03話 静止する家
目が覚めたとき、家の中に音がなかった。おれは天井を見上げたまま、しばらく動けなかった。
カーテンの隙間から光が強く差し込んでくるが、まだ瞼が重く、頭の中も静かだった。
チェストの上のデジタル時計≪13:27≫が緑に光っていた。
かあさんは、いないらしい。そのことがやけに気になり重い身体とは関係なく、すんなりと起き上がることが出来た。
誰もいないことを確かめるようにリビングに入ると、テーブルの上に置手紙があった。
〈オバーのところに行ってきます。〉
置手紙を手に取り、少しの間それをジッと見ていた。
脳裏におれを見る2つの黒い目が過ぎる。
服が肌に張りつく嫌な感じ、汗の気持ち悪さが現実に引き戻す。
部屋に戻り、上着を脱ごうと掴んだ指に湿った汗の不快感が伝わってくる。背中や脇腹に引っかかる嫌な感じを無視して強引に上着を脱ぎ捨てる。
目の前の姿見には、無表情でいてどこか不機嫌そうなおれと目が合った。少し視線を下げると脇腹にある痣に目が止まる。やっぱり痣が濃くなっている。
そんなことを思ってたところにチャイムが鳴った。
クローゼットに掛かった服を手に取り、素早く着替え少し速足で玄関に向かった。
玄関から「ワタル、いるー?」と声がした。
そこには、ドアを少しだけ開けて頭の半分をこちらに向けるミヅハねーがいた。
少し明るめのブラウンに染めた髪色、外の光が頭頂部に当たりそこだけゴールドに光って見えた。
「ミヅハねー、どうしたの?」
ミヅハねーは、近所に住むユタのオバーの孫娘で、おれの2つ上のお姉さんだ。今は沖縄の大学に通っている。
入ってきたミヅハねーは、7分丈の白のブラウスに長めのデニムのショートパンツ姿で、しばらく見ないうちに快活な感じの雰囲気になっていた。
「おばあちゃんから、ワタルにお昼持っていくように頼まれて来たんだけど」
「はい、これ」と言って差し出された紙袋には、いくつかタッパーが入っていて、温かく良い匂いがした。おれは受け取りながら、少し身構える。
「何かあった?かあさん、オバーのところにまだいるの? 」
「私も詳しくはわからないんだけど、午前中には来てたみたい。それで、、、」
ミヅハねーは、少しだけ言いにくそうにして
「おばさん、体調が悪いみたいでうちで休んでて、お昼食べたら一緒に家に来て欲しいって、おばあちゃんが」
体調が悪い。
その言葉が、うまく飲みこめなかった。
今は医療用ナノマシンがあり、それを体内に注射することで身体の不調は、ある程度は治ってしまう。
治らないってことは大きな病気か、もしくは精神的なものが原因ってことになる。
ちなみに今は病院やクリニック以外でも、国に指定された薬局であれば予防接種や、医療用のナノマシンの注射を打つことが出来る。
「わかった。すぐ行く」
「待って、ワタル。おばあちゃんが、急がないでご飯食べてから来なさいって」
「わかった。」
オバーの家は平屋で、庭には大きなガジュマルの木がある。ブロック塀沿いには観葉植物が入った鉢植えがいくつも置かれ、草花が植えられたちょっとしたガーデニングスペースや、門柱の上には茶色のシーサーがある。
門扉のない門を通ると玄関横の大きな掃き出し窓から、座椅子にもたれたオバーと目が合い「入っておいで」と声をかけられた。
「おじゃまします。」
ミヅハねーの後に続いて中に入ると
「よく来たね。ミヅハ、お茶を入れてくれるかい」
オバーが声を掛けてくれた。
家の中は正面から右奥まで座敷が続いていて、正面に仏壇とテーブルがある。
左手の廊下の先は奥の台所に続いている。
右奥の座敷の襖が開いていて、そこに布団が敷かれて横になっているかあさんが見えた。
それを見ていたオバーが、おれを奥の座敷へと促した。
「私、お茶入れてくるね。」
と言って、ミヅハねーは奥の台所の方へ歩いて行った。
かあさんはおれが来たことにも気が付かず、布団のうえで目を閉じていた。
近づくと、瞼が動いて、こちらを見た。
「ワタル、いつ来たの?ちょっとおかあさん、体調崩しちゃったみたい」
声が細く息が浅い
「今きたとこ、かあさんの具合が悪いって聞いて」
