第五話 取り憑いたモノ達
結局何も言うことができないまま隣の部屋に連れて行かれた。
美しい琵琶の音に耳を傾けながら雲嵐はぼんやりと物思いに耽っていた。
(蒼玄は一体どういうつもりであんなことを言ったんだ?)
これまでこの国を守るために戦ってきて、沢山のものを犠牲にしてきた。
(その結果がこれだ)
先程から視界にちらちらと入ってくる黒い影達に目を向けた。昼間はおとなしくしていても夜が近づくと必ず出てくる。全員雲嵐が戦で殺してきた者達の亡霊だった。その中にはつい最近の戦で殺した、十五、六歳ほどの少年兵も混じっていた。いつから彼らが憑いてきたのかはもう覚えていない。ただ彼らは黙って雲嵐を恨めしげな目で見てくるのだ。
数多の屍の上に今の雲嵐は立っている。雲嵐自身もいつか自分は死ぬだろうと思いながら戦い続けている。それでもお前は本当に国を守りたいのかと聞かれたのはどういうことなのだろう。
「雲嵐様、演奏がお気に召しませんでしたか?」
心配そうな紫蓮の声に現実に引き戻された雲嵐は、彼女を安心させるように微笑みかけた。
「いいや、素晴らしい演奏だった」
その言葉に紫蓮はにっこりと笑い、するすると雲嵐の側に寄ってきた。空いた杯に酒を注ぎながら彼女は話し出した。
「雲嵐様がまさかここにいらっしゃるとは誰も思いませんでしたよ」
「そんなに意外だったのか?」
「ええ。来るとしてもいつも上の方と一緒でしたからあまりこういう場がお好きでないのかと」
彼女の大きな瞳が雲嵐の目とあい、彼女は嬉しそうににこにこ笑った。
「実は今日他の妓女達と賭けをしたんです」
「賭け?」
ふふっ、と悪戯っぽく笑い頬に手を当てて、どこか少女を思わせるような眼差しで雲嵐を見つめて言った。
「今夜雲嵐様が私と共に過ごしてくださるかどうか」
「もし賭けに負けたらどうするんだ?」
「その際は相手の人達に簪をあげなくてはいけなくなりますね」
困ったように眉を寄せ、こちらをじっと期待に満ちた目で見てくる紫蓮に雲嵐はやれやれと溜息を吐いた。
どうやら勝敗は決したらしい。雲嵐は素直に負けを認めた。
翌朝、金蝶亭の前で雲嵐と蒼玄は合流した。
「なぁお前さ、なんで紫蓮と会ったのに死にそうな顔してるんだ?」
心底不思議そうに尋ねる蒼玄に雲嵐は濁った水に住む魚のような淀んだ目を向けてぼそぼそと答えた。
「いつも出てくる黒い影がちらついて全く集中出来なかったし、行為の後は何故かいつもより夢見が悪くて最悪だった。ついでに言うと寝ている時のうめき声で彼女を起こしてしまった」
「お前それはどう考えても花街一の妓女に会った男が過ごす夜とはかけ離れてるよ」
さすがの蒼玄も呆れと憐れみが混じったような顔で雲嵐を眺めてきた。
「あっ、でも彼女は何故か簪をくれたな」
思い出したように懐から雲嵐は簪を取り出した。銀色の細かな蔦の彫刻が施されたもので、一目見て高直な品だと分かるほどだった。
「.......妓女はお気に入りの客に簪を渡す習慣があるんだよ。ちなみに彼女が誰かに簪を渡すのは初めてだ」
あまりに恨めしそうにじっと簪と雲嵐を見つめる蒼玄に思わず雲嵐は吹き出した。
「そんなに羨ましいものなのか」
「当たり前だ!それをお前は一回会っただけでしれっと貰っているんだから」
そう言って怒るふりをする蒼玄はどこか少年のようにも見えた。
(この男は昔から本当に変わらない)
どこまでも明るい、爽やかな夏の風のような男だと思った。
「お前みたいなやつと知り合えたのが私の人生の中で一番良かったことだな」
そう言って笑いながら蒼玄の肩を軽く叩くと、彼は鼻に皺を寄せて不満げに呟いた。
「野郎にそう言われたってうれしくねぇよ」
相変わらずな彼の様子に雲嵐は声を上げて笑った。近くにいた小鳥が笑い声に驚いて、ばさばさとせわしなく晴れ渡った空へと飛んでいった。
雲嵐が館に帰り自室に戻ると文机の上には神官長から借りた資料が置きっぱなしになっていた。昨日花街に行く前に一旦館に寄り、資料を置いていったのをすっかり忘れていた。
少しだけ黄ばんでいるそれをぱらぱらと捲ると爽やかな香の香りがふんわりと鼻を掠めた。
一晩のうちに花街で使われている香の匂いに鼻が麻痺してしまった雲嵐にはその香りがひどくすっきりとしたものに感じた。
(…….頭痛が和らいだ気がするな)
言わないでおいていたが、蒼玄と話していた時からずきずきとした痛みがあり、ずっと我慢していた。それがこの香りを嗅いだ瞬間にかなり軽くなったということは、神官達が使っている物にはそういった作用があるのだろうか。
神殿に行った時も確か身体が軽くなった気がしたのだ。
(何か特別な物で作られているのか?)
