裏話 露店の客
遠く街には鐘が響き、太陽が真上に輝き出す頃合い。
普段通り、採掘人達で賑わい始めたダンジョン前の広場だが、今日はいつもとは異なる、やや物々しい空気が流れていた。
前日に、この『魔鉱窟』が攻略されたとの噂が関係しているのか、冒険者の姿が多数確認できるのだ。
そんな普段とは毛色の違う賑わいを見せる広場の中に、とりわけ物騒な空気を纏う人物が、とある露店の前に立っていた。
「いらっしゃい。何にするんだい?」
にこやかに歓迎する店主とは裏腹に、店の前に立った少年――白いローブで全身をすっぽり覆い、フードで顔まで隠しているが、体の線は細く年若さは隠せていない少年――は、明らかな怒気を発しながらフードの奥から店主を睨みつけていた。
「なぜ、正確に報告しねぇ」
少年の不機嫌さを隠さない声は、その大部分がワイワイと騒がしい広場の喧騒に呑まれてしまったが、目の前にいる店主だけにはしっかりと届いていた。
「どういう意味かな?」
店主はにこやかな表情を崩さないまま問い返した。
しかし――
「あれは“使徒”だ。なぜ隠しやがった」
返ってきた少年の言葉を聞いた途端、店主はスッと表情を消した。
「……隠すなんて人聞きが悪いな。僕は自分で見たままのことを報告しただけだよ。使徒の顕現は確認できないってね」
「ふざけるなよ。神代文字の名前持ちが使徒じゃねえだと? だったらありゃなんだ。勇者か何かかッ?」
「【賢者】の例を知らないわけじゃないだろう?」
瞬間、フードの中からギリッ、と歯を食いしばる音が響いた。
「あの野郎は別だろうがッ……!」
「同じさ。少なくとも僕には彼が使徒だとは思えない」
騒がしい周囲と隔絶するように、二人の周りの空気がピンと張り詰める。
「……テメェ、本当に自分の役目を分かってやがるのか?」
「分かってないのは君達のほうじゃないのかな?」
「なに……?」
「エーテル振を観測するたびにオロオロして、みっともないって話さ。そんなにジンが怖いのかい? いや、それとも竜のほうかな?」
ざわり、と。
少年から明確な殺気が漂う。
「…………よっぽどブチ殺されてぇらしいな」
「はは、やれるものならね」
――このとき、広場にいる優に百を超える人間の中で誰一人として気づいている者はいなかった。
露店商と客。一見なんの変哲もない両者の間で、高度な魔法の応酬が始まっていたことを。そして、そのやり取りが自分達の命まで脅かしているという事実を。
両者の間で繰り広げられる術式の構築と妨害。超高速であり同時に超精密な魔法技術の応酬は、一度バランスが崩れれば、この広場にいる人間全てを吹き飛ばしかねないほどに危険なものだった。
それほどまでに危険な行為を、二人は顔色一つ変えずにこなしていく。
「――――」
「――――」
限界以上の早口で紡がれる言葉は呪文というより、もはやノイズのよう。
術式を構築しては発動前に破られ、しかし、相手の術式の完成も許さない。そんな一進一退の攻防がどれほど続いたのか。
やがて両者の額には汗が浮かび、拮抗していたやり取りに僅かに綻びが生まれ始める。
そして――
バンッ、と派手な音を立てて、露店に並んでいたドライフルーツの瓶が吹き飛んだ。
その音に、周りを歩いていた採掘人達がギョッと目を向ける。
「口ほどにもねぇ」
舞い落ちる色とりどりの果物と硝子片の中、少年は吐き捨てるように言うと、露店商に背を向けた。
「テメェがどう思おうと勝手だがな、言われたことはやれ。……次はねぇぞ」
少年は最後にそれだけ言い残すと、その場から去っていった。
「――……ふぅ、散らかっちゃったなー」
少年が立ち去ると、またにこやかな笑みを取り戻した店主は散らばった残骸を片付けていく。
そのなんでもない様子に、周りで驚いて足を止めていた人々は首を傾げながらもまた歩みを進め始めた。
いつしか何事もない、普段通りの広場の様子がそこには広がっていた。




