7-10 正義のミカタ
「他のみんなは?」
居間で腰を下ろし、羊羹を飲み込んだ華也が問う。
「ほとんどが挨拶回りだ。私はもう済ませている」
立場上、訪問先が多いというのにさすがだなぁ、と緑茶を啜る。
「ふふん、なんせ華也が帰ってくるもんだからね、もう全力で走り回ってたよねー」
にやにやとしながらからかうような口調である。兄はおほんと大きく咳払いをする。
「せ、せっかく妹が帰ってくるのだ。実家にこんなのしかいないとなれば、可哀想だろう」
「こんなのとはなんだ、こんなのとは」
由香が羊羹を頬張る。
贔屓にしている和菓子屋の慣れ親しんだ味である。
「年頃の女性が、そんな栗鼠のように頬張るものではない。誰も取りはしない」
「ふぃっふぁふぉっふぁふぇーふぉ」
「何を言っているんだ……」
「知ったこっちゃねーよ、ですかね……」
由香は何度も大きく頷き、華也の肩を抱く。分かってくれたことが嬉しいようだ。
「そうか……さて、と」
「どこか行くんですか?」
「ああ、式場の手配について少しな。由香、華也に迷惑をかけるのではないぞ」
そう言い残し、一臣は屋敷を後にする。
「んく……まったく、こっちが姉だっつーの」
「あ、あははは」
確かに、この姉はややだらしのないところはある。行動に粗雑さは見られ、口調も一際荒い。だが、年長者らしくないなどいうことはない。むしろ、胆の座り方、親族でもずば抜けた行動力は見習うべきものであり、華也にとっては敬愛すべき姉であることに違いなかった。
「由香姉さま、改めて、ご結婚おめでとうございます」
折り目正しく、深々と頭を下げる。
「へへ、ありがと、華也。いやー、しかし、私が結婚できるとはね。現実は小説より奇なり、ってね」
足を崩し、胡坐をかく。同じように礼儀作法は教えられているため、当然由香も華也と同じように振る舞うことができるが、どうにもなじまないということで、このような男性の様な仕草が良く見られる。母がいたのなら、それを咎めることはあったかもしれないが生憎不在である。
「どういった経緯で出会ったんですか?」
由香の行動力は極めて高い。思い立ったが吉日と、考えなしに動くことが常である。しかし、積極的に外出するかと問われると否であった。意外にも彼女は所謂引きこもりというものに近い。これは文筆業を生業としていることに起因しており、毎日のように自室に届けられる書籍に目を通し、感想や寸評を書き、出版社に送る。そして時に散文や随想を執筆する。それが彼女の日常である。文筆家、特に小説家の中には日ノ本全土に足を運び、筆を走らせるものも存在するが由香それを一切しなかった。というのも、外出すれば必ず遊んでしまうというためだという。
そんな生活をしているため、新たに人と出会うということは少ないはずだ。どのようにして、伴侶となる人と出会ったのか、純粋な興味があった。
「んー、お母さんにお使い頼まれて、酒を買いに行ったんだよねえ。そこで、そのなんというか、一目惚れされたみたいでね。なんか手紙とかもらって、やりとりしてたら告白されたって感じ」
「文通ですか! いいですねえ、浪漫ですよ」
恋愛小説のような始まりに華也の目がらんらんと輝く。魔導官といえど、十代の乙女、恋に焦がれることは自然である。
「そう? 徒歩十分の距離だよ? 直接来いっての、あのへたれ」
姉の事はよくわかっている。このように悪口をいう時は照れている証拠であり、相手の事を悪く思っていないことも意味している。
素直ではない由香の口ぶりにくすりと笑いがこぼれる。
「なによ?」
「いえ、姉さまが悪く言うときって、相手の事を……そうですね、憎からず思っている時ですよね」
その言葉に、かっと頬を赤くさせる。わたわたと腕をぜんまい仕掛けの人形の様に動かす。
「な、なにをいって!」
「だって、一臣兄様のこともそうですし、今食べてる羊羹も初めて食べた時に甘すぎると言っていましたけど、今ではここのものしか食べないじゃないですか」
