友達
最悪な気分で長い夢から目が覚めた。涙で顔が濡れているのがわかった。いつも通り、それを手の甲で拭う。
今でも、日常のふとした瞬間にあの頃の苦痛が蘇り、どうしようもない不安に押し潰されそうになる時がある。こんなふうに夢までもが平穏を奪いにくる。
もう思い出したくないのに、いつになったらこの苦しみから解放してもらえるのだろう。いつか解放される日がくるのだろうか。その答えを知っている人がいたら教えて欲しい。
この先も、こんなに辛い気持ちを抱え続けなければいけないなんて、あまりにも残酷すぎる。
宙に手を伸ばしてぎゅっと握った。何の感触もない。
ずっと一人ぼっちだったけど、優しく包み込んでくれるお母さんがいなくなって、私は、なお一層、孤独になった。悪夢を見ても「大丈夫だよ」と手を握ってくれる人がいなくなった。
本当の一人ぼっちになった。
ただ、最悪な夢路だったけど、優しい2人の笑顔と再会できた。
辛いだけで終わらなかった事がせめてもの救いだった。
夢と現実の区別が曖昧な状態で、辺りの眩しさに目を細めながら頭を横に向ける。見慣れない部屋で、見慣れない布団に寝かされていた。ここがどこかわからなかった。
もしかしたら、まだ夢の途中なのかも……
起き上がろうと、肘を付いて上半身を持ち上げようとしたけれど、腕に力が入らなかった。それに、体の節々と喉に痛みがあって、頭もズキズキとしている。
全身を走る痛みの刺激が、目に映るものが夢ではないと言っていた。
じゃあ、私は何処にいるのだろう?
もう一度、確認するように辺りを見回す。
やはり、そこには知らない空間が広がっていた。見たことのない家具や、壁に飾られた風景画、私の脇に置かれている小さなテーブルには、透明の液体が入ったペットボトルが乗っていた。
頭を戻して天井を見つめながら、ここがどこなのか解明しようと、少しはっきりとしてきた頭で思い出せる記憶を辿る。
今日は、学校に行って週間テストを受けた。
お昼は、教科書を片手に席でパンを食べた。
午後の授業を受けた。そこまでは、何も変わりない日常。
帰りに雨が降っていた。
帰りに――そこでハッとした。
非日常の出来事を思い出した。彼に校門で捕まり、手を引かれて路地まで歩いて、話をして、頭が痛くなって…… そこからの記憶が無かった。
私は、それからどうしたのだろう。家に帰った覚えはない。
途切れた記憶の後、目覚めた時には知らない部屋に居るなんて、まるで異次元に放り込まれた気分だ。
視界の隅で動く物があった。そちらに目を向けると、部屋のドアが開いて、彼のお母さんが入ってくるところだった。
何故、この人がいるのだろう……
彼女が、何かを話していたような曖昧な映像が、頭にぼんやり浮かんできた。
でも、どんな内容だったかまでは思い出せない。
「気分はどう?」
近付いてくるのを目で追っていると、にっこりと笑いながら私のそばに来て、床に膝を着きおでこに手を当てた。その手が、とても冷たくて気持ちよかった。
「熱が下がってきたみたいね」
「あの、ここは……」
自分の声だと思えないほど、しゃがれていた。
「さくらちゃんのお住まいがわからなかったから、うちに連れてきたの」
そう言って、倒れたことや熱があったことなど、私が置かれている状況について説明してくれた。
そして、どうやら眠り続けてしまったようで、既に次の日の午後になっているらしい。
「学校には、熱でお休みするって連絡しておいたわ。勝手な事してごめんね」
「……ご迷惑をおかけしてすみませんでした。あの、帰ります」
「んー、帰って、家に誰かいらっしゃる?」
「……いえ。一人暮らしなので」
「じゃあ、面倒を見てくれる人を呼べる?」
「……あの、一人で大丈夫です」
「それじゃあ帰せないかな」
「本当に大丈夫です」
ここから早く脱出しなくては、と気が焦って急に体を動かしたせいで、全身に鞭で打たれたような激痛が走った。
起こしかけた体が再び布団に吸い込まれる。
「まだ無理よ。今朝まで高熱が続いてたんだから。とりあえず、お腹に何か入れましょう。おかゆを持ってくるわね」
少し話しただけなのに喉が痛かった。
部屋を出て行く姿を目で追う。
パタンとドアが閉まる音がして、私は一人の時間に戻った。
さっきは急に動いたから駄目だったけど、ゆっくり動けば何とかなるかもしれない。
頭の片隅ではそれが無理な事だとわかっているのに、無駄な悪あがきで体を起こそうとした。
やはり無理だった。力が入らない。
