最終話:ワタシのお兄ちゃん
「ざーーーくざっくざっくざっくざっくざっくー」
少女だった見た目は、返り血で真っ赤に染まった。
時間の経過でその血は完全に固まり、腐敗臭を撒き散らしている。
その上からまた返り血を浴び、それもまた固まる。
返り血のミルフィーユを纏った見た目は悪魔の名に相応しい異形。
白銀の惨劇は止まらない。
死体を刺し続ける異常者を、映画で見たことがあった。
『もう死んでいるのに』と観客に思わせ、その人物の怒りや快楽を表現する演出なのだろう。
「――、――! ――、――!!! ――――!!!」
リアクションを頂けるのは嬉しい。
この変態男も老婆も、飽きずに後悔と恐怖の反応を延々と返してくれる。
(カタリも皆殺しにしようと思ったけど、やめよう)
こっちの方がいい。
苦しませて苦しませて、天笠花の前に立ったことを後悔させながらの方が良いだろう。
飽きが来ない理由として、人としての習性より悪魔の方の割合が強くなっているんだと、自分でも気付いていた。
それでも、その手は止まることがなかった。
パキリ。
森の中。
道が存在しない小屋下の崖に、枝を割った音が聞こえた。
白銀は顔を上げると、音の方向を確認した。
そこにはキャップを被った男性の姿。
右手に杖のような棒を持ち、両手にはオレンジのゴム手袋をしていた。
警察ではないだろう。
よくわからないが、登山者か、遭難者か……。
「……」
どうしよう。
少女だった姿は、もはや面影はない。
全身は固まった血で赤黒く、髪の先からはまだ乾かぬ赤が滴る。
足元には原型を留めない肉と、それでも目だけは動く二つの塊。
人に見られたらどうするべきか。
頭を振り絞りながらも、その手は止まることなく肉の固まりを刺し続ける。
キャップが少しだけ上に傾く。
目元は見えなかったが、それは今行われている殺人現場ではなく、虫にたかられた遺体になった白銀の方に目が向けられた。
「……ダレ?」
「――フッ」
異形の問いに、思わず男性は笑いを漏らした。
「住職のご令嬢か?」
「……?」
何を言っているのだろう。
ただ、今の台詞は聞いた事がある。
あれは、どこだったか――でも、悪い記憶じゃないと思う。
キャップのツバを後ろにズラすと、その人物の顔が見えた。
「出来損ないめ。せっかく茶番に乗ってやったんだからちゃんと乗れ」
「――ッ!?」
それは誰よりも望んだ人物の顔だった。
「リ、ン……?」
ああ、と男は自嘲する。よく見た仕草だった。
「え、なんで……リンは……」
後ろを振り向く。
兄が着ていた洋服姿の死体と、目の前にいる兄の姿の男。
「ユキよ。我々の死後はどうだったか覚えているか?」
「あ――ッ!」
そうだ。
ワタシは、死んだ。
その後は――、
凛太郎はタバコを取り出すと、名残惜しそうにそれを胸ポケットに戻した。
「……リン」
色んな感情が、溢れてきた。
色んな疑問が、頭の中に湧き上がる。
今、リンに対してどう振る舞うべきなのか。
何を聞くべきなのか、ユキは判断がつかなかった。
「ユキはなにかと、道徳の話をオレに問うていたな」
「……ッ!」
そうだ、今、天笠花は、ナニをしているのか……!
「違うの! これは……ワタシ、悪魔じゃない。これは……」
そんな弁明を、兄はつまらなそうに眺めた。
「何を言っている? 物覚えが悪いな。モラル・サークルの話も、ミートパラドックスの話もしただろう」
「…………」
人を嬲り続ける悪魔。
初めて天笠花を見せた時と同じく、この男は動じない。
些細なことと言わんばかりに……と、そこで『些事』と言っていた言葉を思い出した。
「道徳……それと哲学の間か……」
兄はぶつぶつと唱えると、どうやって整理するべきか考えた。
「まずだ。大方、苦痛を与える現場を目撃されてバツが悪いのだろう。人の目を気にする感性も持っているのは意外だったが、もしそうなら少しは自分の見た目に気を配ったらどうだ?」
「……ッ」
こんな状況でも、いつもの説教が始まる。
凛太郎はリュックからペットボトルに入った水と着替えを取り出すと、ユキに渡した。
言われた通りに血を落として着替えると、兄は切り出す。
「道徳とは少しズレるか……まあいい」
自分は、場を仕切ったりするほうではない。
それでもこの男がここまで淡々と自分のペースで進めるのには、今更ながら何かしらの異常性が見える。
「ユキよ。"悪"とはなんだ?」
地面に転がる、苦痛を受け入れるだけのモルモットを見ながらリンは呟く。
「……人を、傷つけること」
「違う」
即答だった。
咎められると思って先回りしたつもりだったが、兄は首を横に振った。
「日本では明治まで仇討ちが認められていた。あまり宗教の知見はないが、確かイスラム教では現在もそれが認められている」
「……」
ユキの沈黙に、凛太郎は微笑んだ。
バカを嫌悪する反面、思考を留めない者をこの男は好む。
「悪とは、自分の手を汚さず利益を得る者だ」
風が、木々を揺らした。
血の匂いと腐葉土の匂いが、混ざって流れていく。
「モラル・サークルの話もしたし仇討ちの例も挙げた。ここまではいいか?」
わざわざ屈んでユキに視線を合わせると、呆れながらも凛太郎は微笑んだ。
「人を痛めつけるユキはあまり悪くない」
「うん……」
なんとなく、本当に兄が居ればこんな形で諭してくれるのかと妄想した。
田中リンは自分の死体に目を向ける。
次にそのまま地面に転がる男に目を向けた。
貞治の身体は何度も切られた痕が再生を繰り返し、皮膚は赤黒いまだら模様になっている。
正気はとうに失われていた。だがその気狂いすら時間が経てば元に戻ることを、凛太郎は遠目に観察して理解していた。
「よって貞治さんもあまり悪くない。しょうがないんだ」
「……うん」
頷くことしか、できなかった。
(これじゃワタシ、本当に"悪魔"だ……)
そうじゃない。
いや、そうじゃないと思いたかった。
だけど結局、自分が何をしていたのか気付かされた。
もう一つ、気付いたものがある。
「リン……ありがとう」
形だけでなく、自分がリンに対して本当に兄のように心の拠り所に感じているのも――。
「――つまりだ」
リュックの中からリンは包丁を取り出した。
大三元で自分用として使っている、安価な万能包丁。
「え――?」
近づく先は――地面で転がっている老婆。
彼女の目には溢れんばかりの涙が浮かんでいた。
「――、――!」
声を上げることもできない老婆は、目だけですり寄るような懇願を見せた。
凛太郎は「ふむ」と喉を鳴らすと、老婆の唇の上に刃を当てる。
「――、―――――!!!」
「だから"オレもあまり悪くない"」
大地が赤に染まるのを見て、納得した。
「……ああ、なるほどね」
だからこの人は――ワタシのお兄ちゃんなんだ。




