苦心惨憺 10
「とにかく、この件はわたしからも強く言っておくわ。赤ちゃんの為にがんばりましょうね」
「先生、ありがとうございます」
ミランダから渡された診断書をエプロンのポケットにしまい、イェオーシュアは医務室をあとにした。執務室に向かう途中、ギュストがガムを口に含みながら言った。
「ずいぶんかかったな、診断の結果は?」
「妊娠してました」
それを聞いてギュストトが振り向くと、害虫を見るような目つきで彼女を睨み、
「妊娠? はっ、それはおめでとう! しかしまあなんというか、これから生まれるガキがかわいそうだな。親が"犬"だと子も"犬"になるんだからな。お悔やみ申し上げますってもんだ!」
そう言ってギュストは高笑いした。ミランダの言ったとおり、鞭を奪い取ってブルドック顔をひっぱたいてやれたら、どんなにせいせいするだろう。そう思いつつ彼女がギリギリと拳を握りながら下品な笑い声を聞いている。
ギュストが気が済むまで笑うと、
「いくぞ」
と言って歩き出して彼女がついていく。行き先は昨日と同じ部屋で、着くとギュストはイェオーシュアを待たせ、中に入っていった。
「閣下」
肥溜めに片足を突っ込んだ気分になりながらギュストが続けた。
「イェオーシュアを連れて参りました」
「ご苦労、引き続き職務を続けてくれ」
「はっ!」
大げさに敬礼してギュストが部屋を出ていき、代わりにイェオーシュアが執務室に入った。
「おはようございます」
「おはよう、かけたまえ。少し待っててくれ、すぐ終わらせる」
書類を見やりつつレウレトが語を続けた。
「いろいろと手続きがあってね……。サインを書くだけなのだが、事務仕事もなかなか面倒なものだ」
話を聞きながら彼女はレウレトの様子を見ていた。直毛の髪は七対三に分けてまとめてあり、色は燃えるように赤い。顔には鏡面加工が施した四角いメガネが掛けられている。そのため瞳の色は分からない。白のワイシャツは常に新しいものなのか綺麗に折り目がついており、首に巻かれた赤いスカーフにはカッティングされたサファイアがはめ込まれたブローチで留められている。一区切りついたのか、レウレトが持っていた羽ペンを戻して顔を上げた。
「本来なら一カ月後に来ることになっていたのだが、予定を繰り上げて昨日付けでこの工場長に就くことにした。いまその手続きで手が空かないので、仕方なく君に来てもらった」
「なぜこの工場に?」
「本国から休暇を取れとうるさくてね、だが私は休むことに慣れていないのだよ。それでここに来たという訳だ。少々物足りないがね……。ところで」
「はい」
「朝食は済ましたかね?」
「いえ、まだです」
「私はいまから朝食を摂るところだ。一緒にどうかな?」
「あ、いやその……」
と、彼女が戸惑っている間にレウレトはそばにあった銀の蓋を取り、サンドイッチを皿に取り分けてイェオーシュアに渡す。
「善意の提案は素直に受け取るものだ。一緒に食べよう」
「い、いただきます」
そうイェオーシュアがサンドイッチを一口含むのを見て、レウレトが聞いた。
「味はどうだ?」
「お、美味しいです」
「それは良かった。サンドイッチの語源を知ってるかね?」
「いえ……」
「サンドは砂、ウィッチは魔女、それ以外ならなんでも挟んで食べられる」




