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乱闘騒ぎはようやく収束した。
幅広な長方形のスペースは荒れに荒れていた。縦で仕切るように左には畑が、右には流れ作業を行うようなコンベアが設置してある。
一ヶ所に集められた数十名の社員は手を頭の上で組み、土の上で跪かされていた。当然、精保と警察の指示である。
一体何人分の血を浴びたのか、作業服は朱の染料を吹きかけたように飛沫にまみれ、さらには泥が付着し、それだけで騒動の苛烈さを物語る。
五十人程いた従業員は、半分にまで減っていた。
ここには軽傷者しか残されていないからだ。重傷を負ったものは病院へ搬送。フェードインとフェードアウトを繰り返すサイレンの重なる音が耳障りで仕方ない。
それでも死者が出ていないのがまだ救いか。
「ふぅ……」
アイサとの通信を終えたカイは短い息を吐く。
目線を右へずらすと、社員の成果の証である材木の束が見るも無惨に切り刻まれていた。
ユリカの独断によるものだ。
一度ボルテージが最高潮に達した集団を鎮めるのは骨が折れた。
警告は無視、E.A.Wで脅しても無駄。ならばと、ユリカが出荷のために積まれた太い材木をバラバラにしてしまったのである。
豪快かつ強引な力業だが、彼らを黙らせるには非常に効果的であった。
カイは前方にいる、ユリカにそっと視線を移す。
無機質な空間に佇む、一際輝く優美な女性。こいつだけは敵に回したくないな、と常々思う。
「さて……」
カイは入口の方へ歩き出し、警官に挟まれる形で立っている男に話しかけた。
「社長の新宅さん、ですか? 少しお話を訊かせていただきたいのですが……」
「――はい」
顔面蒼白の中年男性は沈んだ声で頷いた。小柄な体つきに縁なしの丸い眼鏡をかけ、髪は所々白髪が混じっていた。五十代と当初聞かされていたが、それ以上に老けた印象を受けた。
「この度は本当に申し訳ありません……」
新宅はサイレンの音に消されてしまいそうな小声で言いながら頭を下げる。
「部下たちがとんでもないことを……。全ては私の責任です」
「この工場では人間と精霊使いが同じラインで働いているそうですね」
「はい」
新宅は工場内を見渡しながら言った。
「ここでは接木繁殖を主とし、数年かけて栽培します。全て機械任せになっていて――、上をご覧いただけますか?」
言われて天井を仰ぐカイ。それはここに入ってきた時点から気になっていたものだ。
固定された巨大な半円の物体が五つ、吊るされている。ライトのように見えるが……。
「疑似太陽です。植物は冬育ちにくいですからね、これさえあれば季節に関係なく、生産効率を維持させることが可能なのですよ」
「……ということは、二十四時間体制で仕事をなされているのですか?」
「そうですね。そして、最終工程として彼ら精霊使いたちが育てた植物と材木にマナを与え、出荷します。人工物はどうしてもマナが不足していますので」
「相当過酷な労働環境のようですね」
社長の新宅は肩を落とす。
「管理体制に問題があるのは認めます。恐らくこの騒動も、日常のストレスからくるものでしょう。やはり人間と精霊使いを分けて作業させるべきでした」
「…………」
カイは瞳に憂いの色を宿す。
この社長にとっても、今回の事件は予期せぬものだ。
世間は彼の不手際だと判断するだろう。そして今後、精霊使いに対し、さらなる猜疑心を持つことは避けられない。
ストレイエレメンタラーは悪ではない。だが多かれ少なかれ、一部の犯罪者のせいで、全てが悪だと決めつけてしまう人間も確かに存在する。オーバーな表現で報ずるマスコミも余計だ。公的な精霊使いと、ストレイエレメンタラーの勧善懲悪。そう揶揄されることにも心が痛む。
この世界での精霊使いの立場は複雑極まりないのだ。分かっていてもどうすることもできない現実が歯がゆい。
「――その方針は間違っていないと、私は思います」
澄んだ声音がカイの肩越しに通り抜ける。
ユリカだった。
「人種を分け隔てることなく、合理的に仕事を推し進める。それは、私たち精霊使いにとっても喜ばしいこと。社会の見本ですわ」
「……そう……、でしょうか……?」
「あなたは精霊使いを信頼しているご様子。ですから、作業場も同じにさせたのではありませんか?」
「はい。彼らは重要な戦力ですので。差別などしていません」
新宅は即答する。力強い言葉に、ユリカは優しく微笑んだ。
「彼らも貴方に感謝していますよ。この騒ぎの間、ストレイエレメンタラーの方々は力を使っていません。貴方と同じくらい、仲間を信頼しているからでしょう。我々も今回は彼らのマナを回収しませんので」
「本当ですか!?」
ユリカがこちらに視線を投げかけてきた。後は任せたと言わんばかりだが、カイはユリカ程上手く話せない。事実だけを述べた。
「ええ。ここの精霊使いは治療後、任意同行で保全局に来てもらいますが、仕事にはすぐ復帰できると思います」
「あ、ありがとうございます!」
新宅はお礼を言いながら何度も何度も頭を下げた。
ここまでストレイエレメンタラーに信頼を置いている人間も珍しい。仕事に支障が出ないという考えもあるのかも知れないが、彼の人間性を信じたい。
だが、問題は――。
「おーい」
間延びした声と共に、キョウヤが一人の男を連れ添いこちらにやって来る。
