エピローグ
今日もまた、一日が終わろうとしている。雪国であるシュネーノルディア王国は、他国に比べて一足早く冬が到来する。
フィオリア王国に近いとはいえ、山間の高原地帯にあるロートヴィル村にも冬の始まりを告げる風が吹き始めていた。凛と張り詰めたような冷たい空気に、微かな雪の匂いを感じ、本格的な冬の到来が近いことを予感していた。
昼間はまだ作業をしていれば寒くないが、夜に近づくにつれ冷え込んでくる。吐く息は白く、夕日が山の向こうに沈んでしまう前に片付けを済ませてしまおうと、アルエットは作業を続けていた。
「アルエットちゃーん! あんた大変よ、大変!」
家のある方角から、伯母のリタが足を縺れさせながら慌ただしく走ってくる。いつも朗らかに笑っている伯母が息を切らしながらアルエットの元へと辿り着く。
「どうしたの、リタおばさん」
「どうしたもこうしたもないよ! あんたを訪ねて、領主様のご子息が来てるって! 教会の、元聖騎士団長の方の!」
その瞬間、すぐに一人の顔が浮かんだ。元聖騎士団長ということは、シーニュで間違いない。アルエットは片付けようとしていた農業用フォークを壁に立てかけ、駆け出す。
心は期待に逸り、転がり出すように足が動く。朱に染まる村の風景に目もくれず、懐かしい姿を探して道の先だけを見ていた。
村の入口へと続く道を走っていると、一人歩いてくる男性の姿を見つける。柔らかくて淡い金の髪に、質の良さそうな紺色のコートを羽織っており、遠目から見ても一発で貴族とわかる姿が長閑な村の風景から少し浮いていた。
「久しぶりだな、非常勤騎士殿。君の腕が鈍らないよう鍛えに来た」
「あははっ、一応簡単な自主練は続けてるけどね。遠くから大変なのに来てくれてありがとう! 歓迎するよ!」
久しぶりに見たシーニュの姿。騎士団の制服姿ばかり見ていたが、私服だとまた少し印象が異なる。制服姿には凛とした厳格さが漂っていたが、私服は高貴で静謐な雰囲気がある。
本当に……本当に来てくれたんだ……!
村へのお誘いを、冗談だと流されてしまったかもしれないと思っていた。けれど、違った。
夕闇の空をそのまま溶かしたような彼の瞳の色が目の前にあることに、心が高揚していく。彼が律儀な性格で本当に良かった。
「じゃあ今日は約束通りチーズフォンデュパーティー……って、材料あったかな。あ〜、うちにチーズしかなかったらどうしよう! 手紙くらい寄越してくれたら良かったのに!」
チーズが潤沢にあっても絡める食材がなくては、チーズフォンデュは始まらない。ソーセージやにんじんくらいならあっただろうか。さすがにその二つだけでは侘しすぎる。他にももう少し何か欲しいところだが。
「相変わらず君は賑やかだな」
「シーニュも相変わらずだよ。人生つまんなそーな顔してる」
「……これから面白くなるところだ」
どの面でそれを言っているのか。全く楽しくなさそうな顔を鏡で見せながら、本当にそう思っているのかと問い詰めたいくらいの無風の表情だというのに。
「チーズフォンデュも楽しみではあるが、干し肉は……あるだろうか。君や伯父上たちにもと、合いそうな酒も持参したんだが」
「ホント、干し肉好きだね! どんだけ気合い入ってんの?」
ほとんど無表情に近い顔をしているくせに、心の中ではものすごく楽しみでうきうきしているのが行動に表れている。こんな一面もあるのかと、声を出して笑ってしまった。
「我が領主アーヴェントロート辺境伯家のご令息で、天下の元聖騎士団長様が、こんな食い意地張った人だって知ったら……シーニュの威厳は一発でおしまいだね」
「それは大丈夫だ。滞在と君への返礼として、いろいろと持参した。村の皆も喜んでくれるだろう」
「金で全部ねじ伏せる気満々じゃん!? これだから貴族様はさぁ〜……」
何を持参したのかは知らないが、あれこれと提供して懐柔する気満々だ。愛想がなくて村に馴染めない可能性を資金力で潰そうとしてやがる。それが不器用な彼なりの誠意であることはもうわかってはいるので、目を瞑ることにした。どうせみんなも喜ぶだろう。
「……まぁ、いいや。うち行こ、うち」
「あぁ」
シーニュの手を取って引っ張ると、彼はクスッと微かに息を漏らした。何もおかしなことはしていないはずなのだが、彼が面白く感じる瞬間が独特すぎてよくわからない。
