第三章 雲と太陽 五:逃走(二)
ミサキが連行された二日後、ハルトも任意同行を求められた。
「取り調べにご協力ください」
丁寧だが有無を言わせない、圧の強い口調。農場で出荷の準備をしていたハルトは、何がなんだかわからず、防水エプロンをしたまま警察車両に乗せられた。警察署に入り、取調室に入れられる。定められた説明ののち、警察官がビデオのスイッチを入れるとすぐに、目つきの鋭い私服の男が入って来た。政治犯担当の刑事と名乗ったその男は、ハルトの向かいに座ると、
「タサキ・リョウを知ってるね」
と尋ねてきた。ハルトは、とっさにその名前を思い出せなかった。病院で診察を受けただろう、と言われて、ようやく昨年末のことを思い出したが、それ以外にリョウのことを知る由もない。そう答えると、刑事は納得したような、しないような顔になった。
「あんたは、まだ記憶が戻らないのか」
「だいぶ戻ってきてはいるんですが」
「じゃあ、どこで暮らしていたのか思い出したのかい」
「それが」
しどろもどろで、過去の時代の記憶しかない、と説明したが、相手は納得しない。ハルト自身も、これで納得してもらうのは無理だろう、という思いだ。千五百年前の世界から来たなんて、いったい誰が信じるというのか。ハルトが話せば話すほど、刑事は呆れ顔になった。
「あんた、まだ病気が治ってないんじゃないか」
「すみません、僕にもよくわかりません」
「別の医者に、よく見てもらったほうがよさそうだ」
刑事はそう言うと、隣に立っていた警官のほうを向いた。
「病院に措置入院の受け入れを依頼しろ」
唖然としているハルトに、刑事は冷然と告げた。
「あんたの言ってることはさっぱりわからないから、もう一度よく頭の中を調べてもらえ。住民カードとタブレットは預かる。役所にも問い合わせて、過去の通信記録も調べさせてもらう」
「とんだことになったな」
巡回と称して閉鎖病棟の個室を訪れたヤマダ医師が、ハルトをねぎらった。
「何があったんですか」
「ニュースを見ていないのか」
「すみません」
「タサキ博士が指名手配されている」
ヤマダ医師はハルトに、宇宙飛行士が逮捕されたこと、それにからんでタサキ博士が指名手配されていること、ミサキが勾留されていることを簡単に説明した。
「そうだったんですね」
アン=ジョージ事件は知っていた。わざわざ探さなくとも、毎朝号外ニュースがタブレットに表示されてくる。初めは、宇宙飛行士の逮捕に驚いて記事をクリックしていたが、やがてあふれかえる報道に食傷気味となり、今はまったくニュースを見ていない。その間に、こんなことが起きていたなんて。
「公安は、ニッポン出身者がアン=ジョージ事件にからんでると聞かされて、何が何でも手柄を挙げたいんだろう。ハルトの措置入院も、ハルトが博士とコンタクトを取っていないか調べたいが、拘留する理由がないから、監視下に置いとこうってわけだろうさ」
「診察を受けただけの患者が、取調対象になるんですか」
「ハルトは仮戸籍だからな」
ヤマダ医師の声に同情が混じった。
「タサキ博士は、複数のタブレットを使って仲間を募っていた。そのタブレットの入手先を公安は知りたいんだと思う。ハルトは何も持たずにライトに現れた。どこかに住民カードとタブレットを置いてきたか、あるいは、誰かに譲り渡したか」
そうか、とハルトはようやく自分への嫌疑を理解した。
「僕が記憶喪失のふりをして、タブレットを博士に渡したって思われてるんですね」
「おそらくな」
ハルトはため息をついた。自分ですら信じられない自分の境遇を、最初から疑いの目で見ている第三者が信じてくれるとは思えない。どうやらこの事件が解決するまで、かなり不自由な状況を強いられることになるのは確実だ。
「入院は二週間の予定だが、外は大衆の好奇心を金にしようとする連中でいっぱいだ。取り調べを受けたと世間が知ったら騒々しくなるかもしれない。病院が一番静かだろうから、その先もここにいたかったらいられるように診断書を書くし、出たかったら農場に戻ればいい」
