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消えた背中を探し求めて⑥


「……このっ……」


分からず屋! 

そう言いかけて、私は何とか喉まで出掛かった暴言を押し留めた。

でも一気に湧き上がった憤怒の感情が行き場をなくし、右手拳を振るわせる。

爪が皮膚に食い込む感覚が私の身に及んだ。

それ以上力を込めたらきっと、表面の皮は爪によって切られ、血が滲み始めていたと思う。

だけど生憎と私にそれだけの握力はありません。

その代わりに、小刻みに震える握り拳が腕へと伝わり。

それが更に肩へと伝染。

仕舞いには私の体全体を揺るがす程の衝撃となって、全身を駆け巡る。

ここまできてようやく、私は一つ理解しました。

信じられない! 信じられない、信じられない! 

私の心中は罵詈雑言で激しく渦巻き、爆発寸前にまで到っている。

それもそのはず。だって、秋月の退学処分を誰よりも推奨するこの体育教師は、端っから私の意見を聞き入れる気などないんですから! 

どんなに言葉を並べ、感情を込めても、自分が見た、聞いたものしか信じようとはしない。

他は戯言。検討する価値もないと言わんばかりに一蹴する。

それが大人で、教育者のする事なの!? って叫びたかった。

正直、神澤くんよりもたちが悪いです。

あの子は常に自分の要求を押し付け、その望みが叶わないとならば排除しようとしてくるけど、それは多少なりともこちらの意思を感じたからこその反応。

反応があるという事は、また別の手を考える事によって次へと進める。

だけど今私が置かれている条件は、それすらも満たない。


「……どうしても、考え直しては下さらないんですか?」


念押しをするかのように、私は先生に向かって最後の問いかけをした。

でも案の定、聞き入れてくれる気はないようで、答えはノーだった。


「くどいぞ真山!」

「…………っっ!」


即答された私はこれまで以上に全身が震え、唇を強く噛み締める。

私の力じゃあここまでなの? 

脳裏に敗北という二文字が突如として浮かび上がった。

でもそれは絶対に認めたくはない。

すぐさまその文字を頭から叩き出した私。

そう、負けを認めるわけにはいきません。

必ず今度は秋月を助けるって決めたんだから。

この時、あまりにも激昂し過ぎててすっかり忘れていました。

私は、『一人じゃない』って事を。


「――女子生徒が泣きながら懇願しているのに、それを無慈悲にも突き返すなんて……。いやぁ~、とんだ教師もいたもんだね。男としてもどうなの? それ」

「!?」


私と体育教師しかいないこの生徒指導室に、突然横槍が入る。

それに気付いた私は、急いで声がした方へと振り向いた。


「あ……」

「お待たせ真山先輩。助太刀するよ」


私が視線を傾けた先――生徒指導室の入り口に立っていたのは哲平くんだった。

いつからそこにいたのか分からないけど、にっこりと微笑んでいるその様子はまるでつい今しがた着いたばかりといった感じ。

でも彼が口にした言葉から察するに、だいぶ前からここに来ていたらしく、私と先生とのやり取りを始終聞いてた節も思わせた。


「森脇か。お前まで何しにここへ来た。先生もなんですか。自分のクラスの生徒ぐらい、押し留めておいてもらわないと困ります」


つっけどんだ言い回しをする体育の先生。

その言葉で私はようやく、生徒指導室に現れたのが哲平くんだけじゃない事に気付く。

未だ入り口付近に立っている哲平くんの傍らに、少し若い風貌の男性教師も佇んでいる。

確かこの先生は秋月たちのクラスの担任……だったような? 

