刹那の時を駆け巡れ②
「ちょっ、ちょっと颯太! こんな所で寝ちゃ駄目でしょ!」
慌てた私はすぐさま弟の側に駆け寄り、起こそうとした。
いくらまだ九月だと言っても、玄関で寝たりしたら風邪をひきかねません。
ゆさゆさと弟の体を揺さぶり、目を覚まさせようと試みる。
でも、どんなに体を揺らしても、一向に目覚める気配のない颯太。
そんな中、私はふと弟が全身土埃になって汚れているのに気付いた。
「あれ? なんか制服汚い。サッカー部って、あっくんのとこみたいに部活中はユニフォーム着てるんじゃあなかったっけ?」
褐色の模様が、制服であるワイシャツの所々を染めあげている。
ズボンも同様、払ってみたら土らしい煙が宙を舞った。
部活が終わった後、砂場で遊んでいたとか?
いやいや。流石に高校生にもなってそれはないでしょ。
私は自分で自分に突っ込みを入れ、でもそれにしては不可解な弟の汚れっぷりに首を傾げる。
「汗まみれだし、まだ夕飯も食べてないのに寝ちゃうなんて、どれだけ疲れてるのかな?」
弟の顔を拭いてあげながら、私はあっくんに自分の疑問を投げ掛けた。
それをあっくんは、「う~~ん」と考え込んだのち、答えてくれる。
「サッカー部も俺らと同じぐらいにあがったはずなんだけどな~? ……あぁ、そうか!」
話の途中で何やら閃いたらしいあっくん。
古典的に、ぽんっと手のひらを打ち据える様子を見た私は、何だろうと彼に目を向けた。
そんな私に、あっくんはにっかりと笑う。
「気にするな流香。これは、『弟の事情』ってやつだ」
え、何それ。
理解不能な事を告げられてしまい、目が点となる私。
でも、あっくんはそれを気にも留めず、颯太を自室まで連れていこうと肩を貸し始めた。
「あらあら! ごめんなさいね篤くん」
「いえ、大丈夫です」
私たちの後にやって来たお母さんへそう告げたあっくんは、本当に何て事がない様子。
私はますます理解不能だったけど、とりあえずお母さんと一緒にすっかり夢の中へと入ってる弟の世話をする事にしました。
まぁ、男の子だし。こうやって、汚れて帰って来る日もあるのかな?
あっくんの言葉を借りて、その日はそう思うようにした私。
だけど、弟の奇怪な行動はこの日だけに留まらなかったんです。
「え? 弟くん、毎晩出掛けてるの?」
ガヤガヤと賑わう昼休み。
皆それぞれ、思い思いの場所で昼食を摂ろうと動き出す。
そんな中、机を向かい合わせる形で移動してきた沙希が、きょとんとした顔で私を見てきた。
それを私は、彼女と一緒にお弁当が食べやすいよう椅子をずらしながら答える。
「うん。最初は帰りが遅いだけだったんだけど、お母さんに夕飯食べてないし、制服も汚れるって怒られてから、そうなったんだよね」
颯太は一旦学校から帰ってくると、パーカーとジャージに着替えてすぐさま夕飯を摂り、それから外へ出掛けるようになった。
その様子を見た私は、初日での印象がまだ残っていたので、友だちと何か約束があるのかなと単純に思っていました。
でもそれが一日二日のみならず、こうも毎日だと流石に疑問が沸くというものです。
あっくん曰く、颯太の行動は『弟の事情』らしいんだけど、友だちとの約束があるにしても何か特殊な事情があるはずです。
だってそうでも考えないと、毎日出掛ける理由へと結びつきませんから。
「弟くん、何か話してくれた?」
お弁当を広げた沙希が、フォークで玉子焼きを頬張りながら再び尋ねてくる。
私はペットボトルのお茶で一口、喉を潤した後、改めて彼女の問いかけに答えた。
「ううん。あ、いや、一度聞いてみたんだけど、『ランニング』とだけしか返ってこなかったの」
うーんと首を捻った私は、その時の弟を思い返した。
スニーカーの靴ひもをきつく締め上げてる弟の背中を見れば、確かにランニングへ行くのだと思わせられる光景です。だけど。
「ランニングって、何時間もするものなのかな?」
「えっ!? って、ちょっと待って流香。弟くん、一体どれだけ走り込んでんの!?」
「ざっと三時間か四時間くらい……だと思う」
私の発言により、沙希が絶句している。
ポロリとフォークから唐揚げが落ちるのも確認しました。
当然ですね。私もその事実に気付いた時は、かなり驚きましたから。
夜中にトイレへ行こうとしたら、初日みたいに玄関で大の字になって突っ伏しているんだもん。
まさに、家に到着した途端、崩れ落ちたといった感じです。
サッカー部の新メニューなのかな?
