第二章 キャラバン 五:果てのない旅(二)
バイカル湖を出発した一行は、撮影を繰り返しながら南にある山脈を超え、モンゴル地区に入った。コロニー伝いにウランバートルへ着いたのは、その年もあと三日を残すばかりとなった年の暮れ。「モンゴル」と呼ばれるこのエリアは、もともと移動しながら生活する文化が根付いているため、キャラバンに寛容な風土がある。町の外にテントを張って滞在できるスペースがあるのも特徴的だった。だが、そのスペースはすでに他のキャラバンのテントで満員だったので、サラディンたちはコロニーから少し離れた雪原でキャンプをすることにした。
「こんな面倒見のいいコロニーがあるんだな」
「砂漠中のキャラバンが集まったようだ」
オマール夫妻が町に買い出しに行っている間に、メンバーは照明を立ててテントを張った。オマール夫妻が戻るころには、ナランとナユタが食事の支度を終えて、一番大きなテントの中に設けたテーブルに皿を並べていた。個々の寝場所を整えた仲間が、腹を空かせて集まって来る。カメラを持たない裏方の、一番忙しい時間だ。
「コロニーの周囲は賑やかだったぞ。キッチンカーまで出てる」
「いいな、俺も行ってみるかな」
夕食を摂りながら、メンバーが雑談に興じる中、サラディンは静かに外へ出た。
「サラディン、どこに行くの」
大皿をテントへ運んでいたスアードは、サラディンが車に向かうのを見て声をかけた。
「プティングができたのに」
「探検だ」
日付が変わるまでには戻る、と告げて、サラディンは車に乗り、走り去った。
町に入ると、サラディンはポケットからタブレットを取り出して電源を入れた。メッセージに記された場所を時々確認しながら人混みをすり抜けるように歩いて、細い路地を入ると、突き当りにちいさな酒場があった。古い木のドアを引くと、右手にカウンター、左手には小さなテーブルがいくつかあって、何組かの客が談笑している。カウンターの一番奥に、きちんとした服装をした男がひとり。サラディンの姿を見て右手を挙げた。サラディンは男の隣に座り、モンゴルハットを被ったバーテンダーに、
「蒸留酒をロックで」
と告げた。
「連絡が間に合ってよかった」
サラディンが言うと、男は含み笑いをしながらうなずいた。
「驚いたよ、ウランバートルとは。今年はビシュケクと言っていたのに」
「ちょっと事情があってシベリアに行っていたんでな」
「シベリア」
「うん」
卓上に置かれたグラスを手にすると、サラディンはゆっくりと琥珀色の液体を口に含む。
「そうだ、グリアン」
グリアンと呼ばれた男は、ワイングラスを手にしたままサラディンのほうを見た。
「あんたは物知りだろう、聞きたいことがある」
「なんだい」
「過去の世界から人がやってくるなんてことがあるのか。人間が時空を移動するとか、そんなことは可能なのか」
グリアンは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑って首を振った。
「ゲームの世界ならいざ知らず。それは物理的に不可能だ」
「そうだよな。ところが、そうとしか思えないことがあってな」
グリアンは怪訝な顔になった。
「砂漠で子供を拾ったんだ」
「砂漠で子供?」
そう、とサラディンはうなずき、ナユタにまつわる出来事を話した。
「翻訳機が翻訳できない言葉を話す。なにより、肌の色がまったく違う。おそらくはオゾン消失前の北方種族だと思う」
「信じがたいね」
「だろうな。俺も聞かされただけなら信じない」
「本当なら、会ってみたいね」
うなずいて、サラディンは、グラスを拭いているバーテンダーに声をかけた。
「このあたりで、どこか静かに話せそうな場所を知らないか」
「昼間なら、ここを使ってかまわないよ」
バーテンダーが、小声で答える。
「ありがたい。じゃあ明日、十時でどうだ」
「わかった」
うなずいて、グリアンは表情をあらためた。
「それはそうと。聞いたか」
「なにを」
「チュプが完成した」
サラディンが目をみはった。
「本当か」
「テストもいまのところ問題なし。来年早々には本格的に動き出す。あと二年もすれば、成果が見えてくるだろう」
サラディンは、感極まった様子でグリアンを見つめる。グラスを持つ手が、かすかに震えた。
「無事に進むと確信してはいたが」
大きく息を吐いて、サラディンは沸き上がる興奮に耐えた。
「いざその時が来ると、信じがたい思いがするな」
「まったくだ」
だが、とグリアンは表情をあらためた。
「こうなると、時が限られてきた。色々と急がなくてはならない」
うなずいたサラディンの耳元で、グリアンはさらに声を低めた。
「ノルマン氏に、早くこのことを知らせてほしい。グエン博士が、運用上のことでいくつか聞きたいことがあると言っていた。明日データを渡すから、よろしく伝えてくれ。なるべく早く回答が欲しいと言っていたが、どうする」
「わかった。ノルマン氏に伝えて、回答をもらえ次第、俺からあんたに連絡をする」
サラディンがうなずくのにうなずき返して、グリアンは言葉を続けた。
「二年後の選挙には必ず勝利をしないと後がない。年明けからは、あんたとの連絡手段も考えなおさないといけないな。一年に一度というわけにはいかなくなるだろう。チュプが動くうちに課題が見えてくる可能性もある」
「そうだな。今後は極力、コロニーに寄ったら情報を仕入れるとしよう」
「それがいい」
うなずくとグリアンは、とりあえず、とワインを飲み干して立ち上がった。
「明日はその、過去から来たという子と会ってみよう。十時だったな」
「頼む」
「諸々《もろもろ》のことはその時でいいかな」
「それでいい」
会計を済ませて立ち去るグリアンの背中を見送って、サラディンは大きく息を吐き、感慨に満ちた様子でグラスの中を泳ぐ氷を眺めていたが、グリアンが店を出て五分ほどたつと、グラスを空けて立ち上がった。
「マスター、勘定」
「あいよ」
「明日も頼む」
小声でささやくサラディンに、バーテンダーが目をあわせないままうなずき返した。