第33話 奇跡
開幕の一撃は巨人のアッパー。
いや、これはそんなに綺麗なものではない。ただ下から殴ったといった風情だ。
ここは水中。避けられるはずもない。だが、継人が即死しなかった理由もまた、ここが水中だったからだ。
ルーリエを右腕の中に庇い、残った左腕をもって水の抵抗で威力が減衰したその一撃を防いだが、盾にした左腕は容易に砕け、その下にある肋骨も砕け、継人は嘘のように吹き飛ぶこととなった。
吹き飛んだ勢いのまま水面から飛び出し、まるで水切りの石のように水面を転がる。
「……………………ッ!!」
何度もバウンドし、叩きつけられ、その勢いがやっと止まったのは広間中央。ゴミ穴の出口が真上に望める位置にまで吹き飛んでからだった。
勢いを失うなり継人は沈み出す。衝撃で気絶していたのだ。気を失っても離さなかった右腕の中のルーリエが、沈む継人を支えようとしたが、小さな体で立ち泳ぎしながらでは無理がある。どうしようかと迷った末に、ルーリエはおもむろに右手を真下――水中に向けると、先ほど収納したばかりの大岩をアイテムボックスから取り出した。
周りの水を押しのけながら現れた大岩を足場に、ルーリエは継人を抱える。
岩のサイズは四メートル強、水の深さは五メートル強だ。上に乗れば、小さなルーリエでもなんとか水面から顔が出る。
「ツグト」
ぺしぺし、とルーリエは継人の頬を叩く。
「たいへん、はやくおきてほしい」
ぺしぺしぺしぺし、とさらに叩いた。
「むむむむむむ」
ぺしぺしぺしぺしぺしぺし。
「…………――何事だよ……」
やっと目を覚ました継人が、自分の頬を叩くルーリエの顔を寝ぼけまなこで見上げ――そのルーリエの背後の水面から、サイクロプスの顔が浮かんできたのが視界に入るなり――飛び起きた。
咄嗟にルーリエを右手で押しのける、と同時――
ズンッと馴染みのある重圧が継人を襲う。もはや慣れ親しんだ攻撃だったが、これまでとは距離が違う。通路で魔眼を喰らったときは一番近くても十メートル程度は離れていたはずだ。それが今は文字通り『眼』の前。距離で威力が増減するサイクロプスの魔眼が、もっとも威力を発揮する間合いだった。
肺が潰されているせいか声も出ない。全身が重いというよりは、もはや破裂しそうだと表現したほうが実態に近いだろう。風船を踏みつけると重さに耐え切れずにパンッと破裂するように、継人の体もその寸前まで追い込まれていた。
「――――」
声なく呻く継人に魔眼を向けたまま、サイクロプスは自らも大岩に乗り上げると、苦しむ彼の前に悠然と立ち上がった。
岩上の舞台。堂々仁王立ちするサイクロプスと、重圧に耐え切れず膝をつく継人。それはさながら王の前に跪く臣下のようだった。
あるいはそれも間違っていないのかもしれない。両者の間に立ち塞がるあまりに隔絶した戦力差。僅か二手、サイクロプスが自由に動いただけで、継人は為す術なく瀕死に追い込まれたのだ。これが王の力だと言われたら、弱者は跪いて肯定するより他に道はない。
罠でしとめることを失敗した時点で、現状は既に詰んでいると言うしかなかった。
「…………ッ」
ついには血管が破裂し、血の涙を流し始めた継人。魔眼の重圧によって彼の周りだけ水が押しのけられ、剥き出しになった岩肌に膝をつき、必死に耐えているがそれだけだ。抵抗どころか指一本動かせない。もうこのまま押し潰されるのは時間の問題。その事実を受け入れるしかなかった。
継人の心に初めて諦めがよぎった。
だが――
サイクロプスの脚にスコップがめり込む。
ルーリエは何一つ諦めてはいなかった。
両者の間に割り込んだルーリエが【アイテムボックス】から取り出したスコップを振るう。振るう。振るい続ける。
勇気づけられた、と言えばチープに聞こえるが、それでも水面から顔しか出ないような小さな体で、巨人の脚目掛けスコップを振り下ろす相棒の姿に、何もしないまま終わるのは格好悪いと継人は思ったのだ。