よく自分はレギュラー候補と言っている颯太。
だから一所懸命頑張っているとも取れるんだけど……それにしては走り過ぎのようなら気がするし、若干、挙動不審な態度を取ったりもしたからね。
「どこへ行くの?」と聞いた私に、ビクッと体を痙攣させた弟。
そしてもごもごと口を動かしながら、「ラ……ランニング」と言って、慌てて玄関から飛び出していく。
不可解極まりないです。今思ってみても、明らかに怪しい。
渋面な顔をしながら、私はお弁当の残りを胃袋へと納めた。
そんな私をよそに、沙希がスマホを取り出し、超高速で文面を打っている。
どうやら自らも颯太に対し、事の追求をしようとしてるみたいです。
「は?『気にしないでくれ』? って何それー!? 気になるに決まってんでしょーがぁ! 毎晩毎晩どこに行ってんのよ!?」
颯太からの返信に憤慨の沙希。
まるで行く先不明の夫へ捲し立てる妻のような勢いです。
いえ。沙希の場合は、奔放な弟を叱りつける姉と言った方がいいかな?
颯太も私と同時期に沙希と知り合っているから、付き合いは長い。
一人っ子の彼女としては、うちへ来るたびにいつも颯太が私たちの回りをうろついてたのを見てたので、うん。どちらかというと、そっちの方が近いかも。
未だメッセージのやり取りをしている親友を見て、弟が姉二人をどれだけ心配させてるのと思った。
全く! でもまぁ颯太だし、悪い事はきっとしていないと思うから、どんなに不可解な行動をとってても、家族として信じてあげる事にします。
それよりも私は、こっち。
「で、流香は今日、部活終わったらどこに行くの?」
メールで随分颯太と接戦したらしく、沙希がぜぇぜぇ息を切らしながら放課後の私の予定を聞いてきた。
どれだけ白熱したやり取りが展開されたんだろうと一瞬思ったけど、とりあえず私は冷や汗を垂らしつつも答える。
「んと、今日は駅の方に行ってみる。前にね、秋月と遊びに行った事があるから」
「あぁ、そういえば夏休み前にあんたたち、アミューズで初デートしたっけ。……もしかしたらそこに、秋月がいるかもね」
そうなんです。
あっくんに奮起させてもらった私は、自分も秋月を捜しに行こうと思い至ったんです。
哲平くんが既に捜してくれているけど、退学処分取り消しの時みたいに一人よりも二人の方が効率いいし、何よりも少しでも早く彼に会って、自分の気持ちを伝えたいから。
そんな私に対し、食べ終わったお弁当を片付け始めた親友が、恐る恐る口を開いてきた。
「でも本当にいいの? 私も手伝えるよ? 時間空いてるし」
遠慮がちに聞いてくる沙希。
だけど私は、最初に彼女へ返した言葉をそのまま使用する。
「ううん。もう本当に大丈夫だよ沙希。これからは、私が自分でやる。その方が正しい気がするの」
勿論、効率面から言えば、正しい判断とは言えないです。
でも、どこか違う気がした。
大勢で秋月を捜すのと、一つ一つ、自らの足で彼を追うのと。
だから折角の心遣いを、私は断った。
どうしても今回ばかりは、自分自身の力でやり遂げなければと思ったから。
人によっては単なるエゴかもしれない。
自分の力だけで、事が上手く運ぶのはただの思い上がりだって。
だけど、今の私にはそれぐらいしか出来ないから。
ううん。寧ろ、敢えてそれをやりたいです。
「気持ちだけで十分」と言った私に、沙希は「そっか」と肩をすくめたものの、最後は納得してくれたみたいです。
私の心中が何となく伝わっているのか、笑顔で送り出そうとしてくれる。
少し前――あっくんと話すまでは、とことんどん底まで落ち込んでいた私。
そんな私が前向きになって行動しようとしている事に、親友である彼女は心底安堵したような表情を見せた。
「まぁ、何かあればいつでも連絡してくれていいからね。さてっと、ちょっとトイレに行っとかない?」
「うん!」
昼休みも半分過ぎ、締めくくりとしてそう告げてきた沙希に対しすぐさま答えると、ガタガタと机と椅子を戻し、一旦教室から出て私たちは時間を潰す事にした。
いつもだったらここに秋月が混じって、何だかんだで昼休みがあっという間に終わってしまうんだけど、今はそんな事はなく、時間を持て余しているのが実状。
振り返ってみれば、秋月と出会う前の時間へ戻ったに過ぎないという事なんだけど、それはもう私にとって馴染みの時間では無くなってしまっている。
今は、秋月がいる時間こそ私の日常。
一瞬一瞬、大切に。
だけど目まぐるしく駆け巡る、彼と共に過ごす時。
願わくば、そんな時間をまた取り戻せますように。
私は沙希の後ろに着いて行きながらも、すれ違う生徒たちの合間から、そんな事を思っていた。
いえ。願うだけじゃあ叶えられないですね。
自分で掴み取りに行かなきゃ。
