5
学長室へ足を踏み入れたカイ達四人。だが、爆発がもたらしたあまりの破壊力に呆然とし、すぐに立ちすくんでしまう。見上げれば、天井は完全に吹き飛んでしまい、その先には四方の枠にはまる澄んだ青空の絵画が覗いていた。
ただ、そんなどこまでも突き抜けるような美しさを楽しめるはずもなく。
火が消し止められて間もないためか、焦げ臭ささが辺りに充満していた。さらには湿っぽい空気との相乗効果で、体の内外に不快感がまとわりついて仕方がない。
部屋自体はさほど広くはなく、入り口から全体が見渡せた。床に散乱する、元が何か分からない残骸の山。ソファーや執務机は大きいためか、かろうじて原型はとどめてはいる――が、見事にひっくり返って壁まで飛んでいってしまっている。
「ひどいな……」
思わず呟くカイ。
既に警察の捜査員と消防との検分が開始されていた。時折彼等はこちらを一瞥してくるが、特に挨拶もなく仕事に戻る。警察とインジェクターの間に、縄張り意識などは存在しないが、これといって仲良しこよしの間柄でもない。これが普通なのだ。
四人は足を進め、中央にしゃがみこむ、茶色のスーツを着た男性へ近付いた。
「お、そちらもお出ましか」
足音に気づき、男性が振り返る。
年齢は五十歳は越えているだろう。白髪混じりの短髪に彫りの深い顔。太い眉に剛毅さが滲む。がっしりとした体格で、胸板の厚さはスーツ越しでもよく分かる。
男は人懐っこい笑みを浮かべ、
「相変わらず不景気ヅラだな、カイ坊」
「俺に気の利いた返しを求めても無駄ですよ、静郷さん」
張り詰めた表情を少し緩めながら、カイは肩をすくめた。
「つまんねぇヤツだなぁ。あまり神経質になってっと、生え際の毛根死んでくぞ」
静郷と呼ばれた男は「がっがっが!」と豪快に笑う。
静郷春信。警視庁の捜査員である。普段はおおらかな性格だが、キャリアに裏付けされた実力は本物であり、その老獪さは精保でも有名だった。
刑事の中には、精霊使いという超越的存在に畏怖する者が多い。精霊使いだろうが、ストレイエレメンタラーだろうが、さらにはインジェクターであろうが、結局は異能者と一括りで決めつけてしまうからだ。
自然の力を武器にする。それがどれだけ危険か。先の視線には、そういった攻撃的な瞳を向けている者もいた。
特にベテランの者ほどそう考える傾向が強いが、彼だけはそんな偏見を持たない。カイ達にとって静郷は、全面的に信頼の置ける、数少ない刑事の一人だった。
「静郷様、ご無沙汰しております。ご壮健で何よりです」
「うすっ」
しっかりとお辞儀をするユリカの後ろで、可愛らしく敬礼の仕草を取るアイサ。
「嬢ちゃん達も相変わらずのようだな。……といってもあれか。精霊使いと人間とじゃ生きてる時間軸が違うから、見た目はアテにならんか」
「あ~、失礼ですよ、それ」
「何言ってんだ、事実だろが」
「そうですわ。静郷様の仰ることは事実。精霊使いは人間よりも長命。自然の活力を細胞に宿しているために肉体の老化は遅いのです。ですから私共は静郷様よりも遥かに長い年月を生きていることになり――」
「悪かった! 俺が悪かったよ! 謝るからお願いだっ、俺の言葉に笑顔で肯定しながら刀を出すのはやめろ!」
ユリカは「あら、いつの間に」と、とぼけながら刀を仕舞い、お上品に笑う。
「やれやれ……。寿命が縮まるわ」
死の危険を回避した静郷は額の汗をぬぐう。
「女性のデリケートな部分を突くからっすよ、おやっさん」
頭の後ろで手を組んだキョウヤが愉快そうに言った。
「んだと、コラ。テメェだけには言われたくねぇな、セクハラ野郎」
「なっ、何スか、藪から棒に。俺のどこがセクハラなんスか」
「全てだよ。ウチの後輩を見かけちゃ片っ端から声をかけてるそうじゃねぇか。節操なしか、テメェは」
「いやー、凛々しい女性に俺弱くて。婦警さんってガード固いじゃないスか。そこをどうこじ開けるかが、燃えるんスよ」
自慢気に語られ、静郷はこめかみに浮き上がった青筋を揉み押さえて、隣のカイに問いかけた。
「……逮捕していいか?」
「射殺しても構いませんよ」
と、カイも嘆息しながら答えた。キョウヤの女癖の悪さは死んでも直らない。
そんなことは放っておいてとばかりにカイは、静郷が先刻まで見下ろしていた物体を凝視する。
「これが……被害者ですか……」
低めの声音には、苦しみさえ混じっていた。
「……ああ」
呻くような短い肯定。
静郷の双眸が、細く、鋭く、冷たく変わる。直前までの気さくさは消え失せていた。
