1月2週目 猫大人①
「クルゥ!!」
パヴァの言い分を翻訳すると、「もっと速く飛びたい。そのために、もっと速いドラゴンと一緒に飛びたい」という事である。
競走に属する競技の場合、自分の周りを飛ぶライバルというのは、ペースメーカとして機能する。これは良い面のみならず悪い面もあり、一速い誰かと飛んだからと言って自分も速く飛べるわけではないのだが、全くの間違いという訳でもない。このあたりは飛んでみないと分からない、そんな話である。
一応、訓練中で親竜であるリザと飛ぶこともあるのだが、彼女は成竜よりもワンランク上のドラゴンのため、純粋な意味で「格が違う」訳で。要するに、リザが本気を出した場合は、勝負にならなかったりする。
パヴァは負けん気が強いのか、それでも必死に食らいつこうとするのだが。相手が悪いとしか言いようがない。
ちなみにリザの適正距離は20㎞~26㎞と、中距離を得手とする。それなのに、短距離戦でパヴァより速いというのだから、ドラゴンの加齢進化による成長は侮れない。
そうやって、格上と飛ぶことを普段からやっているからか。パヴァはレースでも格上と飛びたいと考えているようだ。それも、当然のように勝つ心算で。
「んー。オープンクラスじゃ駄目か?」
「クルゥ!!」
嫌、らしい。
「クルゥ! クゥゥ!!」
「もっと上がいいのか……」
「クウゥゥ?」
俺が乗り気でないからか、パヴァは何か気遣うように鳴いている。「大丈夫?」といったところか。俺、とうとうドラゴンにまで心配をかけ始めたよ……。情けないな、俺。
パヴァに心配をかけたことで、逆に不安を吹っ切るきっかけを得た。
不安が消えたわけではないが、それでも挑戦者として、負けてもいいから挑んでみようという気概をわずかに取り戻す。
背中を押された勢いのまま、重賞への出走登録をする。
重賞の場合、出走登録をしてから1時間ではなく2時間の待ち時間がある。
そのまま調整で飛んでもいいのだが、俺は「負けてもいいから挑む」という弱気を吹き飛ばすため、ログアウトを選択した。
勝負には精神状態の影響を無視することが出来ない。
だから俺は、「負けてもいいから」ではなく「勝ってみせる」という気概が必要だと考えた。
弱気の虫を踏みつぶすのに、人はなんらかの儀式をすることがある。
とっておきの化粧をしたり、お気に入りの服に身を包む。
うまいものを食べに行く、店に予約を入れるなど。
どこか思い出の場所で過去を振り返るというのも、心を入れ替えるスイッチになる。
特定の手順を踏むことで任意の精神状態を持つ自分へと、魂を昇華させるのだ。
俺の場合、VRではあるが、とある場所で仲間と会うのが儀式にあたる。
験を担ぐ、そんな行為に相当するそれが、俺のとっておきだった。
昔やっていたゲーム、『路地裏大戦』。
猫アバターを使い始めた最初のゲームであり、無二の仲間と縁を結んだ思い出のゲーム。
ゲームはサービスを終了したが、そのデータを買い取り、仲間に「思い出の場所」を開放している友人がいる。
路地裏の覇権を奪い合った、血を血で洗う戦の日々。
そんな戦に赴く前、みんなで集まり騒ぎ倒した場所がある。そう、その時の会場だった喫茶店、「陽だまりの庭」へと俺は足を向けたのだ。
古びた、だが趣のある重厚なドアを前足で開ける。
チリン、と鈴の音がささやかに響いた。
その音色に、静かにコーヒーを飲んでいた客たちが一斉に振り向く。いずれも猫のアバターを使う、歴戦の猛者たちだ。
今日は、“静かの海”か。
店に流れるBGMから、今日の流儀を判断した。
