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02.問題はどちら??

「って言ってもなあー」


 素の口調になったのは、執事が退出したからだ。


 あのあと、「礼は弾みますぞ!」の執事の言葉に「よろこんでお引き受けいたします」と無意識に了承の返事をしてしまっていた。

 金好きな自分を恨んだ瞬間だった。


 さて、この少女の教育係になることが決まったということで、執事は嬉々として菓子と茶を取りに行っていた。

 部屋には俺と、言葉を解さない猫娘だけ。

 長椅子に身体を投げ出し、だらりとクッションに埋もれる。

 冒頭のやりとりで疲れ切ってしまった。今は茶より酒が欲しい。


 目の前では、少女が、絨毯の上に座り込んで、毬を手で転がしていた。

 小さな握りこぶしで、ちょいちょい、と毬を突いている。

 もしかして、指、使えないのかな……?

 一応、人と同じ五本指がある小さな手を見ながらぼんやりと考えた。


『お嬢様には、人間らしく生きて欲しい』

 執事の言葉が蘇る。

『人間らしく』の中に、人間が使う道具を使ってくれって意味も含まれるのだろうか。


 ……なんだかほんのちょっと嫌な予感が生まれたが、今は見えない振りをしよう。


「えーっと、ララ・キティア・マグシュタイン、十歳。両親、不在……」


 執事から受け取った書類を読み上げる。

 教え子となる少女の経歴をまとめたものだった。


「マグシュタイン伯爵の子供じゃなかったのか」


 経歴書には、姪、と記載があった。

 伯爵は独身。ララは、伯爵の妹の子らしい。


 マグシュタイン伯爵の名は、以前からよく知っていた。

 実をいえばかなりの有名人だ。


 ここワーレイ地方は、大陸最大であるこの国の北限

 そして、さらに北に住む蛮族の脅威に長く晒され続けた土地だった。

 雪解けの季節から次の冬季まで、年に幾度となく襲い来る蛮族。それを毎度返り討ちにし、近年では決定的な打撃を与えて完全に勝利した『英雄マグシュタイン』。

 その名は、都にまで届いている。


 だが、英雄の呼び名とは真逆に、その実は恐れられている存在でもあった。

 いつまでも寝ない子供には『マグシュタイン伯爵が来るよ』と脅せば、泣いて布団に潜り込むらしい。

 まあ、それは嘘じゃなかった。

 昨晩会った伯爵の姿を思い出し、ぶるっと身震いする。


「伯爵の娘のララ姫と言えば、悪魔も膝を折る超美人、って噂だったけどなあー」


 書類をズラせば、視界に入るのは手毬てまりと一緒にころころ転がる娘っ子だ。

 毬の中には鈴が入っているらしく、小さなこぶしが当たるたびにチリンチリンと音が鳴る。


 確かに、ララは間違いなく美人だった。

 はっきりした目鼻立ちは、一度見ただけでは忘れない印象的な造形をしている。

 特にこの、大きく澄んだ碧眼は人目を惹くだろう。無邪気な中に潜む、微かな野生と、外見の華やかさが妙なギャップになっている。これは可愛らしい少女の持つ目じゃない。


「――まあ、猫だからなあ」


 仰向けに転がるララは、手だけを動かし、毬を追いかけていた。ちょいちょいと握りこぶしで突いて、「んなー」と鳴いてる様子は、猫以外の何でもない。


「さて、どうやって言葉を教えるか……」


 読み書きそろばんの前に、言葉を教えなきゃいけない。

 試してみるか。

 よいせと身体を起こし、膝に肘をついて、椅子から呼びかけた。


「お嬢さん、お話、よろしいでしょうか」


 一応依頼者(クライアント)だからと、丁寧な口調で話しかけた。

 仰向けに寝転がったままのララが、頭の上にいるこちらへと目を向ける。

 お、こっちを向いた。


「いい子ですね。では、自分の名前、言えますか」


 動きは止まったが、何も言わない。


「ララ。貴女の名前はララ。言えますか」


 名前をことさらゆっくりと発音し、語り掛ける。

 ララは何度か瞬いた後、むくりと身体を起こし、初対面の時のように、ぺたりと床に座り込んだ状態で見上げてきた。

 そして、ゆっくりと口を開き。


「あーふ」


 欠伸をした。

 ……ナメとんのか。

 文句を言おう口を開けたら、ララが手毬をこぶしでぺいっと殴り飛ばした。

 玉打ちの要領で飛んだ毬は、チリンともべちっともつかない音をたて、俺の額にクリーンヒットする。


 額から剝れてゆっくり落ちた手毬は、俺の膝でテンと一度弾んで手のひらに収まった。


「ふ……ふふ」


 ……初対面で、俺に喧嘩を売るとはいい度胸だ……


「ふふふ、そうですよね、玩具があったら会話に集中できませんよ、ね!」


 苛立ちのまま、毬を遠くにぶん投げた。

 俺としては、この娘っ子の集中力を乱すものを目の前から排除したつもりだった。

 のだが。


「にゃー!」


 一気にテンションが上がったララが、毬に向かって四つ足で飛び出していく。


