嫌なはずありません」


 ローズマリーが即答してくれた。


 無理していないと判る、その声と表情。


 「そっか。良かった」


 それが本当に嬉しくて、俺は思わずローズマリーの可愛い額に唇を寄せる。


 「っ!」


 「抱き寄せられない代わり。後で、存分に抱き締めさせてね」


 何処の軟派野郎の言葉だ、と思わないでもないが、ローズマリー相手だと自然とこういう言葉が溢れ出てしまう。


 ローズマリー以外には、そんなこと考えもしないのに本当に不思議だと思う。


 いや、ローズマリーは俺の特別なのだから当然なのかもしれないが。


 「くうん」


 「くうん」


 「ごめんね!洗っている途中に失礼だよね!」


 すっかり手が止まっていた俺たちに催促するように仔犬もどきが鳴き、ローズマリーが焦った様子で洗浄を再開する。


 「で、話は戻るんだけど。俺がローズマリーを抱き締めたとき、確かにローズマリーはこいつらを気遣っていたよね。でも、会話していたのは知らなかったよ」


 漸く思考を切り替えて言えば、ローズマリーが驚いたように俺を見た。


 「え?テオもクリアもお返事してくれていましたよね?『へいきだよ!』『だいじょうぶだよ!』と」


 ローズマリーは不思議そうに言うけれど、俺は仔犬もどきの言葉など聞いていない。


 「今ここで、ちょっと会話してみてくれる?」


 もしかしたら、聞き逃しただけかもしれない。


 あるひとつの仮定を排除したくて、望みは薄いと思いつつ、俺はローズマリーに頼んだ。


 「そうですね。あのときは、色々混乱していましたし」


 ローズマリーの言葉に、俺も頷く。


 ローズマリーが消えたと報告されて、探しても見つからなくて、必死に気配を探った。


 そして漸く戻ったローズマリーは、泥だらけの傷だらけで、肝が冷えたのも確か。


 だから、聞き逃したのかもしれない、可能性は残っている。




 それでも恐らく、この二匹と会話できるのはローズマリーだけ。


 恐らく、こいつらは。




 思いつつ、ローズマリーを見守る。


 「テオ、クリア。何かお話ししたいのだけれど、いい?」


 言って少しして、ローズマリーが俺を伺う。


 どうやら、仔犬もどきが何かしゃべったらしいが、俺には聞こえていない。


 「テオ、クリア。もう判っていると思うけれど、こちらがパトリックさまよ。パトリックさま、って呼んでみて?」


 そう言ったローズマリーが、少し間を置いて何故か真っ赤になった。


 状況的に、俺を真っ直ぐ見つめてくる仔犬もどきが何か言ったのだろう、とは思う。


 聞こえはしないけれど。


 「なに?ローズマリー。もしかして今、こいつらが何か言ったのか?」


 一体、何を言われればそんなにも赤くなるのか、と気になる。


 「ふうん。ローズマリーが真っ赤になるようなこと、をこいつらが言った訳か。俺という婚約者の目の前で、何を言われたらそんなに真っ赤になるのかな?」


 仔犬もどきは、俺を真っ直ぐ見ていた。


 だから恐らく俺関係のことなのだろう、と予測できる。


 出来るだけに、何を言われたのか、がとても気になってしまう。


 「そ、それは」


 「俺には言えないこと?」


 ずい、と顔を近づければ、ローズマリーは何を思ったか仔犬もどきを俺へと押し付けるように壁を作った。


 「い、今、テオとクリアは、わ、私が一番好きなのはパトリックさまで、パトリックさまが一番好きなのは私だと!言ったのです!じ、実は、も、森を抜け出すきっかけになったのも、その!パトリックさまのお名前だったのです!テオとクリアに私の一番好きなひとで、私を一番好きなひとの名前を呼ぶように言われまして!で、私がパトリックさまの名前を呼びましたら胸ポケットが光って道が出来まして!その道を歩いていたらパトリックさまに辿り着いたのです!ありがとうございますなのです!でもあの、パトリックさまの一番は判らないのに勝手に言ってしまい、申し訳ないですっ!」


 そして、仔犬もどきを盾にしたまま、ローズマリーは早口でとても可愛いことを言い出した。


 最後の一部を除いて。


 「謝る必要は微塵も無いよ。俺の一番好きなひとはローズマリーで間違いないんだから。むしろ、判らないのに言ってしまった、とローズマリーに言われる方が嫌だから。ねえ、ローズマリー。そのことを忘れないで」


 なので、俺はローズマリーが二度とそんな風に思うことのないよう、強めに言った、ら、脅すような声音と表情になってしまったらしく、ローズマリーがやや怯えたようにこくこくと頷いた。


 そんな仕草も可愛いけれど、俺に怯えさせるのは本意ではない。


 ないのに、こくこくと頷く仕草が可愛い、と思う気持ちが溢れて止まらない。


 「そうやって、必死に頷くローズマリーも可愛い」


 溢れて音にまでしてしまった。


 しかし怯えさせるのではなく、どろどろに甘やかしたい。


 怯えるのではなく、心委ねて存分に甘えて欲しい、と想いを籠めて見つめれば、必死な感じで俺を見つめ返していたローズマリーが、やがて力尽きたように沈み込んだ。


 俺の瞳の熱に溶けた、と思うほど能天気ではない俺は、またも仔犬もどきが何かを言ったのだろう、と推測する。


 「うん。また何か言われたんだな、ってことはよく判るよ、ローズマリー。でも、俺には聞こえない」


 「え?聞こえない?」


 ローズマリーと仔犬もどきが何か会話をしているのは、間違いないと思う。


 しかし俺には、仔犬もどきの言葉は聞こえない。


 そう結果を告げれば、ローズマリーが訝しい表情になった。


 「うん。恐らく、この二匹と会話が出来るのはローズマリー、君だけだ」


 その事実が示すひとつの結論に、身の引き締まる思いがする。


 「でも先ほど、パトリックさまはテオもクリアも言っていることが判るようだ、と・・・あ!」


 「そう。判るようだ、と感じるだけで、聞こえている訳ではないんだ。でも、この二匹は俺の言っていることを理解しているとは思う」


 理解の早いローズマリーを嬉しく思いつつ、俺はローズマリー以外の人間の言葉も理解しているだろう二匹を見た。


 「ねえ、テオ、クリア。パトリックさまが言っていることは判る?」


 俺の推測を確定させるべく、ローズマリーが二匹にそう聞いてくれる。


 「テオもクリアも、パトリックさまが何を言っているのか理解できるそうです」


 「うん。さっきからそんな感じはしていた。けれど、俺に二匹の言葉は判らない。つまり、一方通行だ。ね、ローズマリー。この二匹に名前を付けたのは君?」


 「はい、そうです」


 そして思った通りの答えに、仮説は仮説でなくなった。




 障害を越えてその身を助け、名を授ける。


 そして、その言葉を聞くことが出来る唯一の者。


 それは。




 俺の緊迫がうつったかのようなローズマリー。


 


 ローズマリーは、どんなものからも絶対に護る。




 「ローズマリー。ここまでの経緯を詳しく説明して欲しい」




 覚悟を決めて、俺は浴室全体に遮断の魔法をかけた。


 







ブクマ、評価ありがとうございます。

とても嬉しく、励みになります。

読んでくださってありがとうございます。

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