145 悪夢の館 その5
最後の部屋に向かう。
地下駐車場。
扉に内蔵のオブジェは張り付けられていないが、異常に張り詰めた空気は変わらない。
「神よ、聖霊よ、我を守り給え。悪を払い、地獄に追い返し……」
聖美沙が微かなつぶやきを延々繰り返している。
扉に手をかける。
「開けるよ。離れていて」
無言でうなずく聖美沙。
階段の下に治癒クマー翔一。階段を一歩降りた場所に黒い子熊のダーク翔一。廊下から聖美沙が見守っている。
開けようとしたとき。
「翔一」
微かな声が聞こえた。
「え? お母ちゃん?」
「翔一、助けて!」
「クソ!」
メキメキ、扉が子熊の怪力で割れる。
「ダメよ、落ち着いて。罠よ!」
聖美沙が叫ぶが、翔一は母の声には冷静さが消えてしまう。
怒りに任せて扉を砕いて乱入した。
地下駐車場は前と同じく魔方陣にろうそく。
中央に一瞬人影があったが、それは即座に消える。
そして、何かの強烈な気配があった。
グルルルウウウウウ。
獣の唸り声、
それも複数。
野獣の臭気が充満している。
(前より術の完成度が低い!)
微かな希望を持って精霊界から『念焔剣』を出す。
「え? お父さん!?」
廊下から聖美沙の声。
「おい、気をつけろ!」
宿精の声が聞こえたが、翔一は迫りくる何かにそれどころではなかった。
透明な何かがとびかかってくる。
同時にすさまじい三条の火炎。
「ダブルシールド!」
フライングシールドと鏡を背負ったチビクマが飛び出し、炎の線を片方は止め、片方は跳ね返す。
もう一条の炎線があったが、それはさっとかわす。
「ガアアアア!」
自分の炎を浴びて、燃え上がる怪物。ダメージを受けて透明が途切れたのか。
それは巨大な黒い犬だった。
恐ろしい三つ首の猟犬。
黒い毛皮、赤く光る眼。たれ落ちるよだれ。一つの首は燃え上がってもがいている。
(こいつは強敵!)
「白虎一剣!」
危機に感情が爆発し、瞬息で大熊と化す。
肺に空気を吸った瞬間を狙い、電光石火の一閃をした。
ズン!
胸から背中を渾身の力で斬る。
割れる骨と肉。
しかし、猟犬たちは大熊に噛みつこうとする。
剣は刺さって抜けない。
体と魂をオーラの炎で焼かれているのに三つ首犬の怪物は異常な頑強さだった。
左手で左側の犬の首を抑え、右側は膝でつぶす。
中央の首が最も大きく狂暴な顔だった。
渾身の握力で口を閉じさせて、爪を食い込ませる。
「ガアアア!」
犬の左前脚の爪がわき腹に刺さった。
「クソ!」
ガっと、猟犬の中央首に牙を食い込ませ、食いちぎっていく。
同時に左手で猟犬の左首の顎を外そうと、爪を顎の関節に食い込ませていく。
ガガガ、がりがり。
コンクリートを削りながら怪物はもだえ苦しんだ。
ブチ! バリ!
脊髄を折って首を食いちぎり、同時に顎を引き抜く。
大暴れする怪物、しかし、大熊も怪力で抑え込む。
「『水竜剣』!」
巨大木刀を取り出し、短く持って激しく出血する中央首の喉に木刀を突っ込んだ。
ズボ、ズズズズズ。
水竜の精が体に潜り込みながら怪物の魂を喰らいつくす。
やがて、動かなくなった。
「はぁはぁ。美沙さん! ダーク君!」
慌てて仲間の様子を見に行く翔一。
階段に入れないので子熊に戻る。
「そ、そんな……」
駐車場から一階廊下に出ると、そこには無残な光景。
足元にはボロボロに四散し生気のない黒い熊のぬいぐるみ。
そして、
「あ……」
血だまりの中にうずくまる聖美沙。
災いを吸い切れず膨れ上がったチビクマが傷口を抑え、少女の血を止めようと奮闘している。
「キューキュー」
少女を膝に抱く翔一。
「く、クマちゃん。ごめんなさい。油断したわ……」
「ダメだよ、喋らないで」
大急ぎで治癒精霊を纏わせる。
バリッと服を破いて患部を見ると、巨大な鉤爪に胴体を裂かれていた。内臓がはみ出ている。
(くそ! こんなんじゃ助からない!)