「違うわ遊んでんじゃねえわ!!」


 思わず素で怒鳴った。

 ララは毬の着地点で、再度毬を転がし、自分で追い掛けて盛り上がっている。

 チリンチリンとやかましく鳴る手毬に、俺は地団太を踏んだ。


「言葉くらい通じろこのクソガキ!」

「にゃ!」

「こんなときだけ返事すんじゃねえ!」


 目と目で通じ合った猫娘に怒鳴り返す。

 そんな俺の背後で、廊下に繋がる扉が開いた。


「おや、お嬢様と遊んでくださっていたんですね」

「ええ、心の交流のために」


 即座に営業用の微笑みに切り替えた俺に隙は無い。


「さすがはレオニール先生。お嬢様が初対面で打ち解けるなんて珍しい」


 給茶ワゴンを押し、テーブルまでやってきたドラキスは、三白眼を細めてララを眺めた。


「ああ、ようやく良い先生が見つかった……本当に喜ばしい。お嬢様は美しく、心も優しいお方。我々は、お嬢様に幸せな結婚をしていただきたいのです」


 三白眼には、慈愛が溢れていた。

 慈愛があっても顔は恐ろしかったが。

 見つめる俺の視線にハッとなったドラキスは、照れたように茶の準備を始めた。

 ワゴンの上には、カップが二つ。

 一つは普通のティーカップだった。

 だがもうひとつ。そこには、持ち手のない、広めのカップ。まるで皿の一歩手前のような形状の器。……すごく嫌な予感がした。


「ドラキス殿、そのカップは……?」

「こちらですか? お嬢様用です。お嬢様は手を使われませんので、直接お飲みになられます」


 直接って、あれかな? 顔を突っ込んでごくごくやるのかな? もしくはぺろぺろ?


 挙動不審になる俺の目の前で、ドラキスは皿のようなカップに茶を注ぐ。

 半分ほど注いだあと、なぜか水をなみなみと注ぎ、茶を薄めた。


「お嬢様は、猫舌でいらっしゃるので」


 照れたように言う必要あるかね?

 なぜか頬を染める三白眼は、そのままワゴンを離れ、部屋の隅で未だに手毬を追いかけているララに歩み寄った。


「お嬢様、お茶が入りました」


 膝をついて話しかける執事を尻目に、俺はさっさと茶を飲む。

 いろいろ冷静にならねばと必死だった。

 仮題山積み。問題多発。

 読み書きそろばんの前に、やらねばならないことが多すぎた。

 言葉の教育。道具の使い方。

 茶の香りに包まれながら、巡るましく教育手段を選択していく。

 本人だけでなく、おそらく使用人にも問題がある。

 十歳にしてララが赤子同然の状態にあるのは、知能以前に環境も影響している可能性があった。


 虐待はきっとない。執事の様子を見ても、『お嬢様』を溺愛している様子が見える。

 原因があるとしたら――きっと甘やかしすぎだ。


 この屋敷の人間が、どうララに対応していたのか、確認する必要があった。確認し、矯正していく必要があった。


「お嬢様、お茶ですよ。お分かりになりますか」

「にゃー?」


 部屋の隅では、丸まって伏せているララに向かい、執事がゆっくりと繰り返し話しかけていた。

 無理矢理移動させる気はないらしい。まあ、これは使用人としては普通の対応だろうか。

 ララは首を傾げ、執事を見上げた。


「なぁーん?」

「ええ、焼き菓子もございますよ」

「なぁむ、なぁーん?」

「ええ。なぁーん、あー、でございます」

「あー!」


 ……おい、何か今、会話成立してなかったか。


「あー、ふぁーなぁ~?」

「はいはい。むぁーなーん、でございます」

「にゃん!」

「それはようございました」

「ドラキス殿ちょっとお待ちください!?」


 明らかに何かを理解し、歓喜に沸くララ。頷くドラキス。

 俺は思わず立ち上がって突っ込んでいた。


「なんでございましょうか?」

「いやいやいや、なんでって」


 膝をついたままきょとんと首を傾げる三白眼に、こっちが冷や汗をかく。

 乱れた息を三回の深呼吸で落ち着かせ、俺は冷静を務めて質問をした。


「……今、何語で会話をしてらっしゃったんですか」

「何って、お嬢様の言葉です。そういう意味ではララ様語ですな」


 どや顔で言う執事。違う、今は言語名を聞いてるんじゃない。

 人語を教えるより先に、人間が猫語を習得するなどという事態が発生してるのはなぜだと言っとるんじゃ。


「お嬢様が我々の言葉を理解していないなら、我々がお嬢様の言葉を理解すればよいのです。お嬢様の心に寄り添うのも、使用人の務め」


 恭しく胸に手を当ててるが、そのお嬢様とやらはアンタの服の燕尾にじゃれて遊んでんぞ。


 間違いなく明らかに、使用人側に問題あり。

 俺は、心の手帳に、しっかりとメモをした。


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[一言] 喋れる様になっても語尾のにゃは取らないで下さい。(笑)
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