微かな記憶を頼りに思考を巡らせた私は、涙で濡れた頬を手の甲で拭うと、不思議に思いながら後から来た二人に視線を傾けた。

だって、何か微妙に雰囲気がおかしい気がしたから。

にっこり顔の哲平くんとは打って変わり、若い男性教師は心なしかぎくしゃくとした動きを見せているんだもん。

視線も一点に定まらず、あちこちへと泳がせている。

不可解です。

私の頭上に、いくつもの疑問符が出てきたのは言うまでもありません。

でも、そんな風に思っている私を知ってか知らずか、哲平くんは無理矢理自分たちの担任を体育教師の前まで来させる。

そして改めて、自分がここに来た理由を、体育教師に向かって告げた。


「いやだなぁ、さっき言ったじゃあないですか。俺はこの人の援護しに来たんですよ」


そう言って哲平くんは私に人差し指を向けた。

それを認めた体育の先生は、眉間に皺を寄せ、不愉快を前面に押し出したかのような表情をする。


「お前もくだらん事をこの俺に進言するつもりか? だとしたら無駄だぞ。真山ならまだしも、お前は奴と同類であるの周知だ。下手な小細工は俺に通用せん」


きっぱりとそう断言した先生は、既に哲平くんも秋月と同様、中学時代はそれなりに悪行を重ねていたのを知っているんだと思います。

頑なな面持ちで哲平くんを見据えている。

だけど当の哲平くんはそんな風に見られても、さして問題ないとでも言った風情で再び口を開いた。


「小細工するつもりなんて毛頭ないですよ。俺はただ、先生が知らなそう事を教えてあげようかな? っと思ったまでです」


知らなそう事を教える? 

それって、私がつい今しがたまでこの体育教師に言っていた秋月の事? 

でもこの先生には通じなかったんですけど……。

ふと頭にその考えが浮かんだけど、どうやらそれは違うらしい。

哲平くんはにっこりと微笑むその表情を崩さないまま、おもむろに生徒手帳も持ち出し、ある一小節を読み上げる。

それを聞いた途端、体育教師の顔が引きつっていくのを私は見逃さなかった。

そうか。そういう事。

同じように聞いていた私も、目から鱗が落ちてきたような感覚を覚えた。

それは、どんなにこの体育教師が秋月の退学処分を推し進めても、根本的に『無理』である事を示唆している内容だったからです。


「『生徒が退学する場合、保護者と共に話し合いの場を設ける』ってここに書いてあるのを、まさか先生が知らないとは思わなかったなぁ。楓の親に話を通さないで退学処分する? そんなの出来るわけないよね?」


哲平くんの目がきらりと光った気がした。

口調はどこか柔らかいけど、でも明らかに「これならどうだ」と言っているような雰囲気を出している。

確かにこれは……確実なものです。

すぐに秋月を退学にさせる事が出来ない理由が、『校則そのもの』にあったんだから。

これには流石の体育教師も反論する余地が無いらしかった。

学校の治安重んじると高らかに宣言していた手前、校則自体を蔑ろにするわけにはいきませんからね。

私の時とは違い、苦虫を噛み締めるような表情をし始めた生徒指導を兼ねている体育の先生。

その様子をしかと確認した哲平くんは、追撃の手を止めることなく、更に口を開く。


「保護者に連絡が取れれば楓を退学にさせる事が出来るんだけど……でも困ったなぁ。楓の親、今海外へ出張してるんだよね。ね、先生?」


自分の隣にいる若い教師へ肩を組みながら、そう語りかける哲平くん。

それを受けた秋月たちの担任の先生は、しどろもどろになりながらも「あ、あぁ」と答えていた。


「電話でいくらでも連絡が取れるだろうけど、こういったやつは流石に面と向かって話さなくちゃいけないもんだしね? ね、先生?」

「た、確かに」

「だけど楓の親って忙しいからさ、中々日本に帰って来る暇がないんだよね。参るよねぇ~。気長に待つしかないって思うでしょ? ね、先生?」

「そ、そうだな」


次々と目の前で繰り広げられる哲平くんと若い教師のやり取り。

無性に、何だか怪しさ満点の雰囲気、だと思ったのは私だけでしょうか? 

