3話
マックスが目覚めたのは昼近くになってからだった。目覚ましをセットしなかったためぐっすりと眠ってしまった。
簡単にシャワーを浴びて船内服に着替えてから乗組員用談話室に向かった。
船長室を出て、すぐ左の扉を抜けると乗組員用談話室兼食堂。談話室の先に船橋がある。船長室の正面はヴァンの部屋である副船長室。副船長室の隣に乗組員用個室が並んでいる。
談話室にはシオンが待機していた。
「おはようございます。ご主人様」
黒と白のメイド服を着たシオンがお辞儀をして挨拶した。
「あぁ、おはよう」
マックスはシオンに挨拶を返して近くのテーブルに座った。シオンはマックスの後に従った。
「何か、お飲み物を用意しましょうか?」
「そうだな。コーヒーを頼むよ」
マックスは起きたらいつもコーヒーを飲む習慣がある。
「かしこまりました」
シオンはマックスに答えると、厨房に向かった。
談話室の壁と天井は透明になっており、外の景色が良く見える。
ぼうと外を眺めていると直ぐにシオンがコーヒーをお盆に載せて運んできた。
「ヴァンはどうしてる?」
マックスはコーヒーを貰いながら聞いた。
「ロバート様と一緒に、船内の確認に行ってます」
「エイムズはロバートと呼ばれてるのか?」
「はい。大旦那様のエイムズ様と区別するために、ロバート様と呼んでいます」
大旦那様と言うのは父のことだ。シオンの言う通り父の執事はエイムズと呼ばれている。2人は親子なので、ロバートを名前で呼ばないと区別できないと言う訳だ。
「なるほど、それなら俺もロバートと呼ぶか」
マックスは、コーヒーカップに口をつけた。
「お食事になさいますか?」
お盆を胸に抱えたシオンがマックスに聞いた。
「そうだな、もう昼食の時間だね。それじゃ、頼むよ。ついでにヴァンに一緒に昼食を食べないかと聞いてくれ」
「かしこまりました」
シオンは答えると、厨房に戻って行った。
マックスがのんびりとコーヒーを飲んでいるとヴァンが入ってきた。
「おはようございます。艦長」
「おはよう。ヴァン。」
マックスは答えてから艦長と呼ばれたことに気づいた。
「もう、艦長じゃないから、マックスと呼んでくれ」
ヴァンはマックスの反対側の椅子に座った。
「そうでしたね。でも、ミネルバ号の船長ですから、これからは『船長』と呼びます」
ヴァンが座ると待機していたシオンがすぐに食事を運んできた。
子供の頃、ヴァンは「マックス」と呼んでいたが、それでも、一歩、引いたところがあった。
学校に通う頃には主従関係が確立されていた。いつも、マックスのそばから離れようとはせず、常に忠誠を尽くしてくれる。
シオンが運んできた昼食は普通のパスタだが、高級レストランで出される物と遜色なく量もたっぷりとある。マックスとヴァンは無言で食べ始めた。
マックスが食べ終えるのを見計らって、ヴァンが話しかけた。
「今日の予定はどうなっていますか?」
マックスはゆっくりと食後のコーヒーをひと口飲んでから答えた。
「そうだな。昨日は書類とデータキューブを調べてたら、いつの間にか明け方になってた。
まだ、荷物も開けてないから、先ずは荷物を整理するよ。それから書類とデータキューブを調べる。宇宙港へ回航するのは明日にしよう。急ぐ必要はないからな」
「それでは、私は午後も船の備品を確認しておきます。
ブリッジの操作コンソールは普通のコンソールと違ってましたから、シミュレーションで船の操作に慣れておいた方が良さそうです」
「そうか、母の発明品だから仕方がないだろう。俺達は母の実験モルモットだからな」
「私は慣れましたので気にしてません。それで、船の目的地はどこにしましたか?」
「いや、まだ決めてないよ。餞別に貰った貿易品を処分したいな。せっかくだから高く売れるところがいい。秘書のカトウが言った通りフォーニス星系がいいかもしれない」
「あの3人が退役してくるのは2、3日後になりますね。私と船長で5人になります。
ロバートとシオンを加えれば7名になります。ロビンとMX2を含めれば、ミネルバ号を運行することが可能です。
