6.
案内先の下見と根回しをすべて終え、アパートに戻ったころには十時を回っていた。
熱めのシャワーで汗を流し、ベッドに腰かけて二十度に設定したエアコンの風を受けながら発泡酒のプルタブを開けた。
半分ほど飲んで落ち着いたところで会社支給のパソコンを開け、柏田部長のメッセージを確認した。
文言は、
〔林(Lin)副総経理の市場視察及び訪問先一覧と予定を添付します。タクシーはフルに使っていいので、くれぐれも粗相のないように〕
とあった。
詳細は添付ファイルを見よ、ということか……。
ファイルの一行目を見た隼人は思わず声に出していた。
「おいおい、羽田着4時半って正気かよ」
入国審査と手荷物の受け取りがあるとしても、遅くとも5時までにはウェルカムボードを持って到着ロビーで待機していなければならない。
そのあとは、文字通り、分刻みのスケジュールだった。
市場視察というからショッピングでもさせるのかと思ったら、豊洲市場の見学には国会議員の秘書らしき人物が同行するらしい。
次は野瀬経済研究所の所長を表敬訪問、続いて三星商事本社がある丸の内に移動してデベロッパーと思われる人物を交えた打ち合わせに出席。その出席者の要人とランチを取るピッツェリアで及川先輩と交代だ。
このピッツェリアは確か、海外の観光客に人気で、一年先まで予約が埋まっていると聞いたが、よく取れたものだ。
スケジュールは詳細で、連絡先にも抜けはなかった。
柏田部長に電話する時間でもないし、質問も特になかったので、
〔ファイルを確認しました。林氏アテンドの件、承知しました〕
とだけメッセージを残した。
しかしこいつ、何とか有限公司の……、何者だろう。それに副総経理という役職もピンとこない。でもまぁ、航空会社がLCCだし、肩書きに副が付いているのだから経理の中間管理職か何かだろう、と隼太は高を括った。
とはいえ『粗相のないように』と二度も念を押されている。
遅刻は赦されない。
働きバチだかマネージャーだか知らないが、きっと、一分一秒を無駄にしたくないご仁なのだ。それは理解できる。
よし! 久々に “恐怖の目覚まし時計” を使おう、と隼太は決めた。まさに、ここ一番だ。
隼太は、あのオネエ店長のことばを思い出して、朝、起きる自分をイメージしながらカリカリと目覚ましのゼンマイを巻いた。
それから、電波制御の腕時計の、正確な時間を見ながら時計の針を合わせた。
タクシーはフルに使っていいという言質を得ているので、行きも適宜使わせていただくことにして……、3時には起きたい。
すると睡眠時間は4時間か。
まぁ、何とかなるだろう。
それから隼太は、一年以上袖を通していなかったスーツを出して肩の埃を払い、ネクタイを選んでハンガーにセットした。
玄関には靴も並べた。
スマホはいつも通りマナーモードにした。下手に鳴ると、目覚まし時計の恐怖効果が薄れてしまうかもしれない。
準備万端、抜かりがないことを確認してベッドに入った。
☆
翌朝の6時。
隼太のスマホは5時からずっと、何度も何度も、断続的な振動を繰り返していた。
当の本人はベッドのなか、気持ちよさそうな寝息をたてて安眠中だ。
このとき、隼太の心に奥に潜んでいた一番の恐怖。それは、寝過ごすことだった。
恐怖の目覚まし時計は、隼太の恐怖に正しく共鳴して午前3時からずっと、優しい、歌うような音で子守唄を流し続けている。
ふいに、表の通りを救急車が通り抜け、サイレンの音が静寂を切り裂いた。
その音で刮っと目を開けた隼太は、すっかり明るくなっている窓を見て、時計を確認するまでもなく、しでかしたことを悟った。
顔面から血の気が引き、手が震えた。
そのとき、再び、スマホが振動したのに驚いて鼓動が跳ね、息が詰まった。ディスプレイに表示された発信者名は “柏田部長”
隼太は通話ボタンを見つめたまま震え続けた。
歯の根が合わなかった。
《了》
“夏のホラー「音」” というお題に沿って、ちょっと、普通とは違う感じのホラーを思いついたので書いてみましたが……、ど、どうでした?
怖い?
怖くなかった?
怖くなかったらごめんなさい (-_-;)
(怖いと思うんだけどなぁ…)
以下、宣伝です。
今、長編の連載をやっていますので、よろしかったら覗いてみてください。
1話目はこちらです ↓
https://ncode.syosetu.com/n5685lw/1/
前編と後編に分かれていて、前編が〔狂犬チワワ〕後編が〔浮遊する存在〕
前後編で、裏表のような構造になっています。
今、20エピソードを超えた辺りですが、まだまだ続きます。