夕暮れの道を歩いていき、牧場へと戻る。伯父とモーガンと伯母のリタが二人で顔をつきあわせて何か話し込んでいるようだった。
「モーガンおじさーん! リタおばさーん! シーニュが来たよー! 今日チーズフォンデュしよー!」
シーニュの手を離し、大きく手を振りながら二人の元へと走る。近づくにつれ、伯父と伯母の困惑と驚きに満ちた表情が鮮明に見えてきた。二人は手を握り合い、互いの顔とこちらをオロオロと交互に見つめる。
「し、シーニュ様が……!?」
「アルエットちゃん、本当にシーニュ様にチーズフォンデュなんてお出しして大丈夫なのか!?」
「うん、私が約束したやつだから大丈夫。それより材料あるかな? 準備は私が──」
「いい……いい、いい! そんなのあたしがやっとくよ! せっかくシーニュ様があんたに会いに来たんだ、ゆっくりしといで!」
伯母は「早く確認しなくちゃ」と呟くと、普段なら絶対にあり得ないような速度で家へと戻っていく。いつもおおらかでゆったりと構えているのに、あんなに速く動くこともあるのかと驚いた。
「シーニュ、まだそんなとこいるの? ボサーッとしてないで早くこっち来なよー!」
「アルエット!? そんっな馴れ馴れしい態度は……!」
「だーいじょうぶ。トランチェレスティナでもずっとこんな感じだったけど、別に怒られたことないし」
遠巻きで立ってるシーニュを手招きして呼ぶと、珍しく嬉しそうな表情でこちらへ歩いてくる。こうして見ると、無表情は無表情でも、初めて会ったときよりは表情や眼差しが柔らかくなっているような気がした。
「ねぇ、シーニュはどこ泊まるの?」
「どこか宿があればそこに……」
「こんなド田舎にあるわけないじゃん。建てても秒で潰れるよ」
シーニュは小さくても中継地になっているような街や村と勘違いしているのだろうか。ここ、ロートヴィル村は終着の地であり、この先に続く道は森や山に続いているだけで、村や街はもうない。たまに登山をしにきた奇特な旅人が立ち寄るくらいで、観光資源にも乏しい村に宿など建つわけもなかった。
「ねぇモーガンおじさん、ロネットの部屋空いてるし、うちに泊めていいかな?」
「それはシーニュ様さえ良ければ……粗末な家ではありますが……」
「粗末じゃないでしょ。暖炉も個室もあるんだからさ」
「こ、こら、アルエット。シーニュ様から見ればうちなんか牛小屋みたいなもんなんだから……! シーニュ様、大変な失礼を……この通り素直すぎる娘で……」
「あぁ。さすがにもう、知っている」
シーニュはアルエットを見つめながら、柔らかく穏やかに目元を和らげる。淡々とした響きの奥に、血の通った温度を宿して。
やっぱり、少しだけ表情が豊かになってる。
それは騎士団長という重責や、エルシーを『攻撃反射』によって害してしまっているという日々に、でき得る最善の形で終止符を打てたからかもしれない。
どうかもう彼が「殺してくれ」と頼まずにいられる日々でありますように。せっかくここまで足を運んでくれたのだから、過去に負ってきた痛みや苦悩で擦り減った心が癒やされますようにと願っている。
「モーガン殿、突然の来訪で迷惑をかけてすまない。しばらく世話になっていいだろうか?」
「もちろんですとも! 精一杯もてなさせていただきます。では、部屋の方を整えておきます。アルエット、シーニュ様にくれぐれも粗相のないようになっ」
「はいはーい」
アルエットは駆け足で家へと戻っていく伯父を、小さく手を振って応えながら見送った。
「急過ぎてさすがに迷惑をかけてしまったな。君の言う通り、手紙の一つでも送るべきだった」
「ほーらみろ、私の言った通り。君は自分がどんだけ偉い立場なのか自覚が足りてないよ。罪深いよねぇ〜」
「すまない。騎士暮らしが長かったせいかもしれない……」
「聖騎士団長は十分偉いと思うんだけど、麻痺してる?」
シーニュはたまにどこかズレたことを口にする。それが至って真面目で本気なのか、自覚があってあえてズレたことを言っているのかわからなくなる。
けれど常識が欠落している人というわけではない。むしろ礼節や言葉遣い等を含めて、そういったことはアルエットなんかよりもシーニュの方が何倍も詳しい。
「っていうかさ、なんで手紙送らなかったの? 私を驚かせようとしたとか?」
「……まぁ、そんなところだ」