執事のロバートはエンジニア、パイロット、管理、スチュアートの資格。メイドのシオンは航宙士、パイロット、医師、スチュアートの資格を持っていました」
ヴァンはロバートとシオンが保有している資格をすでに調べたようだ。相変わらず仕事が速い。
あの3人とは、エドワード・ランカスター少佐、リック・ゴードン大尉、リズ・ゴタード大尉のことだ。
8年前にマックスの部下として配属されてからずっと一緒だった。マックスが退役すると聞いた3人は一緒に宇宙軍を退役してマックスに付いて行きたいと申し出てきた。
3人は非常に優秀な部下で、マックスとしても3人の申し出はありがたかった。マックスは二つ返事で答えた。
ミネルバ号を運行するために必要な乗組員は航宙士1名、パイロット1名、機関士2名、医師1名、スチュワード3名、砲術士4名だ。
規定上では砲術士は居なくても良いし、乗客を乗せなければスチュワードも必要ない。また、資格さえあれば兼任も可能だ。
MX2にスチュワードのプログラムをロードすればスチュワードの資格も揃う。新たに乗組員を雇わなくても、ミネルバ号を運行することは十分に可能だ。
しかし、商売に詳しい乗組員が一人は欲しい。
船長協会なら乗組員の斡旋もやっているはずだ。最低一人は貿易になれた経験者を雇った方が良い。
「そうだな、商売に詳しい乗組員が欲しいな。宇宙港の貿易センターで乗組員を募集しよう。船長協会で相談すれば、乗員を斡旋して貰えるだろう。
そうだ、会社の名前は叔父さんの命名で『黒猫運輸』だそうだ」
「そうですか、変な名前ですね。では、私は備品の在庫確認をやってきます」
ヴァンは立ち上がると、談話室から出て行った。
ヴァンは会社の名前が自分の容姿から名づけられたと気づかなかったようだ。マックスは肩をすくめて立ち上がると船長室に戻った。
金庫を開けてみるとデータキューブが十数個。鍵とカードキーの束、現金、取引口座用のマネーカードと一般用マネーカードが数十枚に宝石が詰まった袋が出てきた。
現金と宝石だけでもかなりの金額になりそうだ。無理に商売をやらなくても当分は好きなことが出来るだろう。
マックスはカトウから渡された書類や許可証も一緒に整理して金庫に入れた。
タンスやキャビネットには服や装備品が用意されていたが、持ってきた荷物を入れる余裕は十分にある。
荷物を開き、中身を取り出して、棚、タンス、キャビネットにしまった。
軍服が一揃い、使い慣れた個人装備品に特殊装備品、暇を見つけては研究を続けてきたMX3の設計書やプログラム、様々な資料や文献を保存した数えきれないほどのデータキューブなど、手早く整理した。
ボストンバックから事務局で受け取った小包が出てきた。
退役手続のときに受け取った小包で、発送元はアリシア星系帝国宇宙軍基地の事務官だった。
マックスは小包の大きさと重さから軍から支給された備品か何かだろうと思い、開けもせずにそのままボストンバックに入れた。
退役の手続きや叔父と面会の調整と、非常に忙しかったため、小包の内容を確認することをすっかり忘れてしまった。
小包の中身が気になるが、一旦、机の上に置いて、残っている荷物を整理することにした。
荷物の整理が終わり、空になったかばんを片付けてから、机の上に置いた小包を取り上げた。
包装を解いて開いてみると、中から見覚えがある保存用ボックスが現れた。帝国宇宙軍に入隊する前、父と一緒に研究していた古代種族の遺産を保存していたボックスだ。
この保存ボックスに入っているのは直径19.78cmの見た目は透き通ったガラス玉のはずだ。ただ、意外なほど軽い。父はクリスタルと呼んでいた。
マックスは大学卒業後もこのクリスタルの研究を続けたかった。あと一歩でクリスタルに接続する装置が出来上がるところだった。
しかし、父は帝国宇宙軍に入隊して経験を積むように命令した。マックスは断ったのだが、クリスタルを研究しながら自由に何処にでも行ける宇宙船を貰うことを条件に説得されてしまった。
ミネルバ号と同様、父は約束通り、この古代種族の遺産を譲ってくれたようだ。
マックスは親指をあてて、保存ボックスのロックを解除した。
