6-18 剣祇祭
「六之介様の過去、ですか」
「そう、翆嶺村に来る前、つまり、前の世界について」
瞳を閉じれば、ぼんやりと浮かび上がる景色。どれもこれもろくでもない、醜悪な思い出だ。
「そこではね、ずっと戦いがあったんだ」
「ずっと?」
「うん、何十年もね。ここで問題です。自分たちは何と戦っていたと思う?」
「不浄のような存在、でしょうか?」
「ぶぶー、外れ。ヒント……助言とでもいえばいいのかな。君も知っているものだよ」
口元に手を当てながら、考え込む。しかし答えは出ないようで、ヒントを付け加える。
「数が多くて、頭もそれなりに良くて、とても残酷で、ええと、有性で、言葉を話して……」
察したのだろう。複雑な表情を浮かべる。
「……人間、ですか?」
「ぴんぽーん、大正解。そう、そこでは人間同士が争っていたんだ」
「ど、どうしてです? 何十年も何故?」
「資源だよ。あとは、土地と権力」
海底資源、領海、領土、領空。小指の先程でもいい、少しでも多く、それらを欲したことで生じた負の連鎖。戦争だった。
「そんなもののために……」
「ふふ、そんなものか……君たちにとってはそうかもしれないけど、向こうでは何よりも重要だったんだ」
口ではそう言いながらも、自分もくだらない争いだと嘲笑していた。
「では、続いての問題です。そのために用いられていた兵器はなんでしょうか?」
「ええと、兵器……爆弾とかでしょうか?」
「お、半分正解だよ。そう、最初の頃は爆弾だったんだ。それもとんでもない威力のね。魔導官署の執務室、あそこに入るくらいの爆弾があるんだけど、それの威力はどれくらいだと思う?」
「ええっと……この神社が無くなるくらい、でしょうか」
それもかなりの規模の爆発だ。だが、違う。
「ぶぶー、外れ。正解は、この御剣が無くなるくらいでしたー」
「!?」
華也が思わず立ち上がる。ここは高台である為、一望とまではいかないが、かなり遠方まで御剣の街が見渡せる。
「う、嘘ですよね?」
「本当だよ。核兵器っていうんだ」
ウランやプルトニウムの核分裂反応を利用した、人類史上最悪の兵器だ。
腰を抜かしたように、ぺたんと座り込む。
「核兵器ってのは、威力もすごいんだけど、厄介な点があってね。それは、爆心地を毒で満たしちゃうんだよ」
放射線による被害は、世界各地で告げられていた。数多もの土地が、不毛の焦土と化していた。滅んだ国など無数にあった。そして、数え切れない程の人間たちが、罪のない存在が無惨な姿で散っていった。
「で、でもそれはおかしくないですか? 領土争いなんですよね? 資源を争っていたんですよね? 毒をまき散らすようなものを使ったら……」
「君の言う通りだ、敏いね。そうなんだよ、だから核兵器を使うことは禁止された。実際、条約を無視して使うこともなかった。ただね、それに代わって、新たな兵器が導入されたんだ。それがなんだかわかるかい?」
だから、半分正解なのだ。もう一つ、真実がある。
「……分からない?」
こくりと頷く。当然だろう。彼女には、彼女だからこそ、浮かばないと分かっていた。否、浮かばないでほしかったのだろう。
「正解は、ESP……つまり、超能力者、サイキッカーさ。聞き覚えがあるだろう?」
華也の目が見開かれる。ぱくぱくと声にならず、口が動く。目の前にいる存在にくぎ付けとなっている。
「そう、自分を始めとする超能力者は、人間と戦うために造られた生体兵器なんだよ」
「……そんな、ことが……」
「あるんだよ、残念ながらね。じゃあ、ここで、自分たちがどうやって造られるのかを教えてあげよう」
華也は聞きたくないだろう。だが、ここまで来ては引き返せない。
「華也ちゃん、遺伝子って分かる?」
