待って、それ大丈夫!?
数日後。
廊下を歩いていると、聞き覚えのある声が耳に入った。
「エレノアお嬢様。」
侍女が恭しく頭を下げる。
「本日の王妃教育は中止との連絡がございました。」
「そうなの?」
エレノアは少し驚いたように目を瞬かせた。
「ええ。本日はお部屋でごゆっくりお過ごしください。」
「分かったわ。ありがとう。」
エレノアは微笑み、そのまま自室へ戻っていく。
私はその場で立ち尽くした。
(……嘘。)
(王妃教育は中止じゃない。)
原作にそんな出来事はない。
これはアンナの仕業だ。
(始まった……。)
九年間の悲劇が、静かに動き始めた。
◇
どうしよう。
このままじゃ駄目だ。
でも、どうやって伝えればいい?
「それ、嘘ですよ。」
なんて言えるはずがない。
理由を聞かれたら終わりだ。
私は廊下を行ったり来たりしながら頭を抱えた。
(落ち着け、私。)
(考えろ……。)
(何か、自然に話せる方法……。)
ふと昨日の刺繍を思い出す。
「……そうだ。」
私はエレノアの部屋へ向かった。
コンコン。
「お姉様、セシリアです。」
「どうぞ。」
部屋へ入ると、エレノアは机に向かい、本を読んでいた。
「あら、セシリア。」
「今日はどうしたの?」
「刺繍の続きを見ていただきたくて。」
「もちろん。」
いつものように優しく笑う。
二人でソファへ腰掛け、刺繍を広げる。
糸を通しながら、私は何気ないふうを装って尋ねた。
「今日は王妃教育がお休みなんですね。」
「ええ。」
「王宮から連絡があったそうよ。」
「へぇ…珍しいですね。」
疑問を持たせたくて私はわざと言葉にする。
エレノアも少しだけ考えるように視線を落とした。
「そうね。」
「今まで一度もなかった気がするわ。」
(そう!)
(そこ!)
思わず期待が膨らむ。
けれど。
エレノアは穏やかに微笑んだ。
「でも、王宮にもご都合があるのでしょう。」
「今日は課題を進めることにするわ。」
そう言って教材へ視線を戻す。
私は何も言えなくなった。
(違う。)
(休みじゃない。)
(騙されてるんだよ、エレノア……。)
喉まで込み上げた言葉を、私は飲み込むしかなかった。
◇
「失礼します。」
私は一礼して部屋を出た。
扉が静かに閉まる。
(駄目だった……。)
(何も変えられなかった……。)
もどかしさに小さくため息が出る
「セシリア。」
…!
不意に名前を呼ばれ、肩が跳ねた。
振り返ると、アンナが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「お、お母様。」
なんだろう。笑ってるのに声かけられるだけで身構えてしまう。
「エレノアと仲良くしてくれるのは、とても嬉しいわ。」
「ですが。」
アンナは柔らかな口調のまま続ける。
「これから王妃教育も忙しくなります。」
「お部屋へ伺うのは、ほどほどになさい。」
「勉強の邪魔をしてはいけませんよ。」
「……はい。」
「あなたは優しい子ですもの。」
「きっと分かってくれるわよね。」
「はい、お母様。」
アンナは満足そうに微笑み、その場を後にした。
私は動けなかった。
(……やっぱり。)
(アンナはわたしの異変に気付いてる。)
(エレノアに近づかせないようにしてるんだ。)
背中を冷たい汗が伝う。
(さすが黒幕…鋭い……。)
◇
自室へ戻ると、私は静かに扉を閉めた。
そのままベッドへ腰を下ろし、大きく息を吐く。
「はぁ……。」
何も変えられなかった。
それどころか、アンナには完全に警戒されてしまった。
(怖すぎでしょ……。)
たった数日。
それだけで私の変化を見抜き、エレノアへ近づけないよう釘まで刺してきた。
この人は、やっぱり甘く見ちゃいけない。
(でも……。)
エレノアは助けたい。
このまま何もしなければ、九年間の悲劇は始まってしまう。
そう思った瞬間、一人の青年の姿が頭に浮かんだ。
隣国第二王子、レオン。
絶望の中にいたエレノアへ手を差し伸べた人。
あの出会いがあったから。
二人は恋をして。
幸せになれた。
(……待って。)
私ははっと顔を上げる。
(もし今、未来を変えたら。)
(レオンとは出会えなくなるんじゃ……。)
胸の奥がざわつく。
エレノアは助けたい。
でも。
エレノアとレオンの未来も守りたい。
(えぇぇぇぇぇ…。
(ど、どうしよう……。
私は答えを見つけられないまま、天井を見上げた。
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