今の幸せ
改めて、3人に話しかけるイリス。
「あ、あの、みんなも一緒にお片付けしない?」
静寂。
またもや、返事どころかイリスの方を見ようともしない。
「えっと、聞こえてるかなー、あはははは…。」
絶対に聞こえているはずではあるが、話す内容に困ったイリスは3人に問いかける。
「あの、ちょっと」
言いかけたところで、イリスは過去の自分を思い出す。
天涯孤独の身となり、奴隷として過ごす毎日。
孤独とは、誰かに慰めてもらうものではなかった。
奴隷時代に、周りの全くすべての人から虐げられたわけではない。
稀に、奴隷であることを憐れみ、慈しみを与えようとする人もいた。
しかし、そのすべてを拒否した、拒否してしまった。
さらなる孤独に陥る恐怖がすぐ目の前にあったからである。
孤独な者は、現状の孤独でいる方が幸せと思い込んでいるのかもしれない。
そんなものたちの意識を、部外者が勝手に変えられるわけがない。
できることは、きっかけを与えることに過ぎない。
「みんなはさあ、お父さんとか、お母さんはどうしてるの?」
はりつめる空気。
同じ静寂でも、先ほどとは明らかに異なっている。
「みんなの家族の話が聞きたいなあ。今どこで何してるとか、どんな人なのかとか。」
「…なんかに、」
ゼルの口元が小さく動く。
「何か言った?」
瞬間、イリスは後ろの壁に突き飛ばされていた。
「お前なんかになんでそんなこと言わなきゃいけないんだ! 幸せそうにしてるお前なんかに…!」
小さい体ながら、さすがは獣人である。
一瞬の間にイリスの目の前に立ち、思いっきり突き飛ばしたのである。
キーマとカーマは、おびえながらもイリスの方をにらみ続ける。
後ろの壁に衝突するイリス。
それでも、ゼルの方を見続ける。
再び沈黙が続く。
しかし、それは一瞬であった。
「死んだよ、父さんも母さんも兄も妹も、全員殺されたんだ…お前ら人間になっ!」
悔しさをこらえながら声を絞り出す。
震える声ではあるが、想いは痛いほど感じる。
「それ以来、人間は信用しないって決めたんだ! どんなに優しくされても、どんなに仲良くしてきても…。僕が人間と親しくしていたら、父さんたちはなんて思うか…!」
カーマとキーマも泣きながらうなずく。
想いは、同じなのだろう。
「お前はいいよな、お母さんがいて…。僕にはもういないんだ…誰も…。」
「私も、お母さんはもうこの世にいないよ。」
久しぶりに発したイリスの声は、不思議とその場によく通った。
ゼル達はイリスの言葉の意味が理解できず、固まっていた。
「あの人は私の本当のお母さんじゃない、奴隷だった私を買ってくれた人。」
「…奴隷?」
「そう、奴隷。私はお父さんの顔を見たこともない、お母さんは私が小さいころに死んだ。それ以来、ほとんどの時間が奴隷だった。」
初めて、ゼル達がイリスと向き合い、イリスの言葉を聞いている。
イリスの話が作り話とはまるで疑っていなかった。
「ずーっと苦しかった… 死んでしまおうかとも何度も思った。 でも、なぜか毎回死ねなかった。」
イリスは自らの過去を回想する。
間の空いた話し方に、それまでのイリスの想いが詰まっている。
「今思えば、きっと今のために死ねなかったんだと思う。 頭では死にたいと思ってても、心の底では、まだ生きたい、生きてもっと幸せになりたいって思ってたのかもしれない。」
「そして、今のお母さんに出会った。 始めは、何のために優しくしてくれるのか分からなかった。私に優しくして何の利益があるのか、私を何に利用するつもりなのか。」
イリスの人生で、自分を利用しようとしなかったものは、ずっと前に殺してしまった実の母親しかいなかった。
「でも、少しずつ分かってきた。あの人は私に何も求めていない、私を利用しようともしていない。
ただ、私に一緒にいてほしいだけなんだろうって。」
「でも、いつかそうじゃなくなるかもしれないよ?」
ずっと静かに聞いていたゼルだが、どうしても聞きたいことがあったのだ。
「そのために今一緒にいるの。一緒にいて、お互いが必要な存在になれるように。」
偽りのない、イリスの本心だった。
「アリエさんが私から離れていくことなんか想像もつかない、したくもない。だから、そんなことが起こらなくてもいいように、今、同じ時間を共有して、お互いが幸せになれるようにするの。」
「だって、私のかけがえのないお母さんなんだから!」




