獰猛な獣
桜が綺麗
ツイッター▶︎飯倉九郎@E_cla_ss
「あ、そう言えば、京都ロアー、今度は欧州から名将を引っ張ってきたんだってね」
「あーらしいな。ニュースで見た」
放課後、くだらない会話に心無い返事を繰り返す幸司郎に、子鹿忠勝が気を使って話題を変えてみても、幸司郎は終始気だるそうな表情で言葉を返し続けた。
「ところでさ、コウって、許嫁とかいないの?」
どんな話題にも興味なさげだったので、子鹿が突然そう話を変えた。
「何だよ急に」
「いや。お金持ちってそういうのあるのかなって」
「いないよ。そんなの漫画の中の話だ。今日日王族でも好きな奴と結婚してたろ。ほら、イギリスかどっかの王子も」
「それじゃあ好きな人とかいないの?」
「何だよ、気持ち悪いなお前」
「いや、そういうんじゃないって。ただの恋愛トークでしょ? で、どうなのさ? 好きな人、いないの?」
「好きな人……ねぇ。いないな」
少しだけ考えるように幸司郎は視線を子鹿とは逆方向へと反らした。
「え、本当?!」
「どうしてそこまで喜ぶ」
「……ああ、ごめん。つい興奮しちゃって」
「やっぱ気持ち悪いな、お前」
今度は露骨に不快な顔を子鹿に向けた。
それを見て子鹿は、あははと、取り繕うように笑った。
「誰に聞いてくれと言われたのか知らないが、可愛い子は皆歓迎だぞ、って言っといてくれ」
「ははは、バレてたか……でも、いいの? コウならきっと、どうせ金目当てだろ? とか言ってふてくされると思ってたのに」
「いや、皆、金目当てだろうな」
「え、わかってるのに、いいの?」
「いいよ別に。どうせ生涯の伴侶を選ぶわけじゃなし、金で寄せ集めて遊んでバイバイでいいだろ。そのためのお金なんだし。ウィンウィンさ、ウィンウィン」
「相変わらず最低だね」
「それを世間ではサイコウと言う」
子鹿ははっきりと幸司郎を非難したが、幸司郎は上手くそれを彼なりの冗句で返した。
そうして二人が昇降口に差し掛かった時、幸司郎の目に鼠ヶ原子夜が下駄箱の前で突っ立っているのが見えた。彼女の側でぴたりと足を止める。
「何してんだおま――」
幸司郎がそう子夜の後ろから当たり前のように話し掛けようとした時、彼は見た。
鼠ヶ原子夜の下駄箱。その中。そこにはもちろん、彼女の下靴が入っていたのだが、その靴の中に何故か大量のヒマワリの種が入っていた。それはもう溢れんばかりの量。
「なんでも、ない、です」
子夜は振り返らずに幸司郎だけに聞こえるような小さな声でそう言って、本当に何ともなさそうにその下靴に手を伸ばし取ろうとした。
――が、彼女はその下靴を取りこぼした。
彼女が中途半端に引っ張ったそのヒマワリの種で埋め尽くされた下靴は、ひっくり返って宙を舞い、同時、大量のヒマワリの種が、ばらばらと地面に落ちた。
落ちた下靴を見ると、その下靴の裏にびっしりとガムテープが貼ってあり、彼女が下靴を取ろうとした際、ガムテープが抵抗し、そのせいで取りこぼしたのだ。おそらく、そうなるように計算された二重トラップだろう。手の込んだイジメだ。
「なんだよ、これ」
幸司郎が苛ついたようにそう言ったが、子夜は黙って近くにあった昇降口を掃除する用の掃除ロッカーから箒とちりとりを持ってきて、散らばったヒマワリの種を掃き始めた。
幸司郎はそれを信じられないという目で見下ろしながら、
「おい、なんでお前が掃除するんだよ?」
しかし子夜は黙って掃除を続ける。その目は幸司郎の方を一切見ようとはしない。
幸司郎はいかつく寄せた眉を作り、こんな事をした犯人を捜すように辺りを見渡した。しかし周囲は遠巻きに恐る恐る現場を見つめるだけで、誰もが怪しく見えた。
「誰だよ! やった奴は出てこい!」
「ちょ、コウ落ち着いて……」
幸司郎の性格をよく知る子鹿は、この状況を酷くマズイと察して幸司郎を制しようとした。
子鹿はよく知っていた。幸司郎は決して誉められた性格をしてはいないが、それでもしかし彼なりの正義というものがあり、常識やルールにはうるさい。それ故、納得できない事に対して、事なかれ主義でいられない性格なのだ。
幸司郎は理不尽な悪意に対し、それを放っておける人物ではない。
それ故今の状況は酷くマズイ。幸司郎が理不尽な悪意に対して切れるところを何度も目撃している子鹿にすれば、今の幸司郎はまさにその一歩手前であった。犯人でも見つけた時には殴り掛かりかねないのだ。
まさに百獣の王の名を冠するにふさわしい、獰猛な人間だ。
しかしそんな子鹿の制止をも幸司郎は振り払い、近くにあったステンレス製の掃除ロッカーを思い切り蹴りつけた。それは大きな音を立ててひん曲がり、横倒しになる。その状況に、近くにいた女生徒たちが小さく悲鳴を上げ、見ていた生徒らは顔面を蒼白とさせた。
「見てて楽しいか! なあ! こんなこそこそしてないで、直接やれよ!」
「コ、コウまずいって! ここは私立じゃないんだから」
「お前は黙ってろ!」
獰猛なライオンに睨み付けられた子鹿は、身を小さくして固まった。
ある程度周囲を睨み付けて威嚇したあと、犯人らしき人物が見えなかったため、幸司郎は今だ掃除を続ける子夜に歩み寄った。
「おい。そんなもんやった奴にやらせろよ……おい、聞いてんのか!」
彼女の行動にも納得のいかない幸司郎は子夜を止めるように彼女の持つ箒の柄を掴んで止めた。見下ろす幸司郎に対し、子夜は顔を上げずただ黙って下を向いていた。
「……お願い。放って、おいて、ください」
「はぁ? ふざけんな! 言ったろ、そんな面倒な事やらせんじゃ――」
「お願い。無視して」
子夜はもう一度、そう繰り返した。それで幸司郎は彼女の異変に気付く。
箒の柄が、小刻みに震えていた。彼女は何かに怯えるように、視線を落とし、ただただ小刻みに震えていた。
「……わかったよ。勝手にしろ!」
一瞬考えた後、幸司郎はそう言って彼女を置いて靴を履き替えて昇降口を出ていった。
それを慌てて後ろから子鹿が追いかける。
「コ、コウ。よかった」
「何がよかったんだよ。何にもよくねえだろ」
「ま、まあね……それにしても凄いね。鼠ヶ原さんに話しかけるなんて」
「あ? あんな場面見せられて、黙ってる方が気持ち悪いだろ」
「コウって良いやつなのか悪いやつなのかわかんないよね、本当」
「少なくともお前よりは良いやつだ」
こんな時でも子鹿への侮辱を忘れない幸司郎に子鹿は呆れ気味に息を吐き、
「それにしても少し親しそうな感じだったけど、鼠ヶ原さん知り合いなの?」
沈黙――しかしすぐに幸司郎は口を開いた。
「違えよ」
それはここ最近で、子鹿が聞いた一番のぶっきらぼうな声だった。