被り振った私は、今日向かう予定である駅周辺のどこに秋月がいそうかを考える事にした。
そんな簡単に彼を見付けられるとは思っていないけど、何かしら起きそうな予感はしたから。
事実、この予感は見事的中した。
でもそれは、秋月に関係あるのかないのか、不明瞭だけど。
午後の授業を終え、放課後。
今日も今日とて王子役である秋月がいないまま、演劇部では文化祭にやる演目『白雪姫』の練習をする。
物語の終盤。白雪姫が、王子様による口付けで目覚めるシーン。
それを一人で、私はこなしていった。
はたから見れば滑稽に見えるかもしれないけど、必ず王子様がここに現れると信じて、ひたすら台本に書かれた台詞を言う。
同じ部員である他のみんなも私と同様、秋月が帰ってくると信じてるみたい。
つつがなく行われた練習は、ここにある種の一体感が存在している事を証明しています。
それを認めた私は、その証明を現実のものへとするために、本日分の練習が終わって各自帰宅する中、一人、駅の方へと足を運んでいった。
「ふう。やっぱりここも見てみないとね」
誰かに話しかけているわけではないけれど、何となく独り言を呟いた私は、とある大きな建物の前で足を止めた。
一応、駅ビルの中や、すぐ側に隣接している商店街、デパートも覗いてみたけれど、秋月らしき人影を見付ける事が出来ませんでした。
となれば、ここら辺で残されている場所は一つだけ。
「一番可能性もあるよね?」
はい、当初の目的地でもありました。
夏休み前、部活の帰りに秋月と遊びに来たアミューズメントパーク。そこに私はたたずんでいた。
何か、ついこの前来たはずなのに、私の胸中は感慨深いもので埋め尽くされます。
あの時は、まさかこんな事になるとは思ってもみなかったもんね。
ついつい、物思いに更けそうになりました。
でも、そんな事をしている場合じゃあない。
あちこち歩き回っていたから、時刻はもう夜の七時。
普通だったらとっくに家にいる時間です。
急がないと、家族に心配かけちゃう。
そう思ったものの、ここだけ手を抜くつもりはない私。
幸い、秋月に中を案内してもらっていたから、時間が押していてもまんべんなく見て回る事がぎりぎり可能。
いざ、参ります!
勇んでアミューズメントパークへ入った私はまず先に、ゲームコーナーへと足を踏み入れる。
各ゲーム機から出る音がガンガン鳴り響いてて、聴覚が狂いそうになる空間。
けれど私はそれに構わず、隅から隅までフロアを見渡し、秋月の姿を捜した。
ゲームコーナーが見終われば、今度は卓球コーナー。続いてボウリング場。そしてバッティングセンターとかも。
あちこちと建物内を動き回り、彼がどこかにいないかを確認する。
だけど、やっぱりいない。
最後に訪れたダーツコーナーにしても、私の望みは呆気なく潰えてしまう形となりました。
流石にちょっとショックです。
少々トラブルに巻き込まれた場所だけど、ここもある意味、秋月との思い出の場所だったから。
ドラマや映画みたいに、思い出の場所で再会を果たすってわけにはいきませんでした。
まぁ、そんな都合のいい展開は所詮、想像の中でしか行われないって事ですね。
はぁ、と大きく溜め息をついた私は全身を脱力感に見舞われ、そのまま項垂れる。
世の中、厳しいです。
そんな簡単に上手くいかないとは頭で分かっていたものの、万が一にも億が一にでも、「ここに秋月がいたら」と少なからずそう思っていましたから。
でも仕方がありません。次の場所で捜す事にします。
と言っても、次はどこを捜せばいいのか皆目検討つかないのが本音ですけど。
これまでは秋月と一緒に行った事がある場所を巡っていた私。
けれど、私は彼がどこへ行きそうなのかは実際のところ、知らないんです。
ここにきて今更ながら、哲平くんとは違う私の現実。
秋月の事を、あんまりよく分かっていない自分が恨めしいと思った。
秋月は私の家を知っているけど、私は秋月の家を知らない。
だからこうして二人で行った場所しか巡れない。
最たるものですね。
もっと前に知る機会がいくらでもあったはずなのに、どうして私はここぞとばかりの部分でこんなに抜けているんだろう。
一番初め、秋月が私を家まで送ってくれた時、あんなに住んでいる場所が気になっていたのにも関わらず、です!
こんなの彼女どころか、先輩としても失格じゃないの!
うぅ~、と仕舞いに頭を抱え込んで唸り出した私は、通りがかりの人たちから奇異の目で見られた事に気付かなかった。
なので当然、こういった場所ではありがちな場面に遭遇してしまう事になる。
なにやら颯太がおかしな動きをしてますねー
どうしたんですかねー
颯太が抱える弟の事情とはこれいかに?