予想通りのガラス玉が出てきた。そして、紙切れが挟んであった。マックスは紙切れを開いて読んだ。
「約束通り、お前にこれを譲る。船長室の金庫の横のパネルを開き、セットしてからミネルバのメインキーを使え。父より」
と書かれていた。
マックスは暫くの間クリスタルを見つめていた。ミネルバ号には研究するための設備が整っている。以前のようにクリスタルの研究をすることが可能だ。
クリスタルの表層は、まるで、異次元空間であるかのように不思議な性質を持っていた。
次から次へと新しい事実を見つけた時の喜び、次から次へと湧いてくる新しいアイデア。とても充実した毎日だった。
帝国宇宙軍での12年間の勤務は常に危険と隣り合わせの生活だった。
過酷な命令を達成した時は喜びを感じるし、軍の生活に不満は無かったが、忙しすぎて余裕がまったく無かった。
父と約束は8年だった。4年前、大佐に昇進した時に宇宙軍を退役しようとしたが、将軍が退役を許さなかった。その4年後、父の口利きで、なんとか将軍から許可が出た。
ミネルバ号を始動するには、このクリスタルが必要なのだろう。なるほど、それで、母が「昔を思い出せ」と伝言したのか。
しかし、金庫の横のパネルと言うのは何だろうか?
金庫の横にはキャビネットが置かれていて、パネルは見当たらない。
マックスは、おもむろにキャビネットに近づいて抱きかかえた。
かなり重い。普通なら中身を取り出して、さらに2人で持ち上げて移動させる代物だが、マックスはそのまま持ち上げて、横に移動してからキャビネットを置いた。
キャビネットが置かれていた壁を見ると、父が指示していたパネルがあった。
パネルには指紋と網膜で解除されるセキュリティボックスが付いている。
マックスはロックを解除してパネルを開いた。
中央に20cmぐらいの玉を置けるようになっている装置が見えた。
マックスはそれをじっと見つめて考え込んだ。
クリスタルを活性化するために開発した装置に似ているところがあるが、マックスが作った物と比べると遥かに手の込んだ装置になっている。基本部分が、かろうじて似ているといったところだ。
マックスが作成した装置では活性化しなかったのだろう。しかし、父はその後も研究を続け、最後には、活性化することに成功したのだろうか?
それにしても、相当に複雑な装置に仕上がっている。各々の部品がどのような仕掛けになっているのか、見当もつかない。技術者および研究者として、まだまだ、父の足元に及ばないと感じた。
マックスはクリスタルを装置にセットしてパネルを閉じ、キャビネットを元に戻した。
そして、少し考えてから船内放送のスイッチを入れた。
「ヴァン、すぐに、ブリッジに来てくれ」
マックスは机の上に置いた船のメインキーを取ってブリッジに向かった。
マックスがブリッジに行くと、すぐにヴァンが入ってきた。
「船長、どうしました?」
ヴァンがマックスに聞いた。
マックスは父からのメッセージをヴァンに渡し、ヴァンが読み終えるのを待った。
ヴァンは、顔を上げ、「どういうことでしょうか?」と聞いた。
「以前、クリスタルを研究してたのを覚えてるだろう?」
「えぇ、古代種族の遺産ですね」
「一昨日、退役手続きをしてたとき、クリスタルが入っている小包を受け取った。船長室にパネルがあって、父の指示通りに、あのクリスタルをセットしてある。今から、船のメインキーをセットしようと思う」
「そうですか、すると、あのクリスタルが起動するんですね?」
「そうだな、その可能性が一番大きい」
「分かりました。始めてください」
ヴァンが冷静に言った。マックスは期待と恐怖が混じった何ともいえない気分だ。
船長席の操作卓に移動し、メインキーを差し込むスロットを捜した。
スロットは、すぐに見つかった。マックスはメインキーをスロットに差してヴァンを見た。
ヴァンが真剣な顔をしてマックスに頷くと、マックスは、思い切って、キーを回した。
操作卓のパネルが次々と点灯して行き、複合核エンジンが起動した。