とはいえ、彼は手も足も動かせない。ではどうするか。
彼にはあった。手が出ずとも、足が出ずとも、できることが一つだけあった。
継人は血の涙が流れる眼でサイクロプスを睨みつけ――
――【呪殺の魔眼】を発動した。
サイクロプスの全身に不快感が立ちのぼり、怖気が走る。
往年の精神を完全に取り戻しているサイクロプスは、自身を襲うその感覚が恐怖であることを今度こそ自覚できた。そして、自覚できてしまったからには、もう彼には耐えられない。
憎き敵が魔眼の重さで潰れて死ぬ様を愉しもうかと考えていたが、もはや待てない。
サイクロプスは右足を上げた。なぜか。言うまでもない。継人を踏み潰すために決まっている。
巨人の意図を察したルーリエがさらに激しく軸足を叩くが、そんなもの意にも介さない。
継人は睨む。その足が踏み下ろされれば死ぬことは分かっているが、分かっていたところで何ができるわけでもない。できることは睨むことだけだ。だから継人は眼を逸らさず睨み続け――
――なればこそ、その奇跡を目撃した。
まずルーリエの一撃だった。彼女の一撃が、きれいに巨人の軸足――その膝裏に命中した。
彼女にとってはまさに会心の一撃。相当な威力をもってスコップは巨人の膝裏を叩いた。
とはいえ相手は四メートルを超える怪物。その一撃でも巨人を止めるには一歩足りない。結局はこのまま継人は踏み潰される――はずだった。
信じられないことが起きた。
人間が降ってきたのだ。
それも見知った人間。
いや、正確には人間だったものと言うべきだ。
人間の――ダナルートの死体がゴミ穴から降ってきたのだ。
理由は分からない。採掘人か冒険者の誰かが、ゴミ穴に彼の死体を遺棄したのだろうか。だとすれば、この世界には墓という概念はないのだろうか。それとも彼のようなならず者相手にその手間を惜しんだのか。
ともあれ、ダナルートの死体はゴミ穴の出口から現れ――その真下にいるサイクロプスの元へとまっすぐに向かい――彼が死してなお握っていた剣が、継人の血が固まって汚れた剣が、一人の少年がその半生を捧げた剣が――ダナルートの体重と重力落下の力を借りて――――
吸い込まれるようにサイクロプスの肩に突き立った。
深く、深く、まるで無念を晴らすかのように――深く、突き立った。
そこで、やっと満足したようにダナルートの手が剣から離れ、彼の死体は弾かれるように水面に落下し、二度と浮かんでは来なかった。
これは誰の元に訪れた奇跡なのか。
必死に足掻いた継人達が呼び込んだ奇跡だったのか。
あるいは、死したダナルートの無念が起こした奇跡だったのか。
答えは分からないが、そのダナルートの剣撃は、ルーリエの一撃では足りなかった一歩を埋めるには十分な威力をもっていた。
膝裏と肩をほぼ同時に打たれたサイクロプスは、片足を上げた姿勢のまま軸足の膝がカクッと折れ、そのまま尻餅をつき、それでも勢いは止まらず、背中から倒れ込む。
混乱しながらも、倒れまいと自身を支えるように右腕を後ろに伸ばした巨人の反応は見事ではあったが、それが逆に悪手となった。巨人が右腕を伸ばした場所は既に大岩の舞台の上から外れていた。つまりそこはただの水面であり、水に手をついて体重を支えることなど当然不可能である。
故に――上げた右足、折れた左足、空振りした右腕、既に存在しない左腕。
この一瞬、サイクロプスは四肢全てのコントロールを失い、さらに全身のバランスまで失った――まさに死に体という状態に陥った。
その一瞬についてはこう表現する他ない。
つまり――――千載一遇。
「眼だッ!!」
魔眼の圧力から解放され、水に呑まれた継人は、水面から顔を出すなり開口一番、血反吐とともに叫んだ。
たった一言。僅かでも時間が惜しいと発した言葉はあまりにシンプルだったが、彼女にとってはそれで十分だった。むしろシンプルだからこそ良かった。