一見、生徒が先生に確認を取っている光景ですが、相手はあの哲平くん。

友だち感覚のように先生へ肩を組んで親しげに話しているけど、私の視力が確かなら、先生の額から滲み出ている汗の正体が何なのか知りたいです。

新学期が始まってまだいくらも経ってないから、まだまだ暑さが続く今日この頃。

だけど職員室は冷房が効いているので、汗をかくまでもない、過ごしやすい環境のはず。

それなのに、汗が額から流れ出てくるなんておかしな話です。

……ひょっとして、冷や汗だったりして。

彼に何か弱みを握られ……いえ、そんな憶測をたてちゃあ哲平くんに対して失礼ですね。

一瞬、疑惑の念が頭によぎったけれど、私はぱたぱたと頭上で手を振って修正した。

そんな私の動作を横目で見ていたらしい哲平くんは、にっこりと満面な笑顔だけをこちらに向かって注いでくる。

……詮索不要……って事ですね。

分かりました、敢えて何も言いません。

その一瞬で全てを悟った私は秋月たちの担任と同様、とめどなく冷や汗が流れ出てくるのを感じた。

うん、一先ずここは哲平くんに任せよう。

今は何よりも、秋月を優先させなくちゃ。

哲平くんへの追求は、後回しにする事にします。

私は同意を込めた視線を彼に向かって投げ返した。

それを認めた哲平くんは、再び体育教師へ視線を戻し、さらりとこう言ってのける。


「というわけで、楓の退学処分は流れ~って事で」

「そんなわけいくかぁ!」


バァンッと強くテーブルを叩きつけながら発せられた体育教師の怒声が、哲平くんの声の後、生徒指導室に鳴り響く。

それに驚いた私は、思わずビクッと体を震わせてしまった。

でも哲平くんは全く動じてない様子。

すかさず「どうしてですか?」と体育教師に聞き返す余裕を見せる程。

その態度が気に食わないらしく、ますます憤った先生は、張り裂けんばかりの声で反論し始めた。


「例え校則でそう決まっていようと、秋月の行動に目を見張るものがあるのは事実だ! 親御さんには当然、連絡が取れ次第、その事について話を持ちかけるつもりでいた!」

「目を見張る行動? それがあるから処分の取り消しは出来ないと?」


今更校則に記載されている退学条件を持ち出した体育教師へ突っ込みをいれないまま。

相変わらず自分の考えを頑として変えようとしない先生に向かって、冷静に質問を繰り返す哲平くん。

だけどその表情はそれまでのにっこり笑顔から一転し、自信に満ち溢れる笑顔へと変貌していた。

ここで私はようやく、校則云々は彼にとって単なる前哨戦に過ぎない事に気付かされる。

流石は哲平くん。

『それ』を狙っていたからこそ、私の意見に賛同してくれたんだね。

そんな事とは露知らず。

哲平くんに『乗せられた』体育教師は、トドメと言わんばかりに声を張り上げる。


「そうだ! 秋月が『問題児』だからこそ、校内の治安を最優先にしなければならない! 他の生徒も、少なからずそれを望んでいるはずだ!」


――しめた。

哲平くんから、そんな言葉が聞こえた気がした。

「どうだ」と彼を説き伏せたと思っているらしい先生を尻目に、当の本人である哲平くんは、やおら視線を生徒指導室の入り口へと向ける。


「じゃあその他の生徒の意見っていうものを、実際に聞いてみようか?」

「なに……?」


そう体育教師の口から声が漏れたと同時に、何やらばたばたとした足取りが職員室内に入ってくる気配がした。

その数は一人二人じゃあありません。

何人もの足音が職員室を駆け抜け、ここ、生徒指導室へと接近してくる。

そして、勢いそのままに入ってきた。


「あ……」


またもや感嘆の声が私の口から出る。

それもそのはずです。

だってこの展開は、哲平くんの時と同じだったから。


「はいはいどいたどいた森脇哲平! 次は私らの番なんだから、場所を空けて!」

「じゃじゃ~ん! 『流香と秋月くんを見守り隊』ここにけんざ~ん!」


智花! 柚子!