「ありがとうございます」
また来る、と告げて、ヤマダ医師は病棟を立ち去った。入れ替わりに病棟の看護師がやって来て消灯を告げ、部屋の灯を消した。ドアを施錠する電子音がちいさく聞こえた。
廊下にともる非常灯のぼんやりした灯が、監視窓から射しこむ。ハルトは、今日一日の出来事を反芻しようとしたが、頭が動かない。なのに気持ちが昂って眠れない。
――サカタ先生は、大丈夫だろうか。
ノースアメリカから招へいしたくらいだから、先生と博士は親しいのだろう。もしかしたら、特別な関係なのかもしれない。だとしたら、先生もいろいろ聞かれているに違いない。それよりも、こんなことになってショックだろう。それとも、先生は何かを知っていたのだろうか。
浅い眠りに入っては巡回の看護師のひそやかな足音に目が覚める。そんなことを繰り返すうち、廊下を往来する足音が多くなり、電子音とともにドアが開き、看護師が検温にやってきた。
いくつか脳波などの検査をしたあとは特に診察もなく、ハルトは病室でただぼんやりと時を過ごした。窓のない個室は昼夜もわからず、ただ食事や入浴などの行動リズムだけが、おおざっぱに時を刻んでいく。閉じ込められている割には囚人という感じはしなかったが、トイレにドアがないことにだけは閉口した。時折刑事がやって来て、タブレットの通信記録などのことを聞いていく。だが、この世界に知り合いはほとんどいないから、通話記録も通信記録もないに等しい。情報の少なさに、刑事たちはかえって不審を募らせたように見える。
「あんたは、ほんとにどこから来たんだ」
何度もそう聞かれたが、自分にもわかりません、と繰り返すしかない。一昨年の九月、この病院に運ばれた際も警察が身元を調べたが、一切該当がなかったのだ。今回は行政区を越えて調査が入ったようだが、どこにもハルトのいた痕跡はなかったのだろう。刑事たちのいらいらした様子から、ハルトの捜査に関しては、行き詰まりの状態になっていることが伺えた。
これから、どうしたらいいんだろう。
ハルトは、途方に暮れた。ササヤマ農場にも迷惑をかけた。いまごろタカシが一人で仕事をこなしているのかと思うと、申し訳ない気持ちだった。こんなことになって、これから先も置いてもらえるのか、それもわからない。
もうじき二週間になるころ、ヤマダ医師がふたたび病棟を訪れた。
「少しやせたんじゃないか」
医師にいわれたが、ハルトは自覚がない。
「何もせずに食べてばかりだから、太ったかと思ってました」
薄く笑ったハルトの憔悴した顔に、ヤマダ医師は眉をしかめた。
「明後日で入院期間が終わるが、ハルトはどうしたい」
「ほかに行き先がないですし、まだ置いてもらえるなら農場に戻りたいです」
「そうか」
うなずいたヤマダ医師は少し黙った。何かを言おうかやめようか迷っている様子に見えた。
「戻らないほうが、いいでしょうか」
不安になったハルトが尋ねると、いや、と医師は首を振った。
「そんなことはないと思う。だが」
そういって、また黙り込んだヤマダ医師は、だがようやく意を決したように顔を上げた。
「ハルトに、頼みがある」
「なんですか」
「ここから、逃げてくれないか」
えっ、と思わず声が大きくなったハルトを、しっ、と制して、ヤマダ医師が声を低めた。
「ハルトは、スーリア党という政治政党を知っているか」
「わかりません」
「クラウディとは異なる紫外線防御システムを運用して、太陽をとり戻そうという政党だ」
「政党が、太陽を」
ハルトは、政治政党が科学技術と結びついていることがうまく理解できなかった。
「政治政党が、技術の提供をするんですか」
「そうとは限らない。思想だけの政党ももちろんある。だがもともと現政権も、クラウディを開発したことで世界政府を構築したんだ。それに対抗する政党だってあるさ」
「ああ、そうか」