パネルのエネルギー量を示すグラフが伸びてグリーンに変った。そして、ハイパー・スペース空間に突入したような、空間が捻れるような感じがした。
慌てて外の景色を確認したが、特に変わった様子はない。
「今のは、何でしょうか、なんだか、ハイパー・スペース空間に突入したような感じですけど。まさか、ジャンプした訳じゃないですよね」
ヴァンがマックスに言った。
「ミネルバ。起動しました」
突然、美しい女性の声が聞こえた。
「何だって?」
マックスは思わず聞き返した。
「船長のマックス・トウコウと確認しました。命令をどうぞ」
先ほどの快い女性の声が言った。
「船長、ブリッジが変化してます」
ヴァンがマックスに報告した。
「ヴァネウス・オリンピアと確認しました。命令をどうぞ」
再び女性の声が言った。
「お前は誰だ?」
「私は固体同調型次元航行船、登録番号R2CP4ZZ3569436AZ、通称ミネルバです」
「船長、ひょっとしたら、あのクリスタルじゃないですか?」
「どうも、そうらしい」
「管制塔から通信が入っています。応答しますか?」
ミネルバが聞いた。
「通信を接続してください」
ヴァンが答えた。
「こちら、管制塔です。ミネルバ号、応答をお願いします」
管制塔の通信員らしい女性の声が聞こえた。
「こちら、ミネルバ号です。管制塔、どうぞ」
ヴァンがその場で答えた。
「よかった。繋がりましたね。先ほど、ミネルバ号から異常なエネルギーを探知しました。何か異常が起きてませんか?」
通信員が心配そうな声で聞いた。ヴァンとマックスは、お互いの顔を見つめあった。
「はい。先ほど、ミネルバ号のドライブエンジンの試運転をしました。多分、その波形をそちらが探知したと思われます。新型ドライブですので、気にしないようにしてください」
2人の代わりに、ミネルバが返事をした。
「そうでしたか、新型ドライブですね。了解しました。そちらから、変な波形を探知しても、無視することにします。」
この造船所では小型宇宙船の新開発が頻繁に行われている。管制塔の管理員はミネルバの説明で新型宇宙船だと勝手に勘違いしたようだ。
ミネルバが機転を利かして、誤魔化してしまった。どこまで計算された答えなのか、見当もつかない。
「お騒わがせして、申し訳ありませんでした」
続けてミネルバが答えた。
「いえ、気にしないで下さい。通信を終わります」
「通信を切断しました」
ミネルバが報告した。
「ミネルバ、何が起きたんだ?」
マックスは聞いた。
「船体を私の管理デメンジョンに移行させました」
「どういう意味だ?」
「簡単に説明しますと、私が船体を管理できるようにするために、私の管理次元領域に船体を次元移行させました」
「次元移行? それで、ジャンプしたように感じたのか?」
「はい。お二人には、そのように感じられたと予想します。私の起動プログラムがスタートしたとき、同時に船を管理領域次元に移行するプログラムを実行しました」
「管理領域次元とは?」
「マックス様のお父様から、メッセージを預かっています。再生しますか?」
ミネルバはマックスの質問を無視して続けた。
「再生してくれ」
マックスは少し考えてから答えた。懐かしい父の姿がブリッジの中央に映し出された。
「マックス、ヴァン。
このメッセージを聞いていると言うことはミネルバの起動が成功しているのだろう。
驚いているかもしれない、マックス、お前には、ちゃんと説明しようと思う。
お前が開発した装置は、私が引き継いで完成させた。もう、分かっていると思うが、あのクリスタルは人口知能だった。
しかし、私は単なる人口知能ではないと思っている。
お前の装置を使って、ミネルバを見ざめさせたのは、お前が宇宙軍に入って3年後だった。
その後、ミネルバのアドバイスに従って装置を改造した。
ミネルバと意思疎通が可能になってから、ミネルバから様々な知識、技術を得ることができた。
ロバートとシオンはミネルバが製作した人造人間だ。
私達の技術では、とても作ることができない代物だ。ミネルバの指示に従って製作した。
ロバートとシオンは5年前に完成した。4年前に引き合わせたから2人のことは覚えているはずだ。それで、2人にミネルバ号を託した。