「……やはり……、矢崎氏……でしょうか」
黒く変色したカーペットの上に転がる、盛り上がった物体。それは紛れもなく、人の形をしていた。
焼死体だ。見た目はミイラに近い。肉はすべて焼け落ちたのだろう。まるで蝋が溶けたように、皮膚がただれて床にこびりついてしまっている。
ひどい悪臭だった。人体の肉が焼けると、こんなにも独特な臭いがするものなのか。
臭いもそうだが、何よりも目を背けたくなるのはその表情だった。一言で表せば苦悶。ただそこには、痛み、熱さ、苦しみ、恐怖、絶望――といった負の想いが集約されていた。
「これだけ人体が損傷していれば特定は出来んが――」
静郷は顎をさすりつつ、そう前置きし、
「身元を調べてみてから本当は言うべきなんだろうが、周辺の目撃情報、そして今お前が上げた人物が行方不明――。となれば矢崎宗春とみていいだろうな」
淡々とした説明にカイは肩を落とした。事前に警察からの情報提供があったとはいえ、あまり信じたくはなかった、という様子だ。
「残念でなりません。矢崎様は我々全ての精霊使いにとっての恩人……でしたのに」
ユリカも同じように落胆している。瞳を伏せ、胸に手を当てて辛そうに言葉を吐き出した。
日本に初めて精霊使いが現れたのは、おおよそ七十年前のこと。現在は各都市を統べるマスターの六人である。
当時は人々に混乱を招きかねないと、政府から冷遇され、彼らもまたその扱いを甘んじて受け入れていた。その史実は国民の誰しもが知っている。今となれば間違った選択だ。ましてや、その拘束が数十年に及ぶとなれば、政府への反感はさらに強まってしまった。
ただ、精霊使いは長命な生物。人間にとって長くとも、彼らには大した時間ではない。マスタークラスともなれば、それこそ肉体と精神に異常をきたすほどの苛酷な修練を積んでいるのだ。
そして訪れた――日本崩壊の危機。最早、予定調和とも言える事態を精霊使いが救い、ここから“精霊”という概念が新たに加わるわけだが、その際問題が発生した。
彼らに人権を与えるのか、というものである。
無論、世間に公表するリスクがある。そのために、政府の中には反対派が多く占めていた。公表後の混乱をどう処理するか、そんな案すら練らず、あまつさえ彼らの好意を利用し、ひた隠しにしたまま馬車馬のように働かせればいいと、浅ましい考えすら抱いた者までいたのである。
そして分裂した少数の推進派――その筆頭としていたのが当時議員職に就いていた矢崎宗春だった。
「日本の変革者――あの頃はそう呼ばれていたな」
静郷は言う。
「政治家なんてどいつもこいつも保身のことしか頭にない。得たいの知れないお前らの力を畏れるよりも、存在を公にすることで自分らの椅子が奪われることを危惧したんだろう」
しかし、精霊の力なくして日本の復興は成し得ない。矢崎は魅入られたのだ。精霊に。それを扱う精霊使いに。
矢崎は精霊使いの重要性を訴え続けた。そして見事その主張は通り、人間の知恵と精霊使いの能力、二つが供与した結果、日本は生まれ変わったのだ。
「政に精霊使いは干渉しない――。その契約が国のトップ連中を納得させる材料になった。渋々だろうがな」
「精霊使いは自然を操ることしか知りません。それに我々余所者が議会で発言したとて、言葉には力も重みもありませんよ」
カイは苦笑する。
だがあまりに強引な改革をしたことで、矢崎は周囲から疎まれてしまう。体を壊した矢崎は議員を辞職、後の余生を自らが支持する精霊使いをより深く知るため、この大学を建造したのである。
「そういや矢崎氏は、マスターとも個人的な繋がりがあったよな」
思い出したように静郷が言うと、カイがしおれた花のように、覇気なく答えた。
「ええ、特に光のマスターとは知己の間柄でした。俺もよく話をさせてもらいましたよ。……本当にいい方でした」
素直な気持ちが吐露される。
生前のことを思い出しているのか、カイは少し間を置いて話を続けた。
「共存共栄――、人間と精霊使いの格差なき社会を目指そうという彼の理念はマスターの想いとも合致していました。そのため、彼を慕う精霊使いは多かった」
「……きっと……、このことを知ったらマスターも気を落としてしまわれるでしょう……」
悲嘆に暮れるカイとユリカ。無言で突っ立っている二人を見て静郷は頭を掻く。と、ふと彼の視界に、キョウヤの姿が映った。一歩引いた位置から会話を聞いていたキョウヤは、ため息ともとれる短い息を吐き出し、
