ノアの過去と俺。
また週末が訪れた。ノアは相変わらず猫の様な生活をしていた。俺に媚を売ることも無く、そのくせ俺の心を温かく包んでいる。こんな関係がいつまで続くのかわからないけれど、俺は永遠に続いてほしいと思っていた。
昨日の話で、一年前からのことはだいたいわかった。でも、その前のことに関しては、何も知らない。ノアはなぜ家を出たのか? ノアとの関係を続けたいと思っている俺にとっては、その事も気になる。俺がノアの全てを受け入れたいと思っているのは、俺がノアを愛しているからなのだろうか?
朝食を美味しそうに食べているノアを見つめながら、俺はノアの過去を全て知りたいと思った。どんな話が出てこようと、全てを受け入れる覚悟をしていた。
「ノア、昨日の話でここ一年のノアのことは理解したつもりだ。でも、その前のことは何も知らない。話してくれないか? 俺はノアの全てを受け入れたいんだ」
ノアは食事の手を止めて、俺の顔を見つめた。しかし、すぐに食事に戻りながら言った。
「そんな話、聞いたって面白くないよ」
「面白くなくたって、俺はノアのこと、全部知りたいんだ」
ノアは困った顔をしている。きっと話したくない事が有るのだろうとは思う。お金も持たないで家を出るくらいの事なのだから、話したくない気持ちはわかる。
何も聞かずに全てを受け入れるという選択肢も無くはない。しかし、その事を避けて通っても、完全に消し去ることは出来ないだろう。心の底でいつまでもくすぶっていたのでは、本当に受け入れた事にはならないだろう。
「ノア、俺はノアの全てが知りたい。そしてノアの全てを愛したいんだ」
俺が言った言葉だったが、俺自身が一番驚いたかもしれない。これは完全なる愛の告白じゃないか。
「でも、全部聞いたら……、きっとノアのこと嫌いに成っちゃうよ」
「嫌いになんかならないよ。なるわけ無いだろう!」
ノアは決意を込めた目を俺に向けた。そして、壮絶な過去を話し始めた。
「ノアはね、今はこんなに小さいけれど、生まれたときには人並みの大きさだったんだよ。母子手帳に書いて有ったのは、身長が49.5センチで体重が2900グラムだって。赤ちゃんのほぼ平均値なんだって。ママは結婚していなかったから、私生児っていうの? 父親のいない子だったの。だから、戸籍の父親の欄には名前が書かれていないの。でも、ずっと前からママと付き合っていた男の人がいてね。その男がノアの父親らしいんだけど……、そいつがママに暴力をふるう様な人だったんだ。本当はママもその男から逃げ出したかったみたいだけれど、逃げようとするともっとひどい目にあわされるから、逃げる事も出来なかったみたい。でも、ママは生まれたばかりのノアを抱いて、その男から逃げる事にしたらしいの。一緒に居たらノアに何をするかわからない様な人だったからって。それで、逃げ出して、施設に避難したんだけれど。一年くらいして、その施設を出たの。もう大丈夫だろうと思ったみたいだけれど、全然大丈夫じゃ無かった。すぐにその男に見つかっちゃって、ママは毎日暴力をふるわれて……、ノアが泣くとまたママがぶたれるの。ママは夜のお仕事をしていて、一生懸命働いたのに、お給料が入るとその男にとられちゃって……。食べ物も満足に買えなくって、ママはいつもノアに謝っていたの。『ごめんね、ろくに食べさせてあげられなくって。これじゃ、ノアが大きくなれないよね』って泣きながら謝るの。ママだってろくに食べていないから、いつもフラフラしていたのにね。でも、ママは頑張って、頑張ったんだよ。ノアが小学生の時、その男は別の女の人の所へ行っちゃったの。ママもノアもほっとしたの。これであの男から解放されるってね。ノアが高校を卒業してすぐだった。それまでの無理がたたったのか、ママが病気になっちゃったんだ。入院したけれど、もうどうしようも無い状態で、ひと月もしないうちに死んじゃった。親戚の人達に手伝ってもらって、ママのお葬式をしたの。そのお葬式の日に、またあの男が現れたの……」
ノアの目には涙が光っていた。俺の目にも涙があふれてノアの顔が滲んで見える。
「ママのお葬式の日に、あの男が現れて、香典を全部持って行こうとしたの。親戚のおじさんが、『いい加減にしろ、これ以上ノアに近付くな!』って言ってくれたんだ。けれど、その男は『ノアは俺の娘だ! お前なんかに言われる筋合いは無い。俺の邪魔をすると、お前も痛い目にあうぞ!』っておじさんのことを脅してお金を持って行っちゃった。それから半年くらいしたとき、またあの男がやって来てね。『ノア、金が無くなっちゃったから、貸してくれよ』なんて言うの。ノアはきっぱり断ったんだけれど、あいつ、『なんだと! お前が生まれたのだって、今日まで生きて来られたのだって、俺がいたからだろう! ふざけたこと言っていないで金の用意をしろ!』って言いながらノアを殴ったの。そして、明日また来るからって言って帰って行った。ノアは怖くて、どうして良いかわからなくて、ずっとひとりで震えていたの。翌日、またあの男が来て『金は用意出来たか』って。お金なんか無かったから、そう言ったら、また殴られたの。イッパイ、イッパイ殴られて……。『金が無いなら俺が金の作り方を教えてやる』って言って、ノアを風俗店に連れて行ったの。あの男、そこの店長からお金を受け取っていた。ノアはそこで仕事をさせられたの。家に帰ることも許されないで、寮みたいな部屋に入れられて……、いつもお店の人に監視されていたの。でも、ノアは身体が小さいでしょう。それが噂になっていたみたいで、店に調査だか捜査だかが入るらしいって言う情報が入って来たの。店長は問題になることを恐れて、ノアを自由にしてくれたの。家に帰ろうと思ったけれど、家が近付くと、あいつに殴られた記憶が頭の中に広がって、足が動かなくなったの。ノアはそのまま駅に向かったの。そして、適当な電車に乗って、適当な駅に降りて、適当に歩いていたらあの公園についたの。そして、おじいさんに会ったの」
ノアは俺の目を見つめていた。もうノアの目に涙は無かった。俺は俺の目からあふれる涙で、ノアの顔が見えていない。手を伸ばすとそこにノアの身体が有った。俺はその身体を引き寄せた。ノアの身体は抵抗すること無く、俺に体重を預けて来た。
俺は泣き続けた。ノアの身体を抱きしめたまま泣き続けた。ノアはそんな俺を優しく抱きしめてくれた。まるで立場が逆だと思ったが、そんなことはどうでもよかった。
俺の頭と心は異常に疲れていた。俺はノアを抱きしめたまま眠ってしまった様だ。
目覚めると既に夕方になっていた。起き上がって部屋を見まわしたが、ノアがいない。トイレや浴室も確かめたがやはりいない。ノアが出て行ってしまったのではないかと思い、俺は慌てて部屋を飛び出した。
「ノア、どこに行った。ノア、帰って来てくれ」
そうつぶやきながらアパートの階段を駆け降りた。酒屋の角を曲がり、駅前商店街を駆け抜けた。そして、公園のベンチを目指した。
公園のベンチにつくと、そこに寝そべっているノアを見付けた。俺は呼吸を整えてからベンチに寝そべっているノアに言った。
「お嬢ちゃん、どうかしたのかね? お腹がすいているんなら家へおいでよ」
「捨て猫、拾ってくれるんですか?」
「猫は大好きだ。いつまでも一緒に暮らしてくれ」
ノアは俺に抱きついてきた。俺もノアをきつく抱きしめた。
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