本当はお世話になりたくなんかない。誰かの手を借りるなんてごめんだった。でも、自分の意思に従わない体にこれ以上の命令を下すのは無意味だと認めて、抗うことを諦めた。
おかゆをご馳走になり、薬をもらって飲んだ。お腹に食べ物が入ったら、少し元気が戻ってきたようだった。
再び布団に寝かされた私の横で、座椅子に座り、手にしたマグカップの液体を一口飲んでから彼女がゆっくりと話し始めた。
「実はね、海李から、さくらちゃんの話を聞いていたの。5月の連休が明けた後、公園の前を通りかかったら、たまたまベンチに座ってる海李を見かけてね。「何してるの?」って聞いたら、その時は「別に」ってはぐらかされたけど、何回か同じ光景を目撃するようになって、これはきっと何かあると思って白状させたの。そしたら、4月の中旬頃から、いつも公園のブランコに長い時間一人で座ってる子がいるんだけど、男の人に絡まれてるのを見掛けて、心配だから見守ってるって。だからね、見守ってるだけじゃなくて、話しかけてみてたら? って言ってたの。もし迷惑じゃないようだったったら、夕食にお誘いしてみたらいいわって。あの子、ずっと声を掛けらなかったようだけど。この前は雨だったから強制的に連れて来ちゃったみたいで……驚いたでしょ? ごめんなさいね」
公園の外灯が灯ると、彼が私より先に立ち去っていたことが不思議ではあった。今の話で謎は解けた。
ただ、予想外のその告白に何と返事をしたらいいのかわからず、私は黙って彼女を見ているしかなかった。
先程から何かを考えているようで、カップを両手で包んで中を覗き込み、それを手の中で回転させている。
この状況でおかしな話だけど、その姿が絵画のように美しくて、溜息が漏れそうだった。彼の整った顔立ちは、お母さん譲りなのだろうと思う。
「さくらちゃんからしたら、生活を覗かれているようで気分のいいものじゃないかもしれないわね。見方によったら変質者でしょ? でも、親の私が言うのも変だけど、海李が犯罪を犯すような子じゃないのはわかってるから静観してた」
私と目が合った彼女は、悲しそうな顔で「ふふっ」と小さく笑う。そして、私から視線を逸らして、再び手にしたカップを覗き込んだ。
「うちね、息子が3人いるの。海李は三男ね。長男は県外の大学に通ってて、次男は……2年前に事故で他界してしまったの。海李より2歳上でね。何をするにもいつも一緒で、やること全て真似をして、今は辞めてしまったけど、次男の影響でバレーボールをやっていたの。あと、音楽も。本当に仲のいい兄弟だった。上の子も海李をとても可愛がっていたわ」
「ふーっ」と息を吐き、天井を見上げた。その姿が涙をこらえているように見えて、私は直視できなくて一緒に天井に目を向ける。
しばらく沈黙が続き、綺麗な形の唇が、ぽつりぽつりと続きを語り出した。
「あの子ね、中学でバレー部に入っていたんだけど、2年の時に部活を見に来ていた女の子達が海李の事で喧嘩になって、一人が怪我で入院したの。こういう言い方は良くないのかもしれないけど、海李を見るために来ていたらしいのね。で、その女の子達を快く思っていなかった上級生に事故の事で責めたてられたらしくて、部活に行っても輪に入れてもらえなくなったって。体育館に入ると、全員にボールを当てられ続けたって言ってた。……直後に次男が他界した。もともと、お兄ちゃんに近づきたくて、褒められたくて始めたバレーだったから、重なった不幸に耐えきれなくなって部活を辞めてしまったの。あと、教わっていたギターも弾かなくなった。それ以降、周りを拒絶するようになって、家での会話もなくなって ……あまりの変貌ぶりが心配で、私も仕事から早く帰るようにしたわ。2年間、そんな生活が続いていた」
知らず知らず泣いていた。
直前に見た悪夢の辛さも相まって、まるで心を殴打されているかのような痛みを感じ、思わず右手で胸を抑える。彼の受けた苦痛が自分の過去と重なって、とても苦しくなった。息をするのがやっとだった。
涙でグチャグチャになった私の顔を見て「あらあら」と言いながら立ち上がり、棚にあったティッシュの箱を持って戻って来た。
「どうぞ」と言って私に差し出し、自分も何枚か取って箱を床に置く。私達は、2人して濡れた頬を拭っていた。
「さくらちゃんが、何か辛い思いを抱えているみたいで放っておけないんだって言ってたわ。自分と重なる何かを感じていたのかもしれないわね。さくらちゃんの話をするようになって、少しずつ昔の海李が戻ってきたの。会話が増えて、笑顔も見せるようになった。それが嬉しくもあり、有り難くもある。さくらちゃんのおかげかな。あなたが、どんな辛いことを抱えているのかわからないけど、海李も私も敵じゃないわ。安心して」