「おやっさん、爆発の原因は何だと思う?」
「――っ!」
ハッとカイが後ろを振り返る。抑揚のない口調、そしてどこか退屈そうなキョウヤの表情。じわじわと、カイの眉間に皺が寄っていく。
「ダイナマイトみたいな爆弾の類いだろうな。この部屋にはガスも通ってねぇし、化学物質らしき物も見当たらない。もし爆弾なら、どんな経緯でこの場にあったのか……その点が気になるな」
「じゃあ、事故の可能性は……」
「低いな」
事件捜査に置いて、決めつけは厳禁だ。下手な先入観を持てば真実に辿り着く道に、霧がかかってしまう。だが、この静郷という男の勘は異常なまでの的中率を誇る。持って生まれた洞察力、状況に惑わされない客観的な思考、そして何より大切な経験則――。静郷には全て備わっていた。
断言した静郷は、アイサへと視線を移す。
「どうだい、アイサ嬢ちゃん。何か感じるか?」
「時間が経ってて何とも言えませんけど……。やっぱりこの爆破には炎の精霊は含まれていないようです」
アイサは静郷と挨拶を交わした直後から、一人輪から外れて室内を念入りに見回っていた。空気中のマナの流れを調べるためである。炎の精霊は同系の精霊使いが感知しやすいのだ。
もし原因が爆弾であったなら、着火の段階で精霊の力を借りたのかもしれない。その場合、微弱な力で事足りるため、精保のチェックには引っ掛からない。
「犯人が人間か精霊使いか……。さすがにそこまで分からないが、手口が爆破となると明確な殺意を感じるな。ったく、白昼堂々やってくれるぜ」
「ま、いくらおやっさんの勘が鋭いといっても、検証結果が出てからだろ。とりあえず後は任せるぜ」
興味を失ったかのように踵を返し、さっさと帰ろうとするキョウヤ――その肩をカイが右腕を伸ばし強く掴む。
「おいッ、キョウヤ!」
「……何だ?」
「何だ、じゃない! お前どういうつもりだ!」
気色ばむカイが強引に振り向かせる。それでもキョウヤの無機質な表情は変わらない。その態度がますますカイを苛立たせる。
「矢崎氏はこの国の宝ともいうべき人物だ。そんな偉大な方が死んだんだぞ。お前は何も感じないのか!?」
「だから? 『悲しい、無念だ』とでも言えばいいのか?」
「貴様……ッ!」
いつも冷静なカイが、今にも殴りかかりそうだ。現に握られた拳は硬く、腰元まで上がっている。
しばらくの間、睨み合う両者。その均衡を崩したのは、キョウヤの呆れたようなため息だった。
「お前、何をそんな熱くなってる? らしくねぇな、リーダーさんよ」
「……何?」
眉をひそめるカイ。同時に自然と右手の力が緩む。キョウヤが静かにカイの腕を振りほどき、そして真剣な表情で彼を見据え、言った。
「俺達はここへ何をしに来た? 歴史を変えた英雄の死を悼みに来たのか? 違うだろ。死者に敬意を払うのは立派だがな、ここには事件の調査に来たんだろうが。目的を間違えるな」
「ッ!」
カイは目を大きく見開く。心臓を銃で撃ち抜かれたように、衝撃が走った。
認めたくないが、正論だ。温度の低い口調がまた効果的だった。
どうしてこんなヤツに。怒りと悔しさがぐちゃぐちゃに混ざり合うが、それ以上に許せないのは自分だ。
カイは己の勘違いに歯噛みする。
そうだ。俺はインジェクターだ。インジェクターなら、インジェクターの務めを果たせ。キョウヤが言いたいことはそれだ。
カイは己を鎮めるため、深呼吸を一度した。
「……まさか貴様に説教されるとはな」
「屈辱か?」
「地球が崩壊するんじゃないか」
「そこまでかよ!」
愕然とするキョウヤ。
「せめて雪が降るとかにしろや! っていうか、たまにゃ自分の非を認めろ!」
「認めているさ。ただ、お前みたいなちゃらんぽらんでいい加減で、盛りの終わらない猿に正されるという現実は受け入れがたい」
「言い過ぎだろ! さすがに泣くぞ!」
気づけば、ギスギスとした嫌な雰囲気は無くなっていた。
いつものやり取り。いや、むしろ逆転しているのか。カイの余裕ある軽口にキョウヤが突っかかる。らしさが戻った――と、安心したユリカとアイサが互いを見合い、破顔した。周囲の鑑識班からもクスクスも笑い声が漏れている。
「静郷さん、遺体はそちらにお任せします。念のため、後で精保からも分析官を寄越しますので」
「おお、頼むわ。――いい仲間を持ったじゃねぇか、カイ坊」
優しい静郷のその言葉に、カイはあえて返答せず、わずかに口角を上げて部屋をあとにした。