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クラウディ  作者: 蕃茉莉
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第三章 雲と太陽 二:アンカレジ(一)

「どうも不思議ですよね」

 環境省のデスクで、環境専門官のスズキ・タイジが資料をスクロールしながら首をかしげる。

「なにが」

 すさまじいスピードで電子決済を処理していた、クラウディ管理課長のビル・ホワイトが顔を上げた。

「去年の、紫外線環境学会の資料なんですけどね」

 タイジは手汗がひどく、いつもハンカチを握りしめている。

「ああ、オゾン層が少し再生してるらしいっていう」

「それです」

「いいことじゃないか」

「そうなんですけどね」

 昨年、NC四七三年十一月、上空のオゾン層が極北から再生しつつあるという発表が紫外線環境学会で発表されて以降、チームのメンバーは寄ると触るとこの話題でもちきりだった。

「地球がそういう段階に来たということだろう。それより、君のところに来てる申請、早く回してもらえないか」

「あああ、すみません」

 タイジはタオルハンカチで手汗をいて画面を切り替え、申請書のチェックを始めたが、しばらくすると手を止めて画面を凝視した。

「ミスターホワイト、ちょっとこの申請書、見てもらえませんか」

「どれ」

ビルは椅子を滑らせてタイジのPC画面に顔を近づけた。

「クラウディのシステム修正の申請なんですけど。不具合があるって」

「不具合」

「クラウディのプログラムなんて、ここ百年変わってないじゃないですか。更新しないプログラムにバグが発生するってこと、あるんですか」

「なくはないが」

 ずいぶん予算がでかいな、とビルが首をかしげるのに、タイジがうなずいた。

「転送します。僕の承認は保留でお願いします」

「そうしてくれ」


 ビルはタイジから転送されたデータを熟読し、その日の夕方、申請を出したクラウディメンテナンスチームのもとに足を運んだ。

「修正が必要なことはわかったが、こんな大がかりな予算を使わなくてはならない不具合があって、今まで運用に問題はなかったのか。システム会社がどう説明してきたかを知りたい」

 ビルが担当者のカルロスに問うと、カルロスは分厚い肩をすくめた。

「それが、しどろもどろでしてね」

 宇宙ステーションでのクラウディシステム運用管理を、いまの企業が国から受託したのはNC四七三年一月。その前の受託企業が運用していたシステムをそのまま使いながら確認を進めていたところ、昨年末になって、引き継がれた設計書と実際のプログラムが異なることが判明したのだという。

「理由がわからないというんだ。前の受託会社に問い合わせても、そんなはずはないの一点張りだそうで」

「そんなことで予算を通せるわけがないだろう」

「とは思ったんですけど。まあ、紫外線量が増えたわけじゃなし」

「受託企業の担当者と話がしたい。取り次いでくれないか」

「ラジャー」

 カルロスは、その場で担当者に連絡を取り、ビルとのミーティングを設定した。

「そこまで確認を終えてから申請を上げてくれよ」

「とは思ったんですけど。俺は細かい話が苦手でね」

 ははは、と笑うカルロスを軽くにらんで、ビルは足早にメンテナンスチームのオフィスを出た。時計は一六時二七分。廊下の窓から見えるビル群はとうに闇に覆われて、省庁の窓がまるでシックな電飾のように闇を彩っている。一月のアンカレジの夕暮れは早い。残りの決済の処理時間を頭の中で考えながら、ビルはエレベーターのボタンを押した。

「どうでした」

 執務室に戻ったビルに、タイジが話しかける。

「とりあえず企業側の担当者に直接話を聞くことにした」

「それが一番いいですね」

 タオルハンカチで手をくと、タイジはデスクの上を片付けた。

「僕はそろそろ失礼します」

「最近タイジは朝方シフトだな」

「そうなんです。いま妻のつわりがひどくて。買い物をして帰らないといけないんで」

「それはそれは」

 お大事に、と和やかな視線でタイジを見送って、ビルは残りの決済処理に取りかかった。


 世界政府は、紫外線量の少ないアラスカ特別区のアンカレジに置かれている。大統領府と議会、および最高裁判所があり、それを取り囲むように省庁ごとに生活のためのコロニーが作られている。各省のコロニーは、その中で職員の生活すべてが整うようにできていた。

 タイジは階段を使ってロビーにおりると、コートのえりをあわせて玄関を出た。ぴ、とちいさく個人認証システムが音を立てる。LRTの乗り場まで歩くあいだに、オフィスの中で温まった身体はすっかり冷えてしまう。

「外は身体に悪いなぁ」

 つぶやいて、タイジはポケットの中でタオルハンカチを握りしめた。

 タイジが環境省に入省したのは七年前。最初はニッポン行政区の分所にいたが、二年前に本省へ異動となり、アンカレジに来た。妻と二人、最初に飛行機の窓から荒涼とした風景を見た時には、とんでもないところに来てしまった、と思ったものだ。世間から見れば出世コースかもしれないが、環境の変化を好まないタイジにとって、荒れ地に点在する極北のコロニー暮らしは、憂鬱でしかなかった。

 冷蔵庫の中身を思い返し、今夜のおかずを考えながらも、タイジの脳裏からは、紫外線環境学会の資料が離れなかった。


 オゾン層の状態は、ここ五百年変化がない。というより、ほとんど存在が観測されていない。それがここにきて突然再生しはじめた理由がわからない。タイジは、子供のころからオゾン層に興味を持って、その再生に寄与したいと大学へ進学した。だが、当時はオゾン層の研究は反政府勢力を助長させるものとして強く制限されていたから、大学の授業はまったく興味を持てないものばかりだった。

 なんとなく楽に取れそうな講義を受けて、なんとなく単位をとって大学を卒業し、なんとなく国家試験を受け、なんとなく環境省に入省した。そこで出会った女性と結婚し、まもなく初めての子が生まれようとしている。人生に何の不満もないが、満足という充実感もない。そんなタイジにとって、オゾン層再生のニュースは久々に胸躍るものだった。

 オゾンは植物の周辺に多いが、上空に運ばれる間に分解されて酸素になってしまう。地上からオゾンを再生するには、よほどの酸素濃度がないと難しい。かつて地球上にオゾン層ができるまでには、三十憶年の歳月が必要だった。どこから考えても不思議な再生現象。

「次はニュータウン、終点です」

 LRTのアナウンスに、タイジははっと我に返った。

「いかん」

 考え事に夢中になるあまり、乗り過ごしてしまった。これから買い物に寄ったら夕食作りが遅くなる。今日はあるもので作ろう。タイジはすごすごとした足取りで車両を降りて、出発ホームに来ていた車両に乗り換えた。席に座ると、冷蔵庫の中身を思い出しながら、タブレットを取り出して料理アプリを立ち上げた。

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