ルーリエは倒れ込もうとしているサイクロプスの股ぐらに飛び乗ると、継人の指示した場所目掛けて巨人の胴体の上を駆け抜ける。
サイクロプスも己の危機を理解していたが、手も足も体も制御を失っているこの一瞬だけは、ルーリエを見ていることしかできなかった。そして――
――見ることができるなら十分だった。
サイクロプスは即座に【魔力操作】を開始し――
ぞくり、と全身に怖気が走った。
「俺を無視するなよ」
その声はやけに明瞭にサイクロプスの耳朶を打ち、継人の濁った黒い眼が送ってくる不快感とともにサイクロプスの精神を揺さぶった。
精神が揺さぶられ乱れると同時に、彼の【魔力操作】も僅かに乱れた。
そして、その僅かの間が完全に命取りとなった。
ずぶり、とスコップの尖端が、サイクロプスの単眼を支える眼窩に入り込んだ。
全身を駆け巡る継人の魔眼の不快感と、己のもっとも大事な部位に不粋に触れる鉄の感触。
あまりの悍ましさにサイクロプスは息もできない。
「むうううううううううううう」
だが、まだ。
その一撃は突き立てただけでは終わらない。
なぜならスコップは『突く』道具ではなく、『掘る』道具だからだ。
ルーリエは持ちうる全ての力と『力漲るアイアンスコップ』のスキル【剛力Lv1】の効果も合わせて、サイクロプスの眼窩に収まる単眼を――――
「――ぅああっ!!」
掘り出した。
巨人の、モンスターの、サイクロプスの、正真正銘怪物であるそいつの眼球が――宙を舞った。
まるでバスケットボールのように飛んだ眼球は、ゴールではなく、継人の眼前にボチャリと落ちると、水面にぷかりと浮かんだ。
サイクロプスというモンスターにとって、眼球とはただの視覚器官ではない。サイクロプスの頭部の大半を占める単眼は、頭蓋骨内部では脳と直接結びついており、それはもはや眼球ではなく、脳の一部と表現したほうが適切な器官だった。
そして、脳を掘り返されて生きていられる生物などいない。
派手な水飛沫を立てて、サイクロプスは水面に倒れ、そのままだらりと弛緩した体が水中に沈んでいく。
サイクロプスの上に立っていたルーリエまで一緒に沈んでいき焦る継人だったが、彼女はすぐに浮かび上がってくると、継人のほうへとパシャパシャと泳ぎ出した。
(終わった…………のか?)
なんとなく現実感の湧かない継人は、目の前に浮かぶサイクロプスの眼球に手を伸ばし――
(――あれ?)
手がうまく動かなかった。
なぜだ、と首を傾げようとしてそれにも失敗する。
そして、全身を唐突に寒気が襲った。
(……ああ、なるほど)
継人はすぐに理解した。
なにせ二回目なのだ。
(今度こそ駄目……だよな)
継人の周りの水面は真っ赤に染まっている。
いつか見た自分の血だまりの再現だ。
今回のそれは前回にも増して助かりそうには見えない。
(でもまあ、今回はそれほど悪い気分でもないな……)
ルーリエがこちらに泳いでいる姿に目をやる。
犬かきしている小動物のような姿に思わず笑みがこぼれた。
(ただ……もうちょっとだけ……あと少しだけ)
視界が白く染まり始める。
泳ぐルーリエの姿がどんどんぼやけていき――
(…………ルーリエと冒険者やりたかったな)
継人の意識が光に包まれるように――
――消えた。
『経験値が一定量に達しました』
『Lv16からLv24に上昇しました』
『特定因子の結合に成功しました』
『称号【魔眼王】を取得しました』
『【魔眼王】の効果により一部経験値が最適化されました』
『ユニークスキル【真理の魔眼Lv1】を取得しました』
『ユニークスキル【重圧の魔眼Lv1】を取得しました』
『【呪殺の魔眼Lv1】が【呪殺の魔眼Lv2】に上昇しました』
『【魔力感知Lv1】が【魔力感知Lv2】に上昇しました』
『【魔力操作Lv1】が【魔力操作Lv2】に上昇しました』




