生き地獄
「よォ、いい子にしてたか?」
「っ!?」
ノックも無しに乱暴に開かれた扉に肩が跳ねた。
激しく脈打つ鼓動に浅い呼吸を落ち着かせるように胸を押さえる。
「い、イグニダ将軍……」
軍服ではなく、シャツと黒のスラックスというラフな姿だ。シャツのボタンは下半分しか留められていない。従って彼の胸筋は隠されることなく、こんにちはしていた。
(これがセルシオン様だったら狂喜乱舞するのでしょうけどね……)
彼には失礼な話だが、なんだか勝手に残念な気持ちになってしまい視線を逸らした。
「すぐに来れなくて悪かったな。一日退屈だったろ?」
「いえ、全然。全く。快適でした」
むしろ来るなと言いたい。言わないけど。
「そう言うなよ。準備に手間取っちまってなァ。ようやく聖女サマにも楽しんでもらえそうなモノが用意出来たんだ」
言いながらずんずんと私に近付いてくる。
後退りする私の腕を掴むと真上から見下ろして、その灰色の瞳を細めた。
「喜べ。聖女サマにピッタリな特別な部屋に案内してやるよ」
まるで犬の散歩のように首輪つけられ、鎖で繋がれたその先をイグニダ将軍に引かれて歩く。酷い屈辱だったが唇を噛み締めて耐えた。
ただ幸いなことに使用人とすれ違うことはなかった。もしかしたら私に同情する者が脱出の手引きをする可能性を懸念して、前もって下がらせていたのかも知れないが。まあ考えても仕方ない。
しばらく歩くと邸の中央階段の踊り場へと出た。
そこに置かれた獅子の像の前に立つと、イグニダ将軍は右目に嵌め込まれた宝石を二回押して、左目の宝石を取って嵌め直す。
そして、像を奥に押すと足元にボタンが現れた。右足でそれを踏むと、程なくしてカチッと小さな音がした。
「こっちだ」
「うっ……」
言うなり鎖をぐいっと引っ張られ、よろめきながら後に続く。
一階まで階段を降りたイグニダ将軍は、階段脇の壁に触れる。
彼が鮮やかな赤い魔力を手に纏うと鉄扉が現れた。
キィィィ……と鉄扉の開く嫌な音が耳を刺す。
それと同時に下から吹き上げるような鉄臭い匂いが鼻についた。
その強烈な匂いに手で鼻を覆って顔を顰める。
鉄扉の中は細い階段が螺旋状に下へ下へと続いているようだ。
イグニダ将軍が手に持つ魔導灯以外に灯りひとつない狭い階段を、鎖で引かれるまま足を踏み外さぬように壁に手を当てながら恐る恐る下りていく。
(地下室……これはもう決定的ですね)
まるで独房のような扉を前に身震いする。
イグニダ将軍が扉を開けると、扉によって抑えられていた血臭が一気に放たれた。
階段を降りる前に嗅いだ臭いなどほんの上澄みのようなものだった。
酷く充満した臭いに頭がクラクラする。まともに換気もされていないのか澱んだ空気が満ちて息をするのも躊躇うほどだった。
部屋は思った以上に狭かった。
長細い室内はイグニダ将軍の足ならば、十歩も必要なく一番奥の壁に突き当たるだろう。
慎重に室内を見回すと部屋の中央には拘束具が取り付けられた台が置かれ、部屋のあちこちに血が付着した薄気味悪い道具が散乱している。
そして、床には人の体の一部と見られる肉片が落ちていた。
「うっ……!」
吐き気が込み上げて思わず口元を覆う。
「温室育ちの聖女サマには刺激が強かったか? まァ、そのうち慣れるさ」
部屋の中ほどまで進んだイグニダ将軍は鎖を持つ手を離した。
拘束されている気分から少し解放された気持ちになって、ほっと息を吐くとその拍子に部屋の空気を吸い込んでしまい咽せてしまった。
「慣れさせねェと会話も出来ないか。暫くここに閉じ込めてみるか?」
イグニダ将軍が自分の顎をさすりながら呟くのが耳に届いて慌てて首を横に振る。
(こんな所に閉じ込められたくないです……!)
咽せた拍子に涙が滲んでしまった目で見上げると、大きな手の平が私の頭を鷲掴んだ。
「ああ、そうだな。時間はたっぷりある。早々に壊れたら面白くねェよな。ゆっくり慣れさせればいいか」
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
こんな場所に居たくない。
咄嗟に何も考えずに逃げようと出口に走るが即座に捕らえられ、そのまま床に投げられた。
室内だと言うのに床は湿った感触がした。
じわりと服に染み込んでくる不快な感覚だ。床についた手を見ると、赤黒く汚れている。
「ひっ……!」
「逃げるなんて酷いじゃねェか。俺がどれだけ聖女サマが来るのを楽しみにしてたか知らないだろ? 兄貴も婚約者の女も部下共も遊んでやったら、すぐくたばっちまうんだ。寂しいもんだぜ」
イグニダ将軍はおどけた調子で笑いながら続ける。
「だが、聖女サマなら骨が折れようが腕を落とそうが治せるだろ? ずっと簡単に死なないモノが欲しかったんだ。婚約当初はまさか聖女に覚醒してくれるとは思わなかったが、神サマが俺に与えてくれたプレゼントなんだろうなァ。生まれて初めて神サマに感謝したぜ」
近付いてくるその手は、正しく悪魔の手に見えた。
「この部屋の中では治癒魔法だけは使えるようにしてある。さァ、俺と遊んでくれよ。愛しい愛しい俺の聖女サマ」
そしてイグニダ将軍は一日一回、私を地下室へと連れて行くことを宣言した。
首を落とされたり、心臓を突かれるというような致命傷になり得ることはされなかったが、逆を言えば死なないギリギリのラインを見極めて私を甚振っていた。
初日は指を一本ずつ落とされ、目を抉り出され、脚の腱を切られて這いずる私を笑いながら地下室の中で追い立てた。
二日目は膝から下を先の方から嬲るように潰され、お腹を裂かれて内臓を取り出されて目の前で潰されたり、耳を切り落とされたりした。
そして最後には治癒魔法で治させて、元の部屋に戻されるのだ。
「三日目……」
力無い声で呟き、朝陽を拒絶するように頭から布団を被る。
治癒魔法を使うのが怖いと思う日が来るなんて思わなかった。
たった二日の間で急速に疲弊していく精神は、それでもセルシオン様を支えに辛うじて崩れないでいたが、灰色の瞳の狂気がじわじわと私を蝕んでいくのがわかる。
このまま助けを待つだけでいいのか。私一人でも逃げるために足掻かないと。でもどうやって。
取れる手段全てを封じられた状態で何ができると言うのだろう。
弱音を吐きたくなんてない。きっと助けが来る。
皆のことを信じている。
けれどーー
「早く……帰りたい……」
呟く声は震えていた。