こんなに優しい気持ちを貰ったことなどなかったから、今までの苦しい経験を吐き出すかのように、私は号泣してしまった。
そんな私の肩を、ゆっくりとしたリズムで優しく撫でながら「大丈夫よ」と何度も口にしていた。その言葉が、まるで心に塗る薬のようで、刻まれた深い傷の痛みを和らげる。
お母さんがいなくなった変わりに、私の隣には孤独が存在するようになった。
いつも不安で寂しくて、辛い毎日がずっと続くのだと思ってた。
こんなふうに、苦しい心を優しく包んでくれる人が現れるなんて思いもしなかった。
今、この時間に、私は過去の呪縛から少しだけ解放された気がする。
泣き続けている間、何かを助言する訳でもなく、温かく寄り添ってくれていた。
この人になら、私の事を語っても大丈夫だと思った。それが、心が弱っていて誰かにすがりたかっただけなのか、それとも信用からくるものなのかは、正直、自分自身でもわからないけれど……
心が落ち着き始めた私は、辛かった過去を語った。これまでの学校での事や、お母さんが他界した事、一人暮らしを始めた経緯などを簡潔に。
「私が小さい頃から働き詰めだった母は、今年の4月に過労で亡くなりました。父は、生まれたときから居なかったので誰かも知りません。父が居ない分、母は昼も夜も仕事をしていました」
私は、真っ白な天井を眺めながら、母の顔を思い浮かべる。
「母が仕事先で倒れたと連絡をもらって病院に駆け付けたときには、すでに息を引き取った後でした。そこへ母の兄だという人が来たんです。母から、私の父親は他界して、母は天涯孤独だと聞いていたので初めて会う人でした。叔父が葬儀などを全て手配してくれて、その後、二人で話し合いました。叔父に、一緒に住もうと提案されたのですが、誰かと一緒に住むことに抵抗があったので、それを断って今までの生活を続けると伝えました。でも、私が住んでいた隣の県まで叔父の家から車で1時間くらいかかるらしくて、何かあってもすぐに駆け付けられないから、それなら一人暮らしをさせる代わりに近くに越してきてほしいと言われて。仕方なく合意したら、今の高校への転入の手続きとアパートを借りてくれました」
これまでの学校での事や、お母さんが話している間も、ずっと肩を撫でてくれていた。
「一人で頑張って来たのね。偉かったね」
そう言って、お母さんがしてくれたように、私の頭を撫でてくれた。
心が温かかった。
「辛かったね」と言われたら、きっと自分の過去を否定された気分になったかもしれない。彼女の言葉が、これまでの私を肯定してくれたようで嬉しかった。
あの日の火葬場からの帰り。
叔父さんに「少し話しをしよう」と誘われ近くの喫茶店に入った。入口付近の席で本を片手にコーヒーを飲んでいる人しかいなかったので、私達は一番奥の二人席を選んで座った。
注文を終えて店員がカウンターに向かうと、叔父さんが話し始める。
「実はね、妹が亡くなる1か月くらい前に僕の所に来たんだ。何かあったら娘を頼むと。何の連絡もなく突然来たんだけど、その時には既に体調が悪くなっていて、僕を頼ってきたんだと思う」
私から視線を逸らし、祈るような姿勢で手を口に近づけた。
短い沈黙の後、意を決したように問いかける。
「妹から何か聞いてる?」
「……あの、質問の意図がわからないのですが」
「そうだね、ごめん。昨日、病院で僕の存在を知らなかったと言ってたよね」
「母から、私には父親も親戚も居ないと聞いていたので」
「じゃあ、何も聞いていないんだね。……そしたら育った環境から話そうか」
運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、再び話し始めた。
「僕たちの父は、君のお爺さんに当たる人だけど、とても厳しくて口煩かったんだ。遊ぶ暇もないくらい幾つもの塾に通わされて、家での時間の管理もされていた。僕らが従わないと、怒鳴り散らして力を誇示する人だった。父は会社を経営していてね、世間に自慢できる子供に育てたかったのかもしれないし、もしくは子供を所有物だと考えていたのかもしれない。常に支配下に僕らを置きたがった。そんな人だから、母に対しても同じように接していて、僕らが小学生の時に母は限界がきて家を出てしまったんだ」
