断罪まであと二年
頭が痛い。
目を開けると、見慣れない天井があった。豪奢なシャンデリア。窓にはレースのカーテン。ふかふかのベッド。……ここ、どこ? 私のワンルームじゃ、絶対にない。
「お嬢様! お嬢様、お目覚めになられましたか!?」
覗き込んできたのは、メイド服の少女だった。年は十七、八くらい。心配そうに私の顔を見つめている。その後ろでは、初老の執事がオロオロと両手を握りしめていた。
(お嬢様……? 私、佐藤美咲、二十八歳。ブラック企業の経理部で毎日終電の社畜だったはずじゃ……)
最後の記憶。発売日に買った乙女ゲーム『聖女様の恋は革命級!?』を、布団の中で徹夜プレイしていた。悪役令嬢の断罪イベントで「うわぁ、この子ひどいな」とか言いながら、気づいたら朝で——
「……過労死、ですかね」
思わず漏れた呟きに、メイドの少女が真っ青になった。
「お、お嬢様!? しっかりしてくださいませ! 落馬のショックで、どうかされてしまったのでは……! バルト様、医師を! 医師をお呼びして!」
「落ち着きなさい、ミリア。医師はもう診ていった。お嬢様は安静が第一だ——」
落馬。なるほど、全身が痛いわけだ。この身体の持ち主は、馬から落ちたらしい。
待って。金髪碧眼の美少女。ミリアというメイド。バルトという執事。この取り合わせ——
私はガバッと跳ね起き、枕元の手鏡を掴んだ。
鏡の中には、腰まで届くプラチナブロンドと、宝石のような碧の瞳の少女がいた。十七歳くらい。美しい。見覚えがある。ありすぎる。
「……エリザベート・フォン・ローゼンハイム」
乙女ゲーム『聖女様の恋は革命級!?』の悪役令嬢。第二王子アルフレッドの婚約者。主人公である聖女セシリアをいじめ抜いた挙げ句、卒業パーティーの場で断罪され、処刑される。救いのない、因果応報の悪役——
「なんで私が悪役なの!? どう考えても聖女転生の方がお得でしょうが!?」
「お嬢様ぁ!?」
ミリアが泣きそうな声を上げた。無理もない。落馬で頭を打ったお嬢様が、鏡に向かって一人で喚いているのだ。不審者である。
「あー、うん。落馬のショックで、ちょっと変な夢を見たの。気にしないで」
我ながら苦しい言い訳だったが、ミリアはほっとしたように胸を撫で下ろした。バルトも安堵の息を吐いている。
(よし、とりあえず誤魔化せた。この世界の常識は、これからミリアに聞き出すしかないな)
私はふらつく足で窓辺に歩み寄り、カーテンを開けた。
眼下に広がっていたのは、石畳の街並みだった。朝市で賑わう広場、煙を上げるパン屋の煙突、遠くに見える麦畑。ゲームのCGで何度も見た、ローゼンハイムの領都——
(……きれいな街じゃないか)
けれど、よく見ると広場の隅には物乞いの子どもがいた。麦畑の向こうの水路は、枯れたように干上がっている。美しい街並みの裏側に、歪みが覗いていた。
(この街を立て直すのか、私が)
深呼吸。落ち着け、佐藤美咲。いや、エリザベート。状況を整理しよう。
ゲームのストーリーはこうだ。平民出身の少女セシリアは、希少な治癒魔法の才能——『聖女』の資質を見出され、王立学園に特待生として入学する。そこで第二王子アルフレッドたち攻略対象と恋に落ちる。
一方、王子の婚約者である悪役令嬢エリザベートは、嫉妬に狂ってセシリアをいじめ抜く。証拠を掴んだ王子は、卒業パーティーの場で婚約破棄と断罪を言い渡す。エリザベートは処刑。バッドエンド一直線の当て馬である。
で、そのエリザベートに、私は転生してしまった、と。
最悪だ。よりにもよって断罪確定の悪役令嬢とは。神様、配役ミスってませんか。
……でも、待って。
ゲームの断罪理由を思い出してみる。『聖女への虐待』と『領地での苛政』。そう、エリザベートは領地経営にも無関心で、重税を課して私腹を肥やしていた。だから断罪は、民衆からも喝采されたのだ。
裏を返せば——いじめをしなければ『虐待』は成立しない。領地をきちんと治めれば『苛政』も成立しない。断罪の根拠を潰してしまえばいい。
断罪イベントは、確か——卒業パーティー。今は二年生の秋。つまり、残り時間は二年。……二年!? 短い! 短すぎる!