ロバートとシオンが完成してからミネルバ号の設計に着手した。ミネルバの指示通りにクリスタルを組み込めるようにした。私もミネルバ号が本当に起動した姿は知らない。
宇宙軍は8年間を過ごす約束だったな。4年前は、まだ、ミネルバ号の設計書が出来ていなかった。ミネルバからの提案もあって、お前には、さらに4年間。宇宙軍に居てもらった。
これは、失敗だったと反省している。お前は父に目をつけられてしまった。
約束を破って申し訳ない、しかし、これは、お前のためにやったことだ。許して欲しい。
宇宙船ミネルバ号は今より遥かに進んだ技術が応用されている。
殆どの部分はミネルバが直接制御したロボットによって造船された。私と妻が知っているのは、ほんの一部分だ。
私では、ミネルバのことを理解するのは不可能なのかもしれない。
ミネルバを本当に目覚めさせることができるのは、多分、お前だけだと思う。
とにかく、約束通り、クリスタルと宇宙船ミネルバをお前に譲る。自由に使え。
ただし、帝国を含めて、この船の正体を知った者は、誰でも欲しがるだろう。
事実、情報が少し漏れた気配がある。私と妻は、すぐに出発するつもりだ。
お前も、十分に気をつけろ、ミネルバの秘密は、船の乗組員であっても、決して知られないように、気をつけろ。
ミネルバ号の操作方法や、必要な知識はミネルバから学習するといいだろう。ミネルバは脳に直接知識を植え込むことが出来る。
ミネルバに命令して学習プログラムを実行しろ。
私達は安全だと確信したら家に帰るつもりだ。
それでは、達者でな、私達の心配は無用だ。運がよければ、また、会うことが出来るだろう」
ブリッジ中央で話していた父の姿が消えた。
「再生、終わりました」
「ミネルバ、学習プログラムの実行は時間がかかるのか?」
「学習時間は固体能力に依存します。学習時間を予測するためには対象者の固体測定が必要です。
マックス様、ヴァネウス様のお2人は、生体バランスの調整も必要なようです。
学習は医療室で行います。医療室の診療ベッドを準備させますので、医療室に行ってください」
「分かった。ヴァン、医療室に行こう」
マックスがヴァンに言うと、ヴァンは頷いた。
マックスとヴァンは、医療室に向かった。
医療室には、6人分の診療ベッドが並んでいた。一見しただけで、テクノロジーレベルがかなり高い代物だと感じた。
医療ロボットが診療ベッドの側に待機していた。
「トウゴウ様、オリンピア様、診療ベッドに横になってください」
医療ロボットが2人に言った。
マックスとヴァンは医療ベッドに上がり、仰向けに寝た。
ベッドが沈み、蓋が閉まって、医療カプセルのような装置の中に納まった。
「固体測定を開始します。リラックスしてください」
ミネルバの声が聞こえた。
特に変化は感じられない。装置の中に入っているので何も見えない。2、3分後にミネルバの声が聞こえた。
「固体測定が終了しました。
マックス・ベル・セイント・アリシア……マスターと認識しました。学習プログラムと同時にシンクロプログラムも実行します。リラックスして動かないようにしてください」
静かな機械音が聞こえると、頭に直接、情報が送り込まれてきた。
ミネルバ号のスペックにフロアの設計図、操作方法など、恐ろしい速さで情報が流れてきた。
情報量が速過ぎて、どのような情報が送られているのか、把握できなくなり、頭がぼうとしてきた。そして、マックスは眠りに落ちた。
気がつくと、マックスは船長室のベッドに寝ていた。
マックスは寝る前に何があったかを思い出し、学習プログラムで何を覚えたのか、考えようとした。ミネルバの操作方法、武器とその性能……次から次へと、覚えたことを思い出していった。
学習プログラムで覚えたことかどうかはちゃんと把握している。そして、苦労して覚えた知識と同様にごく自然に思い出すことができる。恐ろしく膨大な知識だ。このままでは、知識の洪水に溺れてしまいそうだ。
マックスは、かるく頭を振って思い出すことをやめた。