テーブルの上で組んでいた指を伸ばしたり握ったり、しばらく同じ動作を繰り返して、次に発する言葉を選んでいるようだった。
「大学生の時、妹が妊娠したと言ってきた。しかも一人で生んで育てると。父は、さっき話した通りの人だから世間体を気にしてね。中絶しろと言われたけど、妹は頑として父の言葉に従わなかったんだ。自分に反抗する態度に激高した父は、手あたり次第に物を投げつけて、その場で妹を勘当した。問い詰められても最後まで相手が誰かを口にしなかったから、そこは分からず仕舞いなんだが。あいつは僕にも行先を告げずに家を出て、ずっと行方不明だった。心当たりは探したけど見つけられなかった」
叔父さんは、大きく溜息をついて話を一区切りさせた。
お母さんの過去を初めて知った。
今まで一度も、自分の生い立ちを聞かせてくれたことはなかった。聞いても、はぐらかされていた理由がわかった。
「父が6年前に他界した時、葬儀に出席しているのを見掛けて追いかけたけど、捕まえられずに再び姿を消してしまった。そして1か月前、会社に妹が来て、自分に何かあったら娘の面倒を見てほしいと頼まれた。で、これを渡された」
横の椅子においてあった鞄から大きめの封筒を出し、私の前に置いた。表には何も書いてなくて、何が入っているのか判断できなかった
「これは?」
「生命保険の証書が入っている。自分に何かあった時、さくらが困らないようにと加入していたようだ。君の進みたい道を迷いなく選べるだけの金額がある。相当、頑張って働いていたんだろう」
叔父さんから語られる数々の話は、私を狼狽させるのに十分すぎた。
思えば、私が小学生の頃から朝も夜も働きづめだった。朝からの仕事を終えて帰宅すると、私が学校から帰ってくるのを待って、入れ違いで夕方からの仕事に向かっていた。帰って来るのは深夜だった。
具合が悪そうな時でも「薬を飲んだから大丈夫」と無理をして出勤していた。
自分に一切のお金をかけず、新しい服を買っているのを見たことがなかったし、髪も自分で切っていた。
それが、全て私の為だったなんて。お母さんが自分を犠牲にし続けてきた理由だったなんて。
もっと一緒に居たい、他の家みたいに一緒に出掛けたりしたいと言ったことがある。なんで、いつも一人ぼっちにさせられるのだろうと悲しくなって「行かないで」と駄々をこねたりしたこともあった。その度に「ごめんね」と悲しそうな顔をしていた。
全てが私の為だったのに……
今までのお母さんの姿を思い出して胸が苦しくなった。
私が生まれてこなければ、お母さんが苦労することはなかったのに。いつも疲れた顔でひたすら働いて、そのせいで過労で亡くなってしまった。私がいなければ、もっと楽しい生き方ができていたはず。私さえ生まれてこなければ、お母さんには別の未来があったはず。
もう、会えない。ごめんなさいも言えない。私は、私の存在が憎らしいと、これほど強く感じたことはなかった。涙が頬を伝っていくのがわかったけど、それを拭う気力はなかった。
「そのお金は、さくらが高校を卒業して進路を決める時に使うといい」
叔父さんが封筒を指さして言った。
大きく深呼吸をして、自分に対して渦巻く悪感を落ち着かせる。
叔父さんの言葉で、私は迷いなく自分の未来に決断を下した。
「いえ、高校は退学しよう思います」
「何故?」
「母も亡くなってしまったし、働いて生活費を稼がなくては」
「……実はね、妻と相談したんだが、さくらさえよければ一緒に住まないか? うちは子供がいないから、何の気兼ねもなく来てもらえる。妻も大賛成だ。妹が家を出てから何もしてやれなかったから、せめて君の面倒を見させてほしい。高校の費用くらいは私が出すよ」
「いえ。大丈夫です。もう、高校に行く理由もなくなってしまったので」
私の高校生活を楽しみにしていた人がいなくなった今、そこに通う目的は消えた。継続して何かを成し遂げたいなどと、大層な目標がある訳でもない。別れ難く思うような友達もいないし、入学して1週間ほどだから何の未練もない。
それに、何より自分の存在が許せなかった。気にかけてもらう価値などある人間ではない。
「そういう頑固なところは妹にそっくりだね。でも、せめて高校だけは卒業してほしい。これは、お願いじゃなくて僕の義務だと思ってくれないか? 父が亡くなってからも会いに来ることは無かったくらいだから、きっと、あいつは僕にすら頼りたくなかったと思う。でも、会いに来て、君の未来を託した。僕が託された。君が僕を拒絶したら、妹が僕の所へ来た決心が無駄になってしまうだろ?」