いや、待て。嘆いている暇はない。二年あれば、できることはある。
婚約者の王子に媚びて取り入る? 冗談じゃない。あの王子はゲームの主人公サイドだ。いくら媚びたところで、聖女が出てきたら心はそっちに行く。そんな不確実な賭けに、二年を費やすわけにはいかない。
私が選ぶのは——領地改革だ。
前世の私は、しがないOLだった。けれど経理部で八年。粉飾だの横領だのの臭い数字は、山ほど見てきた。簿記の知識、実家の田舎で覚えた農業の基礎、物流のイロハ。魔法のチートはない。あるのは地味で堅実な、事務職の知識だけ。
でも、それでいい。地味でいい。確実に積み上げるんだ。
ゲームの知識で覚えているのは、ローゼンハイム領がそこそこ豊かな領地だということくらいだ。詳しい内情なんて、ゲームには出てこない。悪役の領地なんて、断罪の添え物でしかないのだから。だから、自分の目で確かめるしかない。
よし、まずは現状把握。領地の帳簿を見せてもらおう——
「ミリア。悪いんだけど、書斎の帳簿を持ってきてくれない? ここ三年分、全部」
「帳簿、ですか? お嬢様が……帳簿を?」
ミリアが目を白黒させている。無理もない。元のエリザベートは、帳簿になんて興味を示したことがないのだから。
「ええ。ちょっと、確かめたいことがあって」
しばらくして、ミリアが帳簿の束を抱えて戻ってきた。その量に、私は目を剥いた。三年分という言葉を、文字通りに受け取ったらしい。両腕いっぱいの帳簿だ。
「お嬢様……本当に、帳簿をご覧になるのですか?」
「ええ。ダメ?」
「い、いえ! ただ……以前、ダルトン様が『お嬢様は数字などご覧にならない』と——」
ああ、そう。元のエリザベートは領地経営に無関心だった。だから管家はやりたい放題だったわけだ。
(……ごめんね、元のエリザベート。あなたのツケは、私が払うよ)
——その夜。私はベッドの上で、蝋燭の灯りを頼りに帳簿と格闘していた。
前世の習慣で、数字を追う。収入、支出、残高。小麦の税収は前年並み。領地の税収は悪くない。むしろ豊かな領地だ。なのに、金庫の残高は——
「……おかしい」
収入と支出の差が、残高と合わない。しかも「水路修繕費」だけが、三年で三倍に膨れ上がっている。水路が直った気配なんて、ゲームの描写にはなかった。……怪しい。
承認印は、管家のダルトン。そういえばゲームでも、断罪イベントでチラッと名前が出たような——『領地の金を横領していた悪徳管家』。ゲームではエリザベートの罪に数えられていたけれど……これ、エリザベートじゃなくて、管家の仕業じゃないの?
さらに頁を繰ると、「孤児院助成金」の項目が目に留まった。三年前から毎年、同じ額が支出されている。なのに——支出先の受領印が、三年間ずっと同じ筆跡なのだ。
(……三年間、同じ人が同じ筆跡で? 普通、担当者は変わるものだけど)
架空支出の臭いがぷんぷんする。前世で何度も見たパターンだ。存在しない相手への支払いを計上して、金を抜く。古典的だが、よく効く。
経理部八年の勘が囁く。これは粉飾だ。誰かが領地の金を抜いている。
窓の外では、夜の領都が静まり返っている。その静けさの下で、誰かがこの領地を食い物にしている——私は確信した。
——この領地の帳簿は、真っ赤な嘘をついていた。
蝋燭の火を吹き消す。まずは管家だ、ダルトン。あんたの嘘を、一つずつ暴いていく。明日は自分の目で領地を見る。帳簿の数字と現実を、突き合わせるんだ。
断罪まであと二年。私の戦いは、この嘘を暴くところから始まる。
初めまして、蒼野ゆきです。『処刑確定の悪役令嬢に転生したので、断罪を回避するために領地改革を始めたら聖女より慕われるようになりました』を始めました。断罪まであと二年の悪役令嬢が、王子に媚びるのをやめて領地改革に奔走するお話です。毎日21時更新予定です。面白いと思ったら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。よろしくお願いします!




