第178話 大切(?)な事を忘れていましたが、思い出したら思い出したで悲惨でした
ライザさんが背負ったボート型の箱に乗り、私とランジェス大公は一路ロザミアを目指して飛んでいく。
もっとも、1日でロザミアに着くのは不可能なので、途中の街や宿場町で5泊ぐらいする事になるのだが…
それでもランジェス大公と共にムルディア公国で外交の職務を果たした一行に比べれば、雲泥の差である。
気の毒だが、彼等は船でイルモア王国のグレイヤールと言う港町まで戻り、そこから陸路でヴィランまで帰還する事となる。
1ヶ月前後もの間船酔いに悩まされ、陸に揚がってから20日も掛けてヴィランに戻る事を考えれば、慣れない空の旅もラクなモンだろう。
事実、最初の宿場町に着いた時のランジェス大公の感想が全てを物語っていた。
「さすがに早いですな。この宿場町とレナルの距離を考えれば、1ヶ月の距離を1日で移動した計算になりますぞ。それに、エリカ殿の掛けた魔法… 防寒魔法と気圧シールドでしたかな? お陰で寒さも息苦しさも感じませんでした」
ニコニコ笑顔で語るランジェス大公。
勿論ライザさんが飛んでる最中、高さや速度を聞いた時は真っ青になってたんだが…
無理もないけどな。
初めて空を飛んで、しかもそれが3000m上空で時速200㎞オーバーだってんだから仕方無いけど…
それは良いとして、私はムルディア公国を出発してから、何故かモヤモヤしていた。
なんだか大切な事を忘れている様な気がするんだよ…
そんな事を考えてる内に数日が過ぎ、私達は無事にロザミアに戻ったのだった。
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「サ… サルバドール伯父さん!? なんでロザミアに!?」
予想通りに驚くミラーナさん。
まぁ、当然と言えば当然か。
ランジェス大公が私達と一緒にロザミアにって、考えてもいなかっただろうからな。
「なぁに、エリカ殿の握った寿司が食べたかったのだよ♪ ヴィランでも寿司は食せるが、マリアンヌや甥姪の話を聞くに、エリカ殿の握った寿司とは雲泥の差だと聞いたのでな♪」
「アタシ達はエリカちゃんの握った寿司しか食った事がないから何とも言えないな… 母上達が言うなら、そうなんだろうけど…」
そりゃ当然だよ…
私だって、美味しい寿司を握れる様になるまで何年も研究したんだからな。
酢飯を作るのに最適な酢の割合とか、酢飯の量とか握る強さとか…
更にはネタの脂の乗りで切る厚みを調整するとか…
適当に作った酢飯を適当に握ったって、歯触りや舌触りは良くないだろう。
脂の乗りを考えず、適当に切ったネタで握ったって旨味を充分に活かせない。
いや、下手すると味を壊す事になりかねないんだよな。
それを教えなかったのかって?
教えたよ。
だけど、教えたって経験を積まなきゃ理解できない事だってあるだろ。
って、誰に言ってんだ私は…
いや、そんな事はどうでも良いんだよ!
とにかく今は、美味しい寿司を握る事に集中せねば!
「それじゃ、腕に縒りを掛けて握りますか♪ お好きなネタを仰って下されば、このエリカ・ホプキンスが極上の寿司を提供しますよ♪」
私が宣言するやいなや、ホプキンス治療院の住人5人──最近住人になったばかりのルディアさんを除く──は勿論、ランジェス大公までが次々に注文を始める。
「私、トロサーモン!」
「私は大トロ!」
「アタシはヒラメ!」
そんな中、ランジェス大公は…
「フム… では私はタマゴから握って貰いましょうかな?」
…意外に通なのかな?
諸説あるが、寿司はタマゴに始まりタマゴに終わるとも言われているらしい。
知らんけど…
とりあえず注文通りに寿司を握って出すと、ランジェス大公が何やら訝しげな顔をしている。
「エリカ殿、この細く黒い物は何ですかな? 王都で食したタマゴの握りには無かったのですが…」
ランジェス大公が気にしているのは、タマゴ握りに巻かれている幅1㎝弱の海苔。
完成したのは最近だから、まだヴィランでは知られていない。
気になるのも当然だろう。
「それは海苔と言う物で、紅藻・緑藻・シアノバクテリア(藍藻)などを含む、食用とする藻類の総称ですね。最近ノルンで作られる様になったんです。海苔はタンパク質、食物繊維、ビタミン、カルシウム、タウリン、ベーターカロテン、アミノ酸などが豊富に含まれてて、栄養に富んでいるんですよ♪ 軍艦巻きや太巻きって言う、新たに開発した寿司にも使ってますので食べて下さいね♡ あ、鉄火巻き、キュウリ巻きってのも考えてみたんで、皆さんも食べて下さいね♡」
本当は〝かっぱ巻き〟って言いたいけど、説明が面倒なので〝キュウリ巻き〟と言っておく。
「ほう… 海苔とやらを使った寿司ですか、それも旨そうですなぁ♪ これは下手に注文するより、エリカ殿のお勧めを食した方が良さそうですな。お任せしても宜しいですかな?」
そう言われて期待に応えなければ、エリカ・ホプキンスの名が廃る!
