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すきま時間の短編【恐怖の目覚まし時計】*夏のホラー企画参加作品  作者: 伊藤宏


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1/6

1.

この作品は、6話で完結する短編です。

「ちょっとぉ!」

 後ろから大声を浴びせられた伊勢隼太は、たった今走り抜けたJR藍ヶ崎駅の中央改札を振り返った。

 傍らに太った女が髪を乱して仁王立ちしている。気のせいか、目の奥が赤く光ったように見えた。


 何なんだこの女。

 こいつになんかしたっけか。


 いや。

 さっき押し退けたのは気弱そうな男子高校生だったはず。

 見れば、その、透き通るくらいにひ弱な高校生は改札ゲートの足元に倒れ込んでいた。


 ……しまった! 

 赤地に白抜きのハートと十字。これはヘルプマークだ。女の目が非難めいていた理由はこれか。


 だが待て。

 弱者だろうが障がい者だろうが守るべき社会のマナーは一緒だ。誰もが一刻を争う朝の通勤駅で、改札機の前まできて定期を探し、焦って財布ごとタッチして拒否られているバカが悪い。そんな奴は押し退けられて当然だ。

 

「ふっ」

 ある思いが頭を過った。

 きっと、もてない女が目の前で引き倒された可憐な男子に母性本能でも刺激されたんだ。


 隼太が、踵を返して東口の階段に向かうと、

「待ちなさいよぉ!」

 再び鋭い声が追いかけてきたが、ここは無視だ。

 今日は朝イチで専務臨席のチームミーティングがある。トラブルなんぞに(かかずら)っている余裕はない。遅刻しそうなのだ。


 隼太が東口の階段を二段飛ばしで駆け下りて路上に出たとたん、刺すような陽射しに晒された。

 今日も暑くなりそうだ。

 早くも噴き出した額の汗を手の甲で拭い会社に向かって駆け出した。

 

     ☆


 想い出コマース株式会社の前身は、板倉智也社長が大学生だったころに始めた新幹線乗車券のチケット販売業だ。

 今では種々のチケット割引きと、国内外の旅行取り扱い、ガイドの手配などを行う、旅行とエンタメ関係の何でも屋だ。登記上は旅行代理店ということになっている。

 社長は半年前、これらの業務をすべてネット上に移行すると宣言し、社名を、想い出トラベルから想い出コマースに変えた。だが待っていて契約が取れる業界ではない。弱小は、営業力頼みなのだ。



 四半期ごとのチームミーティングでは、普段、在宅や直行でばらばらに動いている営業部員が一同に集められ、皆の前で業績を発表し合う。そのあと、次の四半期の行動計画を立て、自ら設定した契約ノルマを、営業部長と専務取締役に承認してもらわなくてはならない。

 入社二年目の伊勢(いせ)隼太(はやた)と三年目の佐知川(さちがわ)庸太(ようた)はノルマ未達成の常連で、ふたりはこの会議のことを “公開処刑” と呼んでいる。


 隼人が息を切らして会議室に飛び込むと、ミーティングは、営業部のエースである及川姫乃が部長席に向かって何やらプレゼンテーションしてるところだった。

 傍らに控えていた武藤専務が隼太に気付いて言った。


「誰だお前は」


 武藤専務は、想い出コマースが、まだ想い出トラベルだったころ、社長が、旅行業を強化しようと中堅旅行代理店からスカウトしてきた専門職だ。

 ザ・中年の風貌と、昔ながらの営業スタイルで、裏では皆『武藤のオッサン』と呼んでいる。

 この先、業務がネット上に移行すれば、このオッサンに居場所はない。それを察してか、最近、機嫌が悪い。


「は? あ、あの、遅れてすみません、出ようとしたら改札ゲートが急に故障しまして」

 本当は故障ではなく、トロい男子高校生が分厚い財布のままタッチしようとしてゲートに拒否されていただけだが。


「お前は誰だと訊いている」

 当然見知っているはずだ。なのに、なぜ誰何(すいか)されているのだろう。

 隼太は首を傾げた。


「えっと、伊勢、隼太、ですけど」

 専務は「伊勢ぇ?」とわざとらしく訝しむと、タブレットを何度か叩いた。


 そして心臓に悪い、長い長い間を取ったあと、苦渋に(しか)めていた顔をふっと緩めると、

「あぁ、すまんすまん。お前、戦力外のフォルダに入ってたわ」

 と(のたま)った。


「ひっでぇ」

 思わずこぼれたひと言に、

「お前なぁ、旅行業の人間に遅刻ってのはタブーなんだ。今日のミーティングは期首から予定してあっただろうが。おまえ、営業が戦力外だったら、早く来て飲み物用意しとくくらいの気ぃ回したらどうなんだ」

 武藤専務は鬼の面容に戻っていた。

 こういうのを何ハラスメントって言うんだっけ? と考えてはみたものの、会議室の長テーブルに、カラフェに入った麦茶と紙コップが並べてあるのを見れば反論の余地はない。こういう抜かりない対応は、どうせ及川先輩に決まっている。



 聞き逃したミーティングの冒頭は及川先輩の華々しい営業成績だったようだ。

 そのあと、目標達成に至る武勇談をたっぷりと拝聴したあと、成績2番手の佐伯蓮花さんと、及川先輩の指導後輩で成績3番目の鈴木弥太郎の順調な業務進捗の報告が行われた。


 最後は、目標どころかノルマさえ未達成の佐知川庸太(ようた)と2クール連続の最下位である伊勢隼太の番だ。

 当然、誇るべき実績などないので、全員の前で自己反省のことばを述べるしかない。これだけでも充分屈辱的なのに、大して社歴の変わらない弥太郎にまで企画提案のアドバイスをされた。これが公開処刑たる所以だ。

 続いて、次クールの行動計画と自分に甘いノルマを掲げ、上方修正の圧力がかかる前にと「次は、必ず必達します!」と先手を打って宣言したら、及川先輩から「必ず必達って、何?」と笑われていやな汗を掻いた。


 ちなみにチームにはもうひとり、子供がまだ小さくてフルタイムで働けない中谷聖子さんがいるが、彼女は生活の事情を考慮されて出席を免れているし、数字もとやかく言われない。



 朝のダッシュと精神的滅多打ちで疲労困憊した隼太はランチに康太を誘った。

「なあ、ワシワシ食堂いかね?」


 こういう日はドカ食いに限る。


「ああ、いいね。じゃ、ちょっとフライングするか」


 時刻は11時51分。目標達成組は既に専務たちとトルコ料理のご褒美ランチに向かっている。

 柏田部長は、一応全員に声を掛けたのだが、ノルマ未達のふたりが針の筵を嫌って断ってくるのは想定内なのだ。


「庶民はシシケバブより生姜焼きだよな」


「だな。あと唐揚げ!」


 負け惜しみではない。カタカナの洒落た食いものより、食べなれた庶民の味の方が好きだ。

 ちなみに、隼人は悩んでいても食欲が落ちない。そのうえ、今日は寝坊したせいで朝食を食べそこなっていて腹ペコだった。

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