「そちらの方は?」
「佐久間と一番最初に喧嘩をおっぱじめたヤツだとさ」
男の様相にカイは思わず顔をしかめた。頬が変形して腫れ上がり、原形が掴めないほど歪んでいる。さらに左腕。破れた袖口から異常なまでに膨れ、一目で骨折していると判別できた。
「佐久間は?」
「それがさ、いねーんだよ」
「いない?」
「色んなヤツに訊いて回ったんだけどよ、どこにも見当たらないんだ。病院に搬送されたわけでもなさそうだし」
肩をすかしてキョウヤは言う。
「私、探して参りますわ」
きびすを返すユリカ。
事件の張本人がいないのであれば話にならないが、情報は多く欲しい。佐久間はユリカに任せ、まずはこの二人から聴取を進める。
「申し訳ありませんが、少しだけお話を訊かせて下さい。これが済めばすぐに病院に行ってもらって構いませんので」
「はい……」
腫らした顔で頷く男の声は、小さくかすれていた。喋るのも辛い状況だろうが、我慢して付き合ってもらうに他ない。
「警察の情報では、最初に佐久間が貴方に殴りかかったんですよね? きっかけは何だったんですか?」
「……分かりません……」
男性はすぐには答えなかった。目線を床に落とし、震える声でそれだけを呟いた。
「分からない? 口論になったとか、理由はあるでしょう?」
「……そんなことはありません。本当に分からないんです。あいつ作業中に突然体が震えだして、何事か俺が訊くと、急に叫び声を上げて殴りかかってきたんです。もう訳が分からなくて……」
「精霊使い同士のいざこざだ。何か確執とかあったんじゃねぇの? 属性が違うと考え方もまったく違うしな」
まるで自分たちのことのように語るキョウヤ。嫌味で言ったのかも知れないが、カイにとっても全くの同意である。
精霊使いと一括りに言っても、各属性で伝統や風習が全く異なる。元の世界でも離れた地で暮らしていたのだ。異国と例えた方が適切なのかもしれない。
「いいえ、違います。俺と佐久間は“炎”の属性なので……」
あっさりと男性は答えた。
だとしてもだ。
佐久間とこの男性との間に何かあったのではないのかと、カイたちは疑わざるを得ない。
彼らの証言を信じないわけではないが、インジェクターも疑ってかかるのが前提の仕事だ。
結局は意思のある生物。そこに負の感情が生まれない限り、こんなことにはならないはずなのだが……。
「じゃあ、あれか? やっぱ日頃の鬱憤が爆発したってことかよ。迷惑な話だな」
キョウヤが呆れたように首をさする。
「……ものじゃなかった……」
「え?」
男性の呟きは、風に流されてしまいそうな程弱々しいものだった。
「え?」
「あのときのアイツはそんなものじゃなかった。別人というか、異常で……。正気じゃなかったんです。止めてくれって俺が何度叫んでも、ずっと殴られ続けて……」
男の眼に涙が滲む。最後はもう嗚咽混じりで、そこから男は、何も話せなくなってしまった。
「彼と佐久間君は特に仲の良い間柄でした。それに佐久間君は大人しい性格ですので、話を聞いても正直信じられませんが……」
男性の背中に手を添えながら、気の毒そうに言った。
「……では、他に変わった点はありましたか? 些細なことでいいんですが……」
男性が落ち着くのには時間がかかった。その間、ずっと社長の新宅がなだめていると、すすり泣く声が次第に小さくなった。男は呼吸を整え、ポツポツと話し始めた。
「顔が……おかしかった。白眼を剥いて、唇から泡を吹いてた。とにかく人間とは思えない形相でした。同僚が止めに入っても暴れ続けていたし……」
カイとキョウヤが顔を見合わせる。
一緒だ。
前回の事件――犯人グループのリーダーが暴走した、あの時と。
「……まさか、佐久間もドラッグを……?」
「そんな!」
うわごとのように呟いたカイに、男性が抗議の声を張り上げた。
「アイツがそんなモノに手を出すはずありません!」
痛々しい様子でありながらカイに詰め寄ろうとする男性を、新宅は必死に制止する。
「私もそう思います。彼は勤務態度も真面目で、誠実な男です。だから皆に好かれていた。他の社員にも訊いてみて下さい。きっと全員そう答えますから」
好かれていた……か。
それだけ評価の高い人物なら、もしかしたら正規の精霊使いとして手続きしたら、きっと認められたに違いない。
だが、心の奥底で何を抱えていたのか――それは本人にしか分からないし、巧妙に隠し通してきた可能性もある。
魂の根底は人間であろうが、精霊使いであろうが変わりはない。
ドラッグにしても、こちらの憶測でしかない。が、暴力をふるい、ここまで拡大させたのは事実。
佐久間だけは更正施設送りにしなければならない。
「それにしても……、佐久間はどこに消えたんだ……?」
カイは首を回しながら工場内を見渡す。特徴については既に把握しているが、加害者と被害者が同居した空間には、苦しげに呻く声しか聞こえてこない。
「どうする? 俺たちも捜してみるか?」
「――そうだな。病院に搬送されていないなら必ずこの敷地内のどこかにいるはずだ。ユリカと合流しよう」
「さっさと終わらせちまおうぜ。早いとこ一杯やりたいし」
呑気にキョウヤは言ったが、微妙にその声色は固い。
彼も感じているのだろう。
身体に流れるマナがざわついていることに。
拭い去れない不安がじわじわと体を蝕み、運ぶ足を自然と速めていた。