ベッドから起き上がり、シャワーを浴びて頭を覚醒させてから談話室に向かった。
談話室にはシオンが待機していた。
「おはようございます。ご主人様」
シオンがマックスにお辞儀をして挨拶した。
「あぁ、おはよう。シオン。コーヒーを頼む」
マックスはシオンに挨拶を返して、近くのテーブルに座った。シオンがすぐにコーヒーをお盆に載せて運んできた。
「ヴァンはどうしてる?」
マックスはコーヒーを貰いながらシオンに聞いた。
「ブリッジで、シミュレーションを行っています」
シオンが答えた。
「そうか、相変わらず仕事熱心だな」
物凄くお腹が減っている、まるで、2、3日ぐらい断食したような感じで、体がだるい。
しかし、体の調子が物凄く良い、体が軽くなり若返ったように感じだ。
マックスはコーヒーカップに口をつけた。
「お食事になさいますか?」
「あぁ、頼むよ、お腹がペコペコだ」
「かしこまりました」
シオンはクスリと笑って答えると厨房室に戻って行った。
マックスがのんびりとコーヒーを飲んでいると、シオンが食事をワゴンに載せて運んできた。良く見ると、かなり大きなステーキが皿に載っている。
「ご主人様。ミネルバの指示通りに食事を用意しました。体力を回復してください」
シオンがマックスに説明すると、食事をテーブルに並べた。
「これは、凄いご馳走だ」
マックスは歓声を上げた。マックスは急いで、ナイフとフォークを取り上げステーキを大きく切り分けて口いっぱいに頬張った。
瞬く間に、大盛りの食事を平らげて後ろに反り返りながらお腹をさすった。ちょっと、行儀が悪いかもしれないが、肉を腹いっぱい食べたら元気が出てきた。
シオンがコーヒーのお代わりを運んできたので受け取って口をつけた。
ミネルバ号に乗り込んで今日で3日目。そろそろ、宇宙港へミネルバ号を回航した方がいいだろう。ミネルバに命令すれば自動で回航することも可能だが、ミネルバの秘密がばれる危険がある。
ミネルバには、普通の艦載コンピュータを演じさせるのがよいだろう。
「ミネルバ」
「はい、マスター」
マックスが呼ぶと、ミネルバがすぐに応答した。
「これからは、普通の艦載コンピュータとして振舞ってくれ、まぁ、新開発のコンピュータと言うことでもいいが、コンピュータらしくない言動は禁止する」
「面白くないけど、しょうがないですね、了解しました。マスター」
「それと、俺のことは船長と呼んでくれ。艦載コンピュータはマスターと言わないぞ」
「了解しました。船長」
ミネルバが拗ねた様子で答えた。マックスは何となく不安を覚えたが、すぐに、頭を振って気にしないことにした。
「みんなに、午後2時に宇宙港へ回航すると伝えてくれ、俺は部屋に戻って、少し頭の整理をする」
「了解しました。船長」
「船内放送、船長より伝達です。本船は1400時に宇宙港に回航する予定です。以上」
すぐに、ミネルバが放送する声が聞こえた。
マックスは立ち上がると船長室に戻った。
体の調子は絶好調だが、なぜか、しっくりこない感じだ。昔、祖父から教えられた瞑想による三位一体の境地に入る方法のことを思い浮かべた。
三位とは、心、技、体のことだ、この三つが一つにまとまることで、真の力を発揮することが出来ると教えられた。
マックスは祖父から教えられたことを思い出しながら、ベッドの上に胡坐を組んで瞑想に入った。
「船長。もうすぐ2時になります」
ミネルバがマックスに話しかけた。マックスはゆっくりと目を開いた。
「分かった。ありがとう」
「どういたしまして。船長」
マックスはベッドから降りると、船内放送用のスイッチを入れた。
「こちらは、船長だ。これからミネルバ号を宇宙港に回航する。ヴァンはブリッジに。ロバートは機関室に待機、エンジンの操作はロバートに任せる。ヴァンはパイロットを頼む。以上」
マックスはスイッチを切ると、マイクを元の位置に戻してからブリッジに向かった。
マックスがブリッジに入るとヴァンが待っていた。
ブリッジの後部隔壁の中央に船長席がある。船長席のコンソールは全部門の情報がコンソールに表示されており、全ての操作が可能になっている。また、ブリッジ全体が見渡せるように、少し高い位置にある。