「え、あ、は、はい。ええっと、男性のせ、精子とじょ、女性のらん……」
顔が真っ赤である。皆まで言わせるのは酷であるように思えて、遮る。
「そう、その通り。それらが組み合わさって受精卵となり、子供が出来る。両親の形質が子に受け継がれるのは、それら中にある遺伝子のおかげなんだ」
存じておりますと、恥ずかしそうに呟く。
「じゃあ、形質はどうやって情報化されているかなんだけど、これは塩基配列によるものなんだ」
「えんき、はいれつ?」
「そう、アデニンとチミン、シトシンとグアニンの組が三十億対並んでいる」
「さ、三十億?」
そんなものが目視すらできないような受精卵の核に含まれているのだから驚かざるを得ない。生命の神秘だ。
「この並びによって人間の形質は決定するんだ。そして自分たちは……ああ、その前に一つ言うことがあったね。華也ちゃん、ご両親は元気かい?」
「え、ええ、元気ですよ。毎週のように手紙をくれますし、お野菜なども届けてくれます」
頻繁に届く郵便物は彼女のものだったのかと納得する。
「そう、それは良かった。君のことだし、言うまでもないだろうけど、ご両親は大事にするんだよ?」
「はい、もちろんです。ですが、どうして両親のことを?」
「自分にはね、両親がいないんだ」
「いない……戦争でお亡くなりになったのですか?」
「違うよ。『元からいないんだ』」
「え? え?」
「自分たち超能力者に両親はいない。先ほども言ったように、精子と卵子によって受精卵が出来、その中で遺伝情報が組み合わさる。基本的にそれは性交によって起こるけれど、自分たちは例外なんだ。自分たち、生体兵器の遺伝子は、俗に天才と呼ばれる優秀な人材の精子と卵子を集めて組み合わされたものなんだよ、体内ではなく人工子宮でね。加え。その際に遺伝子を弄ること身体能力や学習能力などが高くするんだ」
精子バンク、卵子バンクというものだ。世界各地の遺伝子が冷凍保存されている。その中からとりわけ優秀な精子と卵子を選出する。綺麗所だけで、人間を造りだすのだ。
「そんなことが可能なのですか?」
「出来ちゃうんだよ、困ったことにね。科学ってのも発展しすぎるのも困りものだよね。この技術を遺伝子組み換えって言ってね、実は超能力もこれによって付与されるんだ」
「三十億の塩基、対? を弄るのですか?」
「そう。正確にいうと、付け加えるんだよ。ただこれは新たな塩基による対だとか特別な並べ方だとか、企業秘密らしくて自分も知らないんだけどね」
最高ランクの機密として扱われていたため、それを知るものは世界でも片手で数えられるほどだという。
「さて、ここまでで分かったことは、自分、稲峰六之介は遺伝子操作によって造られた生体兵器だということだ。で、だ。これはスタート……始まりに過ぎない。ここからが本番だといっても過言ではないんだけど、聞くかい?」
「……正直、怖いです。でも、聞きます。聞かせてください」
強い目をしている。先ほどのような、自分に対する恐れのようなものは吹き飛んだのだろう。
「強い子だね、君は……そうだね、まず華也ちゃんにお願いしようかな」
「はい、なんでしょうか」
「自分を思い切り殴ってくれないか」
「ええ!? な、何故です? 嫌です、理由がありません!」
「はは、冗談だよ。じゃあ、一つ聞こうか。仮に、自分を殴っていたら君は何を感じるだろうか?」
「それは……嫌な感じがすると思います。罪悪感を覚えるはずです」
「そうだね、きっとそれが人間として正しい。でもさ、その罪悪感って、兵器が持つにしてはどうだろう?」
「どうって……」
「人を、生命を奪うための存在が、人を傷付けるたびに罪悪感を覚えていたらどうなるだろうか」
「それは……いつか、限界が来ると思います」
心が、耐えきれなくなる。