スーツのポケットからハンカチを取り出して、私の涙を拭いてくれた。それは、とても優しい手だったけれど、お母さんの頼みであっても、その手にすがりたくなかった。
お母さん一人に辛い思いをさせていたのに、私だけが誰かを頼るなんて許せなかった。私なんて消えてしまえばいいのに、それしか頭に浮かばなかった。
「あの、考える時間をください」
そのつもりはなかったけど、このやり取りを終わらせるための嘘をついた。
もう、何も話したくない。
「じゃあ、明日、家に行くよ」
「……わかりました」
翌日の朝。
叔父さんと会いたくなかったので、早い時間から留守にしてしまおうと考えた。何時に来るかわからないけど、7時に家を出たら鉢合わせしないだろうと高を括っていた。
アパートの駐車場の横を抜けると通りに出られる。
そこに向かって歩いていると、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「さくらさん、どちらへ?」
共同駐車場と書かれているスペースに止められている車から、叔父さんが降りてきた。
思いもしない展開に驚いて、思わず質問返しをしてしまう。
「えっ!? こんな時間に何してるんですか?」
「君こそ何処へ行くの?」
「あっ、あの。ちょっと……」
「逃げようとしていたんだろ? 妹と似ている性格の君ならそうするだろうと、大体の予想はしていたよ。だから6時からここで待ってた」
言い返す言葉を見つけられず、ただ宙を仰ぐしかなかった。
空が青いなぁなんて、何の意味もない感想が浮ぶ。
話しながら、ゆっくりと叔父さんが近付いてきた。
「君が僕を拒絶する上で、最も大きく引っかかっている原因は何だい? お母さんに対する罪悪感かな?」
図星だった。尚更、返す言葉を見つけられなくなる。
目の前で立ち止まり、無言の私から目を離さずに真剣な顔で語りだした。
「昨日、話していなかったけど、父に中絶しろと言われた時、君のお母さんは自分の命と引き換えでも産むと言った。堕ろせと言うなら自分も死ぬと。それくらい、妹にとって君は大切な存在だったんだ。僕の所に来た時、さくらと一緒にいられる毎日が幸せだと言っていた。苦労することも幸せの一部だと。君との生活が、妹の人生でかけがえのない時間だったんだって、あの日に話していて感じたよ。あいつの死に対して罪悪感を持つのは、その幸せを否定することにならないか? こんなことを言っても、今は自分を許せないかもしれない。でも、ゆっくりでいいから、その意味を考えてほしい。お母さんに愛されて育てられた君自身を大切にしてほしい」
泣いている理由が自分自身でもわからないくらい、感情がグチャグチャだった。
私は、何に対して涙を流しているのだろうと疑問に思ったけれど、胸の奥を襲う得体の知れない情動に抗わず、小さい子供のように泣きじゃくった。
叔父さんは、そんな私を抱きしめて「よしよし」と頭を撫でてくれた。小さい頃、お母さんが同じように抱きしめてくれた記憶が蘇る。
「自分を責める必要はないんだよ。さくらは何も悪くないんだよ」
体を伝って耳に届く優しい声を、ただ泣きながら聞いていた。
「これから、一緒に夕飯を食べない?」
不意に提案され、私を憐れんでいるのかと戸惑って彼女の顔を凝視する。
もしかして、可哀想な子だと思われているのだろうか――
「いえ、同情は結構です」
「同情なんかじゃないわ。私は、と言うか海李もだけど、ずっと、さくらちゃんと仲良くなりたかったの。話を聞いても聞かなくても、さくらちゃんと仲良くなりたいと言う気持ちに変わりはないわ。お友達になりたいの。ダメかしら?」
横になっている私を覗き込む真剣な眼差しと目が合う。生まれて初めて向けられる視線だった。
――そこに嘘はないと思った。
「……わかりました」
「ほんと? じゃあ、今日からお友達ね。私のことは百合さんて呼んで。間違っても、おばさんなんて呼んだら嫌よ」
頬を膨らめた顔が可愛くて、私は思わず笑顔になった。
「そうだ。連絡先を交換しない?」
「携帯を持っていないので、家の電話しかないのですが」
「それでいいわ」
そう言って私の番号を携帯に登録すると、一旦、部屋を出て、メモ用紙に2人分の番号を書いた紙を持って戻ってきた。
「上が私。下が海李。何かあったら連絡してね」
生まれて初めて連絡先の交換をした。
手の中にある紙切れが、とても輝いて見えた。




