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過去の濁流は加古の清流とともに  作者: 藤田大腸


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転校生・新開桃李

 六月初め。衣替えで半袖の制服に切り替わったその日のことだった。


「何やこれ……?」


 兵庫県立加印高校二年一組、山本汐里(やまもとしおり)は自分の教室に入った途端に異変に気づいた。


 自分の席の後ろに、別の席が出来ていたのだ。


 三十五人学級で一列につき六席ずつ配置しても、一番端の列だけ五席にしかならない。その一番後ろの廊下側、隅が汐里の席であった。


 寝ぼけてるのかと思い目をこすってもう一度見直し、席数を数え直したが、やはり三十六人目の席が出没している。ちょんちょんと触ってみたが、ちゃんと感触はある。幻ではない。


「おいっす。どないしたん?」


 汐里の隣の席から気だるそうに挨拶してきた、小柄でぱっつんボブの、スクエアタイプの眼鏡をかけた生徒は籠谷翠(かごたにすい)。一組の学級委員で、汐里とは中学時代からのつきあいである。


「おはよう翠ちゃん。この席何か知らん?」

「今日転校生入ってくるんやて」

「は? 転校生!? 六月入ったばっかやのに?」


 季節外れの転校生はフィクションの世界にしか存在しないものだと思っていた。念のため、前の席にいる男子生徒の川端大和(かわばたやまと)にも聞いてみる。彼も汐里と同じ中学校の出身である。


「川端くん、転校生来るってホンマなん?」

「うん、前から部内でウワサになっとった」


 座ったままで振り向き、幼さが残る声色で答えた。身長も汐里とほぼ変わらず中学生のように見えるが、これでも野球部員である。


「しかし何で今頃……

「そこまでは俺もわからん。誰が来るんかも知らんけど、俺より背がちっこいのがいいなあ」

「翠ちゃんみたいなのがええってこと?」

「籠谷は二人も要らんで」

「何でや、ウチみたいな性格良い女が増えたら楽しいやろがい」


 翠が浮かべた憎たらしい笑みは、本人の性格を如実に物語っている。


「まあ冗談は置いといてさ、何か転校生について情報無いの?」


 汐里が聞いたところ、翠が答えた。


「東京から来るらしい、としか聞いてへん」

「東京かあ……いろいろと大丈夫かな」


 加印高校の所在地は兵庫県加古川市。瀬戸内海の播磨灘に面する地方都市である。神戸市と姫路市という二つの大都市のベッドタウンの面と、播磨臨海工業地帯の一角を担う工業都市の面を持ち合わせている。また、都市名の元となった一級河川、加古川が滔々と流れている風光明媚な地でもある。


 しかし東京では恐らく、神戸や姫路に比べて馴染みのない名前の都市かもしれない。転校生はおしゃれな港町・神戸と同じ土地柄だと勘違いしてないだろうか、と汐里は懸念していた。


「まあ間違いなく言葉遣いにビビるかもしれへんな。ウチらが使う方言は日本一汚い言われとるからな」

「籠谷みたいなしゃべり方な」

「やかましいわ、ダボ」

「ほら、すぐこれやし」


 目の前の漫才に、汐里は吹き出してしまった。


「おはようございまーす」


 軽い挨拶とともに、担任の後藤祐樹(ごとうゆうき)が入室してきた。今年三十歳になる男性教師だが、体格がガッシリとしていて貫禄がある。生徒たちは一斉に席に着いたが、汐里は後ろが気になって仕方なかった。


「みんな知っとるかもしれへんけど、今日から転校生が入ってくる。みんな仲良くしたってな」


 入って、と後藤教諭が声をかける。


「失礼します」


 大きく凛とした声とともに入ってきた転校生を見て、汐里は思わず「うおっ!?」と驚きが口から飛び出そうになった。翠は「ほえー」と小さく感嘆の声を漏らし、大和は「マジでえ?」と信じられなさそうに呟いた。他の生徒はみんな目をひん剥いている。


 転校生は女子であった。スカートよりもスラックスが似合う中性的な容貌である。背丈はざっと見積もって百七〇センチ台半ば、スラリと伸びた手足、少し淡い茶色のボーイッシュショートに、涼しげな目。何の変哲も無い公立高校の制服がきらびやかな衣装に見えてくる。汐里は一瞬、学園ドラマの撮影に来た芸能人かと錯覚しかけたほどであった。


 一言で表すのなら、王子様。それ以外の言葉が汐里には浮かばなかった。


(な、なんかエライ子が来よったな……)


 転校生は自分の名前を黒板に書き、自己紹介を始めた。


新開桃李(しんかいとうり)です。出身地は東京で、以前は聖峰学院高等部に通っていました」

「えっ、バリお嬢様やん……」


 翠がボソッと呟いた。


「そうなん?」

「東京の大学に行っとるウチのいとこから聞いたもん。いとこの大学が聖峰学院の近所なんで生徒をよく見るんやけど、会社の社長令嬢とか芸能人の娘とかとにかく金持っとる子しかおらん。とにかくヤバイ学校や言うてたわ」

「言われてみたら確かに、お嬢様オーラが出とる気がするなあ……」


 顔立ちの良さだけでなく、たたずまいにも気品がある。両手は手先までピシッと伸ばして腿につけていて背筋をピンと張り、表情は不安げではなく自信に満ちあふれている。


 後藤教諭が言った。


「新開さんは実家の仕事の都合でこっちに引っ越してきた。まだここの生活に慣れてへんところもあるやろうから、みんなでサポートしたってな」


 自発的に複数人から「はいっ!」という声がした。若干女子生徒の声が大きかったように思える。


「何かわからんことあったら学級委員の籠谷さんに聞いて」


 翠は右手を上げて「何でも聞いたってよー」とフレンドリーな態度を見せた。


「不束者ですが、よろしくお願いします」


 ぴったり三十度の敬礼。翠は思わず恐縮してか、「う、うんよろしくー」と少々しどろもどろになった。


「じゃあ、廊下側の一番後ろに席があるから座って」

「はい」


 汐里の方まで歩いてくる。彼女の目には桃李がモデルのように映って、通路の一つがランウェイのように見えてきた。側まで来て、名前を名乗ろうとしたが喉につっかえて言葉が出てこない。


「あ……あの私……」

「この子は山本汐里っていうねん。ええ子やから仲良うしたってな」


 翠が手助けしてくれたが、自分で名乗れなかったことを恥ずかしく思う。


「山本さん、よろしくお願いします」


 王子様スマイルを向けられ、心の中でうわああ、と叫んでしまった。いつもは登校直後に残っている眠気も、とっくに霧散していた。

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