シーニュは少しの間のあと、山の向こうに沈む夕日を見上げながら、そっと囁くように呟く。小さな温もりを感じる声は、冬の冷えた空気に淡く溶け消えていった。
「私、片付けてから行くから、先に家帰ってていいよ。日が暮れて冷えてきたし」
「俺にも手伝わせてくれないか? 一人で戻ったら、君の伯父上たちを震え上がらせてしまいそうでな」
「……あはは! 確かに!」
あれだけシーニュに対してガチガチに緊張していたのだ。シーニュだけ向かわせれば伯父たちを無駄に驚かせてしまうかもしれない。自分でも聖騎士団での生活でシーニュと長く接してきたからこうして話せるだけで、ほぼ初対面のような状態ならさすがに緊張するだろう。
「右も左もわからないな……指示してくれると助かる」
アルエットが片付けを始めると、シーニュは一番近くにあった桶を手にしたが、行場をなくしたように立ち尽くす。少し戸惑いを見せながら、じっとアルエットへと視線を向けていた。
「そっか、今度は私が教える番だね。サイラス式で厳しく扱いていこうかな……」
「それは……お手柔らかに頼む」
二人の視線が交わり、同じ人物の姿と彼の容赦のない追い込み式の訓練方法を思い浮かべながら、ふっと笑みを零し合う。
なんか、ちょっとくすぐったいな……
夕日が山の稜線へと消えていく。夕闇の紺色を引き連れて、柔らかな茜色が淡く柔らかく滲んでいる。
片付けを終えたアルエットは、シーニュの手を掴む。彼へ視線を向けると、空と同じ色の瞳が温かくアルエットの姿を映していた。
当たり前の日常。そんなものはこの世のどこにも存在しない。変わり映えしなかった今日が、明日も続く保証なんて一つもないのだから。
流れ星のように輝く今を追いかけて、積み重なった一日一日がアルエットの足跡になった。毎日、明るく楽しくいられたわけじゃない。孤独な夜も、涙の夜も、怒りの夜も、いくつも越えてきた。けれどまた、心から笑える今を過ごしている。
明日はシーニュを連れて何しようかな……
今日という今を後悔なく、明るく楽しく生きる。ただそれだけで良かった。それだけで良かったはずなのに、不思議と今は明日が来るのが少し楽しみで、そこに小さな期待を抱いている。信じられなかった明日を信じてしまうのは──きっと、この突然の来訪者のせいなのだろう。
薄暗闇の中、二つの影が隣り合う。小さな影が、大きな影の手を引いて、帰るべき場所へと向かって歩いていく。
それは、未来を信じないように生きてきた者と、折り重なる過去の罪に絶望してなお死に損なった者の道が、音もなく──重なった瞬間でもあった。
【あとがき】
エピローグをもちまして、「『絶対正義』の聖女は救われたい」が完結いたしました。
最後までお付き合いくださった方、途中まででも読んでくださった方、全ての読者の皆様に、心から感謝申し上げます。
もしよろしければ、評価やブクマ等、反応をいただけますと今後の励みになります。
本作は以前投稿した「嘘が匂いますね、公爵様〜愛を騙る夫の後悔〜」よりも前に執筆し、書き溜めていた作品でした。
元々は異世界恋愛ものとして設定を組んでいたのですが、『絶対正義』×『攻撃反射』×『無効化』の構造ができたとき、恋愛軸ではなくファンタジーとして書こうと決め、執筆しました。
前述の「嘘が匂いますね、公爵様〜愛を騙る夫の後悔〜」が、初めての長編×令嬢もの挑戦作とすれば、今作は私自身がファンタジーに魅せられた原点へと帰るような内容になっています。
元々私は、ゲームに出てくるような魔法で戦う女の子のファンタジーに憧れる子供でした。
なので今作は「剣と魔法の世界で戦う女の子も良いよね」という方に届いたら嬉しいなと思っています。
自分は何も取り柄がないと感じている女の子が、一つの出会いをきっかけに大きな物語の渦に巻き込まれていく。特別な宝石にはなりきれないけど、原石のように荒削りな精神力と仲間との絆で障害を乗り越える。
ハラハラと切なさと、それでも最後には穏やかさと温もりを感じられるようなラストになっていましたら幸いです。
これからも執筆を続けていきますので、もし新作でもご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
重ねてになりますが、ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。