この店はBGMで客に楽しみ方を強いる。
オーケストラによる勇壮な“戦場の女神達”なら派手に騒いでよし。むしろ弾けろ。
サックスの“オードリー・ロックス”なら喋るな。だが、リズムに合わせて音を奏でろ。
今も流れているピアノ曲“静かの海”は大声を出すな。
他にもあるが、曲の雰囲気に合わせて店を使えと言うルールなのだ。下手に逆らうと追い出される。
でも俺たちの仲間が集まれば自然と騒げる曲を流すなど、客への気遣いをしないわけではないが。それでも店側に強要はできない。
俺はいつもの指定席に腰を下ろす。猫アバターのままだが、そこは慣れているのでいつものこと、だ。
店内の猫アバは全て中の人を持つPCだが、お互いに声を掛けたりはしない。通り過ぎる時に尻尾を触れ合わせたり、カップを持ち上げ無言のあいさつをしたりするのが俺たちの流儀だ。
俺の指定席は8席あるカウンター席の、右端から2番目。入り口から遠めの、薄暗い場所だ。黒猫だから暗い場所がよく似合うというジョークでキティが選んだ席だ。一番端の席がキティ専用なのは、どういう理由があるのか聞いても教えてくれないけど。
カウンターを軽く二回叩き、いつものメニュー、アメリカンコーヒーを頼む。どの豆を使ってもお代はタダなのだが、そこで違う物を頼むのは何か嫌だ。アメリカンでも普通に美味しいのでそれで満足しておく。
三毛猫のマスター、ケモ度4の初老を思わせる猫マスがコーヒーを入れる。2足歩行、服を着ているし片眼鏡装備ではあるが、骨格が完全に猫のそれなのでケモ度は4である。コーヒーサイフォンなど掴めるはずがない指をしているが、そこはゲームなのだからと突っ込んではいけない。
無言で置かれたコーヒーとおつまみ。
まずはコーヒーの香りを楽しみ、一口飲む。牧場で出されるコーヒーも美味しいが、ここのコーヒーは何か一味違う。独特の苦みと香りがあり、俺の心を落ち着かせる。
心がニュートラルな状態に移行し、弱気もなにかもが洗い流されるようなすがすがしさが、猫マスのコーヒーにはあった。
サービスで出された猫缶を爪でこじ開けると、中身をスプーンで一口食べる。
うむ、ペタグリーチャームは相変わらず旨いな。ロースト&ペーストされた牛肉と玉ねぎのマッチングが素晴らしい。肉汁こそ無いがしっとりとしてパサついているわけでもない不思議な食感を楽しむ。
少量の猫缶を全て食べ終えると、コーヒーの残りを飲む。コーヒーが猫缶の余韻と混ざり合い、上書きする。肉の脂の味がしない猫缶なので、コーヒーと絶妙なバランスで調和するのだ。
こうやって、コーヒーを飲み、猫缶を食すのが俺の儀式。
ニュートラルになった心は、席を立ち、店を出るころには戦争に赴く戦士のそれを思い出す。
過去の亡霊に憑かれているのではない。共に戦う仲間の元へ戻るという認識が、未知の戦いへと挑むという現実が、戦士の魂を振るわせるのだ。弱気という邪魔な服を脱ぎ捨てた今なら、全てを受け入れ勝利を求めることが出来る。
さあ、戦の時間だ!
「おお馬鹿弟子よ、奇遇でアルな」
店を出ようとドアを開けた瞬間。
ドアをくぐって店の外に出ればそのまま牧場に転移するというのに。
俺は会いたくない、とある人物に再会した。
白猫のアバターを使い。中国風の衣装に身を包んだその男は。
名を、猫大人。通称ニャンタ師匠。
化け猫揃いと言われた『路地裏大戦』でも“最悪”の通り名を持つ最強の一人。
俺にとって師匠と言える人であり。
キティとは違う意味で頭の上がらない相手で。
傍迷惑という言葉を具現化したような男であった。