船長席の前方中央にパイロット席が二つ並んで設置されており、両側には各々4席分のコンソールが並んで置かれている。パイロット席と各コンソールは床よりも低い位置になる。
ブリッジの前部天井に巨大なスクリーンが1個、その両側に横に長い2面のスクリーンが設置されいる。天井と壁は透明になっているため、外の景色は肉眼で良く見えるようになっている。
「船長。やっとお目覚めになりましたね」
ヴァンがマックスに挨拶した。
「そうだな、昼までぐっすりと眠ってたよ。ヴァンの方の学習は何時ごろに終わったんだ?」
「私は、3日後の夕方に目覚めました」
「3日後だって?」
マックスは驚いて、聞き返した。
「ミネルバを起動したのは、昨日じゃなかったのか?」
「船長は、5日以上、医療カプセルに入っていました。ミネルバを起動して、今日は6日目になります」
ヴァンが普段の顔つきでマックスに答えた。
「なんだって、それじゃ、今日は何日になるんだ?」
「今日は、帝国暦903年3月25日になります」
「そうか、そんなに経ってたのか、驚いたなぁ」
なるほど、だから目覚めたとき、あんなに飢えてたのか、とマックスは納得した。
「まぁ、考えてもしょうがない、ヴァンはパイロット席に座ってくれ」
「はい、船長」
ヴァンは答えると、右側のパイロット席に座った。マックスは船長席へ上がって席に座った。
「ロバート、準備はいいか?」
「はい、ご主人様。機関室に待機しています。いつでも、命令をどうぞ」
とロバートが答えた。
「では、これから、ミネルバを発進させる」
「はい、船長。」
ヴァンが返答した。
「ヴァン。外気換気口を閉鎖、貨物室搬出入口およびエアロックを遮蔽せよ」
「外気換気口、閉鎖しました。貨物室搬出入口、ロックしました。エアロックを遮蔽しました」
「ミネルバ。外部遮断を確認。船内生命反応および船体質量を確認せよ」
「外部遮蔽を確認しました。システムオールグリーンです。船内生命反応は4。船体質量も予定値。問題ありません」
ミネルバが答えた。
「ロバート。メインエンジンを起動せよ」
「メインエンジン、起動しました。エネルギー充填中」
マックスはジェネレータ補充ゲージがグリーンの線を越えるのを待った。
「生命維持装置。反重力装置、重力補正装置を起動」
「生命維持装置、反重力装置および重力補正装置を起動しました」
とロバートが答えた。
「ヴァン。管制塔に通信、発進許可を貰ってくれ」
「管制塔、こちら、自由貿易船ミネルバ号。応答を願います」
「こちら、管制塔、ミネルバ号、どうぞ」
「ただ今から発進します。発進許可をお願いします」
「発進を許可します。グッドラック、以上」
「ありがとう。以上」
「反重力リフレクター起動。船体を上昇させよ」
「反重力リフレクター起動しました。船体上昇を開始しました」
外の景色から、ミネルバ号がゆっくりと上昇しているのが分かった。
「現在、地上300mです」
とミネルバが答えた。
「船首方位変更、上位90度」
「船首方位変更中。...上位90度、変更しました」
今度はヴァンが答えた。
「通常駆動ドライブ起動せよ」
「駆動ドライブ起動しました」
とロバートが答えた。
「ヴァン、コースを宇宙港に設定してくれ」
「コース設定しました。」
「出力33%、2G加速開始」
「出力33%、2G加速を開始しました」
重力補正装置が働いているため、加速を全く感じないが、外の景色から、ミネルバ号が高速で上昇しているのが分かる。
すぐに雲を突き抜けた。
「現在、地上1500m、加速中です。秒速30m」
「ヴァン。宇宙港への到着予定時間は?」
「59分後です」
「オートパイロット設定せよ」
「オートパイロット設定しました」
「このまま、宇宙港まで待機」
「はい。船長。」
とヴァンが応答した。
「凄い船ですね。反応もいいし、とても扱いやすい船です」
「ありがとう。ヴァン」とミネルバが答えた。
「ミネルバ。何かしたか?」とマックスはふと疑問に思って、聞いた。
「とんでもない。私は何もしてませんよ。船長」