「霊薬を」
「もう、無理。気を付けて、敵はあなたの最も心の芯になる人を狙う」
「しかし、この薬なら」
「いいの、もう」
ふと見ると、聖美沙の肉体は力を失い、子熊に話しかけているのは悲しい目をした少女の霊だった。
「こんな、酷い……」
「あなたともっと仲良くしておけばよかった。ごめんなさい、意地を張って」
スーと消えていく霊魂。
消えながら霊魂が口を動かす。
「車」
「え?」
「なかったわ」
血まみれの少女が膝の上で眠ったように息絶えている。顔は穏やかだ。
しかし、翔一の心は悲憤で狂っていた。
「嫌だ、こんな結果、嫌だ!」
翔一は虚空に向かって叫ぶ。
ブゥゥゥン。
車の音。
「……」
気がつくと、のどかな朝の縁側で寝ころんでいた。
モフ手を広げてみる。
一滴の血もついていない。
わき腹も裂かれた痛みはなかった。
「美沙さん、ごめん。あなたの魂を巻き込んで苦しめてしまった」
ひょいッと庭に立つとガレージを確認する。
御剣山家のガレージはガラス張りの洒落たものだ。父の天羽英二が車好きで何年か前に建てたと聞いた。
おかげで外から中が簡単に確認できる。
(車がない)
翔一はスマホを取り出し、電話をした。
そして、一言二言会話するとすぐに切る。
縁側に戻った。
「雑草が生えてきたから後で僕が草刈りするよ」
「あら、先日抜いたと思ったのに、もう生えてきたの」
台本を片手にやってくる女の声。
「道具の場所はわかってるから……その台本『愛しい君と、青空の下で』だよね」
「そうよ、まだ発表前なのに詳しいのね」
女はそう答えながら、リビングのソファーに座る。
「ちょっと待っててね」
家の中をごそごそ動き回る子熊。
「ウフフ、何なの」
「草刈りの前に家をきれいに掃除するクマ」
「ありがとう、翔ちゃん」
女はコーヒーを飲みながら、台本に目を通す。
「クマクマ」
微かな気配が家の周りをうろうろとしていた。
しばらくして、ふと、女は台本を読む手を止める。
「面白い話ね、これ」
コーヒーを飲む。
「翔ちゃん、庭のお掃除はどうするの」
ソファーの後ろにモフの気配がある。
「ん? 何もしないクマ」
「どういうこと」
「でも、準備は終わったクマ」
女は振り返って子熊を見る。
そこには、鹿の頭蓋を被り、毛皮のマント、そして、宝石の付いたロッドを手にした治癒クマー翔一の姿。
「何のつもりなの」
「今から、悪魔を封印するクマ」
「え?」
ズイ、ズイっとリビングの東西南北から存在が現れる。
北に土器面を被った熊のぬいぐるみ、土壁源庵。
南にかわいい人形の大絹姫。
西に黒い子熊ダーク翔一。
東に歩く熊のぬいぐるみ、坂東四天王の筆頭、鋼金剛。
「祖霊よ、魔を、悪しき者を捉え、殴りつけ、閉じ込めよ」
四体の異形が唱和する。
翔一がロッドをかざすと、渦巻く祖霊の怒りが女を取り込み始める。
「貴様! なぜ、我の正体に気が付いた!」
女の顔はどこの誰ともわからない中年女性になり、その背後に巨大で黒いオーラが半身をさらけ出して覆いかぶさっている。
声を出している者は、この憑依した怪物なのだ。
「お前の正体は何者クマ。よくもお母ちゃんに成りすましたな」
「ガアアア、いいのか、俺を封印すればこの女も死ぬことになるぞ!」
黒いオーラは女の心臓を掴んでいる。
一瞬、唱和に迷いが出る。
「みんな、術は続けて。こいつの最後の悪あがきクマ」
「ヒヒ。やめろ、この女を殺すつもりか」
翔一はロッドを置いて剣を出す。
「何のつもりだ、女は可哀そうなその辺の普通の女だぞ。やれば貴様は永久に罪から逃れられない」
「そうならないわ、私がきたから」
ガラッと扉が開き、ロザリオをかざす聖美沙がいた。
「貴様、魔女か」
「神よ、聖霊よ、悪魔に天罰を!」
白い光が悪魔の動きを止める。
「天照岩割剣!」
悪魔が気が付かないうちに子熊は天井まで跳んでいた。
そして、その姿は聖なる光により隠され、剣が目前に迫るまで気が付かなかった。
鞘を居合で抜いて、燃える剣を光の中から突き出す。
バシュ!