「心配かけて、ごめんね。ちょっと疲れちゃったみたい。少し休んだら大丈夫だから」
かあさんは、こんなときでも心配させないように無理して笑ってる。
「ワタル、ご飯は食べた?お昼、用意できなくてごめんね。」
「ミヅハねーがお昼、持ってきてくれたから大丈夫」
そんな他愛もない会話を少し交わしていたところ
「ワタル、お母さんを少し休ませてあげて」
オバーが声を掛けてきた。
「ミヅハがお茶入れてくれてるから、向こうにおいで」
「お母さん、少し休むね。」
そう言って、かあさんはまた目を閉じた。
かあさんが寝込んでいる姿なんて、ほとんど見たことがなかった。いつも先に起きて、台所に立っていた。それが当たり前だった。
座敷のテーブルの上には3人分のお茶が置かれていた。
オバーが奥の襖を閉め、座椅子に座ってから奥の部屋に目を向けて言った。
「今どきは、どこか悪くても注射が効いてくれば何とかなるものだけど
それでも、あんたのお母さんは、良くならなかったよ。」
「……何かの病気ってこと?」
「体の病気じゃないよ。」
オバーは、ゆっくりとお茶を口に運んだ。
「魂と、体の結びつきが弱っているね。
普通は体の中に納まっている魂と、その結びつきが緩んだりしない。」
「それってどういうこと?」
「この結びつきが弱くなって、緩んでしまうと身体に力が入らないから、どんどん身体が弱っていく。もし、魂が完全に身体から離れることになれば意識が戻らないことも考えられる。あんたのお母さんの魂は外から、よくないものが魂に触っている。こういうのは、注射じゃどうにもならん。」
言っていることの半分も、おれにはわからなかった。魂に触る。外のよくないもの。まるでおとぎ話みたいだ。
「今はね、この家にいるから、いくらか楽なんだよ。この家は、外のものが入りにくいようにしてあるからね。でも、それだけじゃ足りない」
「ワタル。ひとつ、頼まれてくれるかい」
オバーは、まっすぐにおれを見て
「御嶽の薬草を取ってきておくれ。それを煎じて飲ませれば、身体のバリアを強化することが出来る。お母さんの魂も、いくらか力を取り戻す。この家にも同じ薬草を植えてあるけどね……ここの土地と、御嶽の土地とでは、含んでいる霊力がまるで違う。今のワタルのお母さんには、御嶽の薬草が必要になる」
「御嶽の薬草?」
「大山の御嶽さ。大山はここから、そう遠くない。本当なら、私が行くんだけど
この膝じゃあ、大山の山道は上れないから」
オバーは、ミヅハねーのほうを見た。
「ミヅハ。あんた、ワタルと行っておいで」
「私、一人で行くの!?」
「ワタルも一緒だよ」
「おばあちゃんは、行かないんでしょ?それって、私が一人でやるってことじゃない。ワタルは拝みのこと知らないでしょ?」
「そーだよ。だから、いい機会さ。教えてやっておくれ」
「いーやーだー」
ミヅハねーが、子どもみたいに口をとがらせる。おれは、思わず小さくなった。
「……ミヅハねー。なんか、ごめん」
ミヅハねーは、しばらくおれとオバーを睨んでいたが、やがて大きくため息をついた。
「……わかったわよ」
オバーは、満足そうにうなずくと、奥から何かを持ってきた。
まず、布製の小さな巾着袋をおれと、ミヅハねーに渡して
「これを持っておいき。守りだから、失くさないようにね。これがないと御嶽の中に入れない。それに中で失くすと出てこられなくなる。危ないから首から下げておいてね。」
オバーは続けて、鈍く光る金属のブレスレット――プラストンを渡した。
「プラストンは、まあ、何かの役に立つさ。ミヅハは使い方を知ってるからね」
オバーが時計を見ながら、低い声で
「今から行けば、16時前には御嶽に着く。いいかい、暗くなるまでに、必ず境界から外に出るんだよ。18時はもう暗いから、17時半には、あそこから出るようにしなさい。日が暮れてから、御嶽の中にいちゃいけない。それだけは、忘れないでおくれ」
おれは、うなずいた。
なぜだか、その一言だけが、やけに重く聞こえた。
お守りを握りしめて、おれは立ち上がった。座敷の奥では、かあさんが、静かに目を閉じたままだった。