そこまで言うと、骨がなくなったように崩れ落ちる。気づかれていないと思っていたのだろうか。親族の間では随分と昔から知られている事柄である。
よほど恥ずかしかったのだろう、耳まで真っ赤である。どう声をかけたものかと考え込んでいると、跳ねるように上体を起こし叫ぶ。
「うっがああ! 私のことはどうでもいい! それはそうと! あんた! あんたはどうなの? 私と違って引きこもってるわけじゃないんだし、いい人の一人や二人見つけた!?」
「ええ、私ですか!? えっと、その……ど、どうでしょうかねえ……」
矛先が自分に向くとは思っても見なかった華也は露骨に大きく動揺する。
由香としては、自身にとって好ましくない状況であるため、無理やり話題をそらしたのだが、妹の予期せぬ反応に内心驚く。色恋沙汰の「い」の字もなかった末妹。親族であるからこそ、彼女の想いがより明確に分かった。もっとも、まるで嘘のつけない質であるということも大きいのだが。
「……もう、うちの妹、世界一可愛い! 本当に嘘つけないのねえ、いい子いい子。言ってみ、ほれほれ、言ってみ?」
攻守交替と、にやにやと笑う。
ええとと口ごもると、白桃を思わせる頬に若々しい血潮が走る。そして、花の咲くように次第に唇を開いた。
「……その、えっと、まあ、ちょっとだけ気になるというか……放っておけないというか、一緒にいたいというか……」
一言一言は吹けば消えてしまいそうなほどにか細く、小さい。それがなんともいじらしく由香の笑みは深まる。
「少し、危なっかしいところがあったり、時折暴走してしまったりもするんですけど、そういうときに支えてあげたいといいますか……」
思い出すように、あるいは思いを込めるように、時折瞼を閉じる。
「うむうむ、うむうむ」
「利己主義者を名乗るのに徹しきれず人助けをしてしまったり、すごく強いのですけど繊細な部分が見え隠れするところとか……」
これまでの日々を思い出す。出会ってから、三か月にも満たない。しかし、とてもそうとは思えないほどに多くの思い出を共有してきた。初めは変わり者の民間人だと思っていたが、超能力を持つ異世界人で、なんでも出来るようで料理ができなくて、だけれども飲食が好きで、誰かと仲良くすることが苦手で、とても冷酷な時もあれど、本人は気づいていないだろうけれど性根は優しくて。
「……そんな、人なんですけど、私なんかでは不釣り合いかもしれませんけど、その……好き……あ! いえ、違います! 好きじゃないです!ああ、違う! 好きですけど、そういう好きとは違うというか!」
思わずこぼれた言葉を取り消す。しかし、取り消してもいいものだろうか。好意をもっているのは紛れもない事実である。だが、この流れでは曲解されるのは火を見るよりも明らかである。いや、曲解であるのだろうか。そもそも自分自身、この感情が以下様なものであるのか、はっきりとした形を捉えきれてはいないのだ。
次々と言葉が浮かんでは脳内をぐるぐると駆け回り、一周して戻り、再度駆ける。堂々巡りで、答えが出そうにない。
「ええっと……姉様?」
うつむいて押し黙ってしまった姉の姿に思わず声をかける。表情は影となって見えないが、小さく肩が震えている。体調でも崩してしまったのであろうか。
「……吐きそう」
「ええ!? で、では洗面所か厠に……」
「……砂糖」
「え?」
「砂糖吐きそう」
何を言っているのかの首をかしげると、由香はその場で飛び上がり、叫ぶ。
「ちっくしょおおおお、いいなあ魔導官! 魔導官いいなあ! 青春じゃねえかよ! ああ、もう自分の結婚とかどうでもよくなったわ。あんたの実体験を元に一本小説書きたい。書かせて?」
胸元から手帳と鉛筆を取り出す。文筆家だけあってか、かなり使い込まれているようで、傷みが目立つ。
小指ほどの長さになった鉛筆を起用にくるくると回し、目を血走らる様は身内であっても恐ろしく感じてしまう。それはさておき、今彼女に告げるべきことがある。
「恥ずかしすぎて死んでしまいますやめてくださいお願いします」
深々と頭を下げた。