大袈裟ですね、そうですね。
とりあえず私は現在のレパートリー、イクラの軍艦、ウニの軍艦、鉄火巻きにキュウリ巻き、そして太巻きを作って提供する。
勿論、普通の握り寿司も。
他の皆も嬉々として食うわ食うわ…
ランジェス大公も67歳とは思えない食欲で、次から次へと食べていた。
ちなみに私はと言うと、7人からの注文に応えて寿司を握るだけで精一杯。
隙を見てのつまみ食いなんて出来る筈もなく、ただひたすら寿司を握っていた。
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「エリカさん、大変でしたね」
アリアさんに慰め(?)られながら、私は自分で寿司を握って食べている。
ちなみにランジェス大公は食休みもそこそこに、さっさと風呂に入って寝てしまった。
他の面々は、現在入浴中である。
「まぁ、なんとなく予想はしてましたけどね… それより、ず~っと気になってる事があるんですよね…」
「気になってる事? 何ですか?」
「それが気になってるんですよ… ムルディア公国で何かを忘れてる気がしてるんですが、それが何だったのか思い出せなくて…」
「は…?」
アリアさんの頭上で???マークがクルクル回っている様に見えるのは気の所為だろうか?
「まぁ、思い出さないって事は、そんなに大切な事じゃないのかも知れませんけどね。(もぐもぐ…)私にとって大切なのは怪我人や病人を治す事であって(あむあむ…)自分の事は二の次、三の次ですから」
「さすがエリカさんです♡ でも、少しぐらいは自分の事を考えても良いと思いますけど…」
そうかも知れないけど…
職業病かなぁ…?
医者の不養生って言葉があるけど、意味は違うが似た様な感じなのかも知れないな。
ちなみに医者の不養生とは、人に養生を勧める医者が、自分は健康に注意しない事を言う。
正しいと解っていながら自分では実行しないことの喩えだ。
「私の場合、自分の事は後回しにするのが当たり前になってるんですよね… 怪我人や病人… 患者さんを治す事が第一であって、自分の事なんて後で構わない。後からでも何とかなるって思ってますからね…」
「その考え… やっぱりエリカさんは凄いですね… 私だったら… いえ、他の誰もエリカさんの境地には至れないと思いますよ?」
そ… そうなのか?
単に私は患者を治す事に生き甲斐を感じてるだけなんだけど…
それなのに、そんな事を言われたら逆に恥ずかしいと言うか…
思わず頭から布団でも被りたくなるじゃん…
…って、布団?
布団は床…
いや、畳に敷いて使う寝具で…
畳…?
「思い出したぁああああああっ!!!! 畳っ! 畳ぃいいいいいっ!!!! 座布団んんんんんんっ!!!!」
私は叫びながら床を悶絶しつつ転げ回る。
ムルディア公国では前世での日本の畳や座布団に似た物が有るってルディアさんから聞いて、畳に寝転びたい、座布団に座りたいって思ってたんだったぁああああああっ!!!!
「エ… エリカさん!? 大丈夫ですか!? 誰か~っ! エリカさんが大変です! 助けて下さ~い!」
「アリアちゃん、どうした!?」
アリアさんの声に反応したミラーナさんが──入浴中だった為、全裸で──駆け付ける。
「ミラーナさん! 突然エリカさんが何か叫びながら床を転がり回って!」
「アタシに任せろ!」
すぱぁああああああああんっ!!!!
めきぐしゃぁあああああっ!!!!
ミラーナさんが全力で振り下ろしたハリセンの一撃で、私は転がっていた床に身体を半分以上めり込ませて失神したのだった。
【追記】
私を床にめり込ませたミラーナさんは、アリアさんから『やり過ぎです!』の一言と共に振るったハリセンにブッ飛ばされ…
全裸のまま、朝まで壁にめり込んでいた。
いや、私も朝まで床にめり込んでたんですけどね…
アリアさん、せめて私だけでも床から抜いて下さいよ…