必殺の『念焔剣』が悪魔を縦に貫いた。
「ギャアアアアアアアアアアア!」
特大の悲鳴を上げて悪魔は炎上する。
「魂が、魂が燃える!」
叫ぶ悪魔。
霊魂は炎をあげながら黒い渦となって用意された瓶に吸い込まれていく。
カポ。
「蓋をしたら、もう無害クマ」
ぎゅっと蓋を閉め、マジックで封印紋を描く。
力を失って倒れる中年女性。
鋼金剛が慌てて彼女を支えた。
一段落してから、休憩する。
片付けなどは祈祷師ゼロがやってくれていた。
縁側で聖美沙と会話する。
チビクマたちが麦茶を持ってきた。
「ありがとうクマ。美沙さん。でも、なぜ、僕がピンチだとわかったクマ?」
「あなたが巻き込まれたループの事、私も覚えていたの」
「そうだったんだ」
「いいえ、違うわ。本当は無理やり呪術で思い出したの。記憶の欠損があるって感じたから」
「じゃあ、あれは現実だったクマ?」
「そうともいえるし、そうでもないともいえるわ。たぶんだけど、あなたが謎を解けずに何度か繰り返して完全に心が折れるのを待っていたのかもしれないわね。あなたの心が折れた時、悪夢は現実になるのかも」
「……」
「悪魔の誤算はあなたの心の強さ、私を巻き込んだこと」
「僕はそんなに強くないよ。毎日後悔して生きている」
「……でも、悪魔に打ち勝ったわ。最後にあんなすごい技と武器で」
「あ、あのことは内密にお願いしますクマ。僕は四級でいたいので」
「どういうこと、それも秘密なの?」
「お母ちゃんが階級上げてほしくないっていうから」
「そういうことだったのね、でもどうしようかなぁ」
ちょっといたずらを思いついたようなかわいい顔になる聖美沙。
「何か代償をあげるクマ」
「じゃあ、これ貰っちゃうけどいいわよね」
「あ、それ、それでいいならあげるクマ」
「キューキュー」
チビクマの一匹が聖美沙の手の中にあった。
「よかったわ、バケットちゃん」
バケットは美沙の頬に飛んでいってすりすりする。
「ウフフ」
「因果がこんがらがってるクマ。理屈で行くとおかしいクマです」
「いいのよ。ところでどうしてあなたのお母さんじゃないとわかったの」
「電話して聞いたクマ。朝一番でドラマの撮影に行ってるクマ。あの『愛しい君と、青空の下で』とは違う全然別の」
「あの家にあったものでごまかしたのね。悪者のちょっとしたミス」
涼しいそよ風。
風になびくガーデニング。
「フウ、綺麗な庭ね。お母様のご趣味?」
「そうですクマ」
美しい横顔に中てられそうになって、少し目を逸らす。
御剣山家の守護精霊、小水龍が頭を掻いていた。
彼は完全に悪魔の擬態に騙されていたのだ。
「にゃーん」
会話が途切れた時、子猫がやってくる。
「あら可愛いわ、こっちいらっしゃいな」
聖美沙がそっと子猫を抱き上げる。
「その子プレートに芥川さんとあったクマ。それが悪い術の呼び水に」
思わず、警戒心が出る。
「……芥川じゃないわ、プレートがかすんでいる……よくみたら茶川さんね。近所にあるんじゃない?」
「茶川、あ! 二軒隣クマ!」
「ちょっとづつ因果をゆがめて罠に引きずり込む、アスモデウスよ、たぶん」
「あの封印は僕が預かっておくほうがいい?」
「そうね、お願いするわ。白魔術師でも手に余る物よ」
そういうと、会釈して立ち去る聖美沙。
翔一は頭を下げて見送る。
翌日、
「おはよう、御剣山君」
登校中、聖美沙に声をかけられる。
ぎょっとする周りの人々、取り巻きたち。
「おはようございます。美沙さん」
翔一は後輩なのでなるべく丁寧に返した。
いつもは無視されていたので翔一も内心驚いてはいた。
(生徒会は僕を嫌っているけど、美沙さんはそういう雰囲気なかったよね、そういえば)
「君、金曜日の放課後に時間取れる?」
「え、はい、緊急の何かがない限り、予定はないですけど」
「じゃあ、相談に乗ってほしいことがあるの」
そういうと、さわやかな少女の気配を残して去って行く。
挨拶だけではなく会う予定まで立ってしまったのだ。
嫉妬の視線を感じる。
いたたまれずに、教室に向かった。
ふと振り返ると、美沙の肩に半透明の子熊が座って手を振っている。
(色々と何かが変わって行く、これからどうなるんだろう)
変転する世の流れ。
2022/5/29 微修正




