悪魔祓いをしよう
「異世界転生」という言葉を知っているだろうか。
平穏に暮らしてきた人間が、あるとき突然「前世の記憶」に目覚め――以前の生活を完全に捨て去ってしまうのだ。
この国の貴族階級ではよくあることで、あるとあらゆる対策が講じられてきた。
たとえば、悪魔祓いがそれにあたる。
「痛い、痛い、痛い、誰か助けて!」
ドンドンと扉の内側から必死に叩く音を、大音量の讃美歌がかき消す。
「ヴィヴィアン、耐えるんだ。聖なる歌は魂を清めてくれるよ」
「やめさせてください! リオ様! リオ様!」
俺は神父様の隣で目を閉じ、指を組んだ。
「おお神よ、哀れな俺の恋人を救いたまえ……」
「この、人でなし!」
俺は悲しかった。彼女が俺をなじる言葉の一つ一つがあまりにも弱々しかったから。かつてのヴィヴィアンの言葉はそのひとひらが魔力ノコギリのようだった。俺はあの火花の散るような怒りが恋しくて、ハンカチを目許に当てる。
神父様は寡黙な人で、静かにレコードを回し続けていた。
「効果はいかほどでしょうか」
「ええ。鞭打ちに聖水、聖なる光の照射、讃美歌、手指の処理。どれも効果が見えてございます」
扉の向こうからは身を裂くような絶叫と呻き声が聞こえてくる。
一刻も早く元のヴィヴィアンに戻さなくては。
俺はハンカチを握りしめると、神父様に告げた。
「彼女が人を殺したいと言うまで続けてください」
神の僕は軽い頷きで応える。
悪魔祓いの儀式は続き、面会許可が出たのはおよそ18時間後のことだった。
俺は扉を開け放つ。
「ヴィヴィアン!」
部屋の中心で鎖に繋がれ座り込んでいた彼女がゆっくりと振り返った。
藤紫色の瞳は涙で濡れている。ほろり、とまた大粒の雫が血みどろの頬を伝った。
爪のない指先は燃える薔薇のような真紅、乱れた髪。血の上った顔には優雅な微笑。
俺は彼女を抱き締めた。
「リオ」
鈴を鳴らすような声が耳元で響く。俺は身体を離して彼女を見た。彼女は変わらず微笑んでいた。
「戻ったのか」
「一時の夢のようなものですわ。すぐに覚めますことよ」
「そんなことはさせない、ああ、俺の気高いヴィヴィアン……」
赤く染まった細い手を俺の頬に当てて嘆くと、彼女が霧のようにため息を吐く。
「大袈裟なひと」
「君を永遠に失うところだったんだよ、君がいなくなって初めて死を恐ろしいと感じた……」
「月並みな言葉」
彼女はツンとそっぽを向いて手を振り払う。不満らしい。
俺はヴィヴィアンの顔にかかった髪を避けてやった。滴る血に塗れた金色が暗闇の中にあるように光っていて美しい。彼女には血がよく似合う。
「あの女を殺して君に捧げよう」
婚約者はバチリと瞬きしながら返した。
「当たり前じゃない」
録音を聞かせて。と彼女はクスクス笑う。笑いながら、ふらりと俺の腕の中に倒れ込んだ。意識を失ったのだ。俺は彼女を抱き上げると、神父様に向き直る。
「彼女の身体を傷一つなく戻してください。敬虔な信者です」
「神もお喜びになられるでしょう」
彼は簡潔に答え、黒鞄を置き、治療道具を取り出した。