哲平くんを私の方へと押しのけ、突如として入ってきた友人二人。

でも、私が驚かされたのはこの二人だけじゃなかった。

わらわらと狭い生徒指導室の入り口へ押し寄せる人の波。

その顔ぶれは、どこかで見たとは決して言えるものじゃあありません。


「え、マジで秋月が退学なんの!? なんでなんで?」

「ちょっ、押すなって! で!? 誰だよんな事言ってるやつ!?」

「ちゃんと聞いてなかったの!? ほら、あのゴリラ……じゃなくて先生!」

「あのリレーごぼう抜きの勇者になんつー事を!」

「サイッテー! そんなの、私たちが許さないんだから!」

「ふざけんなよっ! 毎日楽しみにしている生コント、俺たちから奪うな!」

「秋月に今度、バスケの助っ人お願いしようと思ってたのにぃ! どーしてくれんだよ!」

「目の保養が! 目の保養がぁ!」

「真山さんのおかげで、ちょっとはお近づきになれたと思ったのに~!」

「あいつから女落とす方法教えてもらおうと思ってた俺の計画がぁぁあああ!」


三者三様。

自分たちが心底抱いている秋月への感情を、余すことなく曝け出している面々。

喧々囂々(けんけんごうごう)と生徒指導室に雪崩れ込んできたのは、間違いなく、私のクラスメイトたちだった。


「これはまた予想外。楓のやつ、結構支持あったんだ」


私の許へ追いやられた哲平くんは、今度は自分が冷や汗を垂らしているものの、その声音は抑揚に富み、喜んでいる様子。

それを聞きつけた智花が、再度哲平くんに向かって口を開いた。


「当然。秋月楓はしょっちゅううちのクラスに来るけど、それは流香目当てで、何か悪さをしに来たわけじゃあないからね」

「むしろ~、ムードメーカー的存在だよ~?」


智花の言葉を補足するかのように、柚子も後に続く。

二人の発言を聞いた哲平くんは、更に嬉しそうに声を弾ませた。

仕舞いには笑いだす始末。


「それは何より。あはははっ! なんだ、ちょっとどんな反応が飛び込んでくるか正直心配だったけど、これなら大丈夫そうだね。ほんと良かった。お疲れ様、先輩方」

「別に。大した労力は必要としなかったから、あんたにそこまで言われる程のもんじゃあないよ」

「そ~そ~。逆にみんなノリノリ~」


そう二人が言うのも無理もないです。

既に私たちそっちのけで、生徒指導室は断固秋月退学反対コールで埋め尽くされていた。

さながら圧制に反旗を翻した民衆による、抗議デモのような光景。

でもそれは私にとって、とても感激する場面でもありました。

物凄く大騒ぎになってしまった感が否めませんが、クラスメイトのみんなが口々に発する「秋月を辞めさせるな!」の言葉に、私も哲平くんと同様、嬉しさがこみ上げてくるのを感じる。

分かってくれる人はちゃんと、秋月の事を分かってくれてたんだ……。

先生が何と言おうと、それらは全て、秋月自身の賜物。

本当に、堪らなく嬉しいです。

今度は逆の意味で目頭が熱くなり、私は必然的に目を押さえた。

そんな私たちに相反して、体育の先生はますます憤りを見せる。


「何なんだお前らまで! 秋月の味方するなんてどうかしてるぞ!? あいつが学校で、どれだけ迷惑な行いをしてきたか、知らないわけじゃあないだろう!」


だけど先生の思惑は更に外れる。

「それがなんだ!」と言わんばかりに、みんなの反論が一斉にまた生徒指導室を埋め尽くしていった。


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