「船長の指揮がすばらしいので、私が何かをやる隙はありませんでした。疑ってますか。船長?」
「いや、信じるよ。すまん。ミネルバ」
ヴァンがくすりと笑うのが見えた。ヴァンが笑うのは非常に珍しい。
「ヴァン。笑ったな」
マックスが言うと。
「申し訳ありません。船長。でも、ミネルバはとっても素敵ですね」
ヴァンが返答した。
「ありがとう。ヴァン」
ミネルバが即答した。ミネルバとヴァンは気が合うようだ。
「現在、地上10万キロ。大気圏を抜けました」
「惑星周回軌道に乗りました。あと10分で宇宙港です」
「ヴァン、オートパイロット解除」
「オートパイロット解除しました。減速を続行しています」
「そのまま、減速を維持」
「了解。船長」
ヴァンが答えた。
「宇宙港を探知しました。到着まで7分です」
肉眼でも、前方に宇宙港が近づいているのが見えた。
「ヴァン、宇宙港に連絡してくれ」
「こちら、ミネルバ号、管制塔、応答をお願いします」
「こちら管制塔。ミネルバ号、確認しました。どうぞ」
「ドッキングポートV28番を予約しているはずだ、ドッキングの許可をお願いする」
マックスが答えた。
「こちら管制塔。ドッキングポートV28番の予約を確認した。誘導チャンネル2265番を設定せよ」
「ヴァン、誘導チャンネル2265番、設定せよ」
「誘導チャンネル2265番、設定しました」
「こちら管制塔、誘導チャンネル2265番、確認しました。地上からの回航船ですね。新型の宇宙船ですか?」
「まぁ、そんなとこです。」
「ファンドール・コーポレーションの船ですね、そのまま、誘導波に従ってください。以上」
「了解しました。以上」
ミネルバ号が宇宙港に近づくに従い、宇宙港が徐々に大きくなって来た。
ジャニアス星の小型宇宙船用商用宇宙港は、200tから2000tクラスの貿易船用宇宙港で、1000隻の貿易船がドッキングすることが可能だ。
宇宙港はドッキングポートが縦横に走っており、複雑な構造になっている。
中心部は、貿易センターなどの施設と、地上と結ぶシャトル発着所がある。
宇宙港が近づいてくると、ドッキングポートに繋がっている豆粒のように小さな様々な形をした宇宙船が見えた。
ミネルバ号は誘導チャンネルに従って、ぐんぐんと近づいていく。
「こちら管制塔、ミネルバ号を視認しました。そのまま、誘導波に従ってください」
「こちらミネルバ号、了解しました」
「白く輝いて、とても綺麗な船ですね。私はファンドールの船のデザインが好きなんですが、ミネルバ号のデザインは特に素晴らしいですね」
「気に入っていただけて、嬉しいです、ありがとう」
「おっと、しゃべりすぎでしたね。申し訳ない。ようこそ、宇宙港へ、歓迎します。以上」
「重ねて、ありがとう。以上」
マックスは答えた。
通信員と話している間もミネルバ号は宇宙港に向かって進んでいった。
すぐに、視界一杯に宇宙港が広がり、ミネルバ号がドッキングしようとしているポートが正面に見えてきた。
ミネルバ号は、ポートの空いている場所に向かって、ゆっくりと進んだ……。
やがて、ドッキングポートがミネルバ号の横に並んだ。のろのろとした速度で横に流れている。すぐに、停止するだろう。
「ドッキングポートに接舷しました」
ミネルバが報告した。あまりにも静かなドッキングだったため、いつ、接舷したか分からなかった。
「ドッキングポートをロックしろ」
「ロックしました」
「ロバート、駆動ドライブを停止」
「駆動ドライブ、停止しました」
「連結パーツを固定。ステーションリンクが接続されました」
「システムグリーンです」
「生命維持装置。反重力装置、重力補正装置を停止」
「生命維持装置、反重力装置、重力補正装置を停止しました」
「メインエンジンを停止」
「メインエンジンを停止しました」
「よし、ドッキング完了」
とマックスは、宣言した。
「ご苦労様、夕食まで解散してくれ、俺は船長室で瞑想する。何かあったらミネルバ経由で連絡してくれ」
「分かりました。船長」
ヴァンが答えると、マックスは船長室に戻った