ナツミから見せてもらった教科書に書いてあった。クラウディを作ったオズマという技術者が、世界政府の初代大統領。その流れを汲むのがクラウド党で、現在も世界政府はクラウド党が担っている。だが、スーリア党の名前は初耳だ。そして、太陽をとり戻すという公約も。
「俺は、スーリア党の中でこの地域の連絡役をしている」
ヤマダ医師は低い声で語る。
「スーリア党の仲間は世界中にいるが、現政権はクラウディ以外のシステムが運用されることをひどく警戒している。俺たちは、いま現政権からもっとも嫌われている政党と言ってもいい。公安などはテロリストと同一視しているような風もある」
真剣な表情。ヨウコと一緒に食事をした時の剽軽な「タバちゃん」とは、別人のようだ。
「俺たちがどんなに民主主義社会の政党として公明正大に活動し、正当な方法で技術の提供を提案しようとしても、クラウド党の支配する政府にことごとく邪魔される。研究者も次々に職を追われた。このままでは、どんなに技術を開発しても、太陽を地上におろすことがかなわない。だから、俺たちは協力してこっそりクラウディのシステムを変えようとしている。グリアン――タサキ博士も、そのメンバーだ」
あまりにも壮大な話にぽかんとした表情になっているハルトに、ヤマダ医師は言葉を続ける。
「俺たちは、太陽のある世界を知っているハルトに、力を貸してほしいと思っている。いま退院しても、ハルトは公安の監視下だ。当分不自由が続くだろう。監視が厳しくなるともう声をかけられなくなる。それで、今日思い切って話をしに来た」
ハルトは、まだよく事態が呑み込めなかった。混乱する頭を整理しながら、ハルトはええと、と思いついたことから尋ねていく。
「その、太陽を地上におろすというのは、具体的にはどうやって」
「オゾン層を再生させる」
ヤマダ医師の言葉に、ハルトは、ああ、とつぶやいた。そもそもこの世界は、オゾン層を喪ったがために雲が必要になった。オゾン層の再生がかなえば、地球は安全な太陽を迎えることができる。だが。
「そんなことが、可能なんですか」
千年近くもかなわなかった再生が、そんなにすぐに可能なものなのだろうか。
「システムはもう動き出している。そして、去年からオゾン層は少しずつ再生している。学会でも発表された」
「そうなんですね」
「計算上では、今年中に北半球で、雲がなくても安全な状態を作れるはずなんだ」
ハルトはしばらく考え込んだ。思ってもいなかった事態と、想像もしなかった展開。
「僕が、もし行ったとして」
ハルトはヤマダ医師の言葉を脳内で反芻しながら問うた。
「先生は、僕が何の役に立つと思っていらっしゃるんですか」
「ハルトは、雲のない空は青いと言っていただろう」
「はい」
「俺たちには、そんなこともわからない。空気の質感、安全な太陽が頭上にある感覚。それを、仲間たちは知りたがっている。そして、その感覚を広く有権者に知らせたいと考えているんだ。ハルトの一枚の絵に、太陽への憧れを想起する人々がいるかもしれない。我々は、我々の実現しようとしている世界の理解者が一人でも欲しいんだ。ハルトに、助けてほしい」
ハルトは、ふたたび沈黙した。少しヤマダ医師の話が見えてきたが、ハルトにとっては、政治のことよりも農場のことが気になった。まだ自分が必要とされているなら、タカシやアカリ、ナツミのいるササヤマ農場に戻りたかった。そこはハルトにとって、見知らぬ世界の中で初めて自分を受け入れてくれた、そしてようやく自分の居場所となりつつある、大切な場所だった。
「少し、考えさせてください。考えの整理がつかなくて」
「もちろんだ」
ヤマダ医師は、うなずいた。
「話を聞きたかったら、いつでも診察を申し込んでくれ。そうしたら入院の手続きをする」
開いていたドアの外にふたたび足音がして、看護師が顔をのぞかせた。
「ヤマダ先生、監視カメラ切りました?」
「ありゃ、空調を入れようと思ったんだが」
「また間違えましたね」
「すまんすまん」
言いながら、ヤマダ医師は立ち上がり、じゃあお大事に、と言って部屋を出る。看護師が室内を見回して、ドアを閉めた。