「そうだね、きっとそうだ。いや、現に精神崩壊を起こした超能力者は多かったんだ。だから、それを避けるため、超能力者を造りだした存在、『管理者』たちはある処置を施した。ここを触ってごらん」
首を傾け、一部を指さす。そこにはほとんど消えかかっており、肉眼では確認できないほどだが、さわると凸がある。華也がそれをゆっくりと辿る。
「傷、ですか」
「そう、脳手術の痕だよ」
「脳を手術出来るんですね……」
「あんまり驚かないね」
「もう、驚きすぎて、訳が分からなくなっています……」
「そうなるよねえ。で、だ。この脳手術、実は怪我とか病気を治療するためのものではないんだよ」
「では、これは……」
「脳の感情を司る部位の一部を切除するんだ、そのせいで自分は倫理観とかがおかしくなっているんだよ。兵器として、余計な感情を持たないようにね」
兵器として長持ちするように、改良する。数多もの人体実験の果てに得ることができた脳に関する情報、それを最大限に生かした結果である。
「……ひどい、そんな……ひどすぎます」
「今となっては、本当にそうだね。でも、当時は何とも思わなかったんだ」
麻痺していた、あるいは狂っていた、洗脳されていた。どれが正しいのだろうか。否、どれも当てはまるのかもしれない。ただ一つ言えることは、あの世界にとってそれは当たり前であり、六之介をはじめとする超能力者たちには人権も倫理も適応外だったということだ。
「だからね、華也ちゃん。自分は強がってもいなければ我慢しているわけでもない。本当に、住良木村で人を殺めたことに、何も感じていないんだ」
自身の手を見つめる。汚れ一つない手であるというのに、相も変わらず血濡れに見える。刺殺、絞殺、毒殺、斬殺、撲殺、殴殺、薬殺、轢殺、焼殺、溺殺、射殺、ありとあらゆる手段で敵を、人間を葬ってきた。女もいた、子供もいた。老人もいた。家族がいることを泣きながら訴える者たちがいた。
そして、自分の様に、超能力を付与され産まれたばかりの赤ん坊もいた。真っ白な無菌室で柔らかな毛布に包まれ、無邪気に眠る存在。罪などない、純粋無垢な存在。それを、何百人と殺めてきた。
殺した。皆、殺した。罪悪感も、疑問も抱かず、ただ命令のまま殺したのだ。
「名前も知らない人間だから、というわけでもない。例えば、そうだね、今この場で君を凌辱し、拷問の果てに殺害したとしよう。思いつくままに痛めつけ、人間としての尊厳を破壊するような行いをしたとしよう。自分は、それでも……何を感じないんだ。きっと変わり果てた君を見て、ただその場を去るだけだろう」
瞳を閉じ、魔導機関車に乗って話したことを思い出す。
「君に、魔導官と言う職種を薦められたとき、自分の命が大切だからと言って断ったね。あれは本音の半分なんだ。もう半分は……君が眩しかったんだろうな。真っ直ぐに誰かのために動ける君が。そんな君が属するような組織に、自分は入ってはいけない、そう思ったんだよ」
自分にはふさわしくない場所だ。もし、彼女と出会ったのがこちらの世界に来てすぐだったのなら、迷わずに魔導官になっただろう。そして、命令のまま、人形の様に動いていた。だが、翆嶺村での二年間が自分を変えた。
命の尊さを、美しさを知った。それがどれほどかけがえのないものかを知った。同時に、自分自身を嫌悪した。
今まで、何をしていたのか。
戦争だった、命令だった、そうしなければ、自分が処分されていた。それはそうかもしれない。だが、しかし。過去は、奪ったものは変わらない。
運が悪かった、時代が悪かった。それだけで片付けていいのだろうか。納得できるだろうか。
「華也ちゃん、自分のことで気に病まなくてもいい。それは何の意味もなさない、君が辛いだけだ」