最近は疲れが取れずずっと身体に重石がのっているような感覚があったのだ。
(そろそろ歳かな)
あと少しで三十になる。身体に気をつけておかないとそのうち思うように動けなくなるだろう。
(なんで蒼玄は私より酒を飲んでしょっちゅう夜まで遊んでいるのにあんなにピンピンしているんだ!!)
もうあたりはすっかり明るくなっているため、黒い影達も出てこない。
夜より軽い足取りで雲嵐は資料を小脇に抱え、従者を連れて神殿へとまた行った。
今日も朝から神殿は清らかな空気に包まれていた。丁度祈祷の時間と被ったらしい。いつもは奥の部屋に閉じこもっている印象がある神官長が広間の祭壇の前に座って何やら唱えている。
やや俯いている顔はやはりこの世のものとは思えないほどの美貌だった。
(彼が男に生まれてよかった……)
彼の顔をぼんやりと眺めながらそんな考えが浮かんできた。
そうでなければ蒼玄あたりが速攻で口説き、許されぬ恋に落ちいていたかもしれない。そうなれば蒼玄の首は飛ぶだろう。
(まぁあいつなら美しい物のためなら死ねる、などとほざくだろうな)
そんなくだらないことをつらつら考えながら雲嵐が祈祷の様子を眺めているうちに祈祷が終わったらしい。神官長はすっと静かに立ち上がるとついてくるよう手で示した。
何故か今日は彼にいつもの冷静さがないように見えた。現に前はゆったりと歩いていたのに、今はひどく急いでいるようだった。
「…………?」
不審に思いながら彼について行き、部屋に入った瞬間、彼が勢いよく扉を閉めた。
「神官長殿……」
雲嵐が声を掛けると彼は振り向いたが非常に不機嫌そうだった。
「何故これがあなたに取り憑いているのに放置しているのですか?」
厳しい口調で話す彼が指差したものは、雲嵐に付き纏っているあの影たちだった。
今もゆらゆらと揺れ、動き出す機会を狙っているかのように分裂したり合わさったりを繰り返している。今日は特に元気なようだ。
見慣れた光景を目を細めて眺めながら雲嵐は呟いた。
「祓っても無駄だ。どうせまたすぐ憑いてくる」
「ですが少しでも祓わないとそのうちあなたは発狂しますよ」
「別に構わない。相応の報いを受けたということだ」
神官長が眉間に皺を寄せる。
「発狂されたらこの国の者達が困ります。そうなったらいったい誰が北を守るのですか」
職務を放棄するのかとでも言いたげな彼の視線を受け、雲嵐はほの暗い笑みを浮かべた。
「私の代わりなどいくらでもいる。それに今祓っただけでは意味などない」
そう言って神官長のもとへ歩み寄って距離を詰め、耳元で囁いた。
「私が何人殺してきたと思っている」
神官長は眉一つ動かさずただ黙って雲嵐を見返した。二人の間の重苦しい沈黙を先に破ったのは神官長の方だった。
「このままにしていると心身への負担が凄まじいので祓います。あなたに倒れられたら困るので」




