対峙2
クラトが向かった先は帳の森だった。
温室へと続く道を曲がり、人気の少ない通路を抜けて学園の裏手へ出る。沈む夕日の放つ金色の光が背後へと遠ざかり、やがて黒く塗りつぶされたような森が目の前に現れた。
ここは、ラズリが呪いに襲われた場所だ。
足を踏み入れる前に、思わず鞄の持ち手を握り直す。中に入れた小箱の重みが腕にずしりと伝わった。
人目を避けるには確かにちょうどいい場所なのだろう。わかっていても、湿気を含んだ空気が頬を撫でると本能が危機を訴える。
(落ち着いて……大丈夫。私は攻略サイトなしで『千恋』のスチルをすべて回収した歴戦の乙女ゲーマーなんだから……)
なんの役にも立たない言葉で自分を鼓舞しながら、私は前を歩くクラトに付いていった。
森の中は、相変わらず陽射しというものが存在しないような暗さを湛えていた。枝葉の重なりが夕日を遮り、湿った土の匂いが足元から立ちのぼる。以前ここを訪れた時に感じた、肺を塞がれるような不快さはない。けれど、あの黒い靄の記憶が残っているせいで、木々の影がどれも何かの形に見えた。
クラトは振り返らない。長いローブの裾を揺らしながら、迷いのない足取りで森の奥へと進んでいく。
やがて、木立が少し開けた場所に出た。
ラズリが倒れていた東屋からは離れているけれど、人の気配は完全に途切れている。鳥の声すら聞こえない。葉擦れの音と、私たちの足音だけが妙に大きく響いていた。
そこでようやく、クラトが足を止めた。
ゆっくりと振り返った彼の顔には、隠しようのない不快感が浮かんでいた。
「随分と詮索好きでいらっしゃるようですね、アルドラ嬢」
凍てつくような声だった。
「首を突っ込むなと申し上げたつもりでしたが、伝わりませんでしたか」
「あなたが秘密主義だというのは存じ上げております。ですが、こちらにも探る理由がありますので」
「理由?」
「ラズリの手首の痣です」
クラトの視線が僅かに揺れる。
ラズリの名前を出すと、彼の空気は明らかに変化した。それを利用するのを後ろめたいと感じないわけではないけれど、私も振り払われないよう必死だった。
「医務室で目を覚ました後、彼女の手首に奇妙な痣が残っていることに気づきました。最初は森で倒れた時にできたものかと思いましたが……いつまでも消えないのが気になって、アルドラ家の書庫で調べました」
「なぜ書庫に? 痣が気になるなら医者に診せるのが自然かと思いますが」
「子供の頃、に……見た記憶があったのです。よく遊び場にしていたので……」
咄嗟に問われて、歯切れの悪い返答になったかもしれない。内心うろたえたものの、クラトはそれ以上追及してこなかった。私の曖昧な返答よりも、ラズリの痣の話の方が重要だったのかもしれない。
私は一度呼吸を整えてから言葉を続けた。
「記憶通り、ある文献にラズリの痣に似た紋様が描かれていました。古の時代からこの地に存在する呪いについての書物です。呪いとは、人の嘆きや痛みが地中に溜まり、長い年月をかけて膨張したもの。やがて地面から噴き出して、国を滅ぼすほどの災いになると」
クラトは何も言わない。
わだかまる沈黙が落ちつかず、つい早口で話しそうになるのをぐっと堪える。
「……そして、救いをもたらす「器」についても言及されていました。手首に黒い蔓に似た印を持つ者。呪いを受け止める者……詳しい部分は傷みがひどく、すべては読めませんでしたが」
「それで?」
何の感情も窺われない声だった。
強い緊張感に、ざあざあと耳鳴りがする。
「痣が似ているというだけなら、考えすぎだと思ったでしょう。言い伝えを本気にするなんて馬鹿馬鹿しいと」
私は一度言葉を切った。
「ですが、私はこの森であなたを見ました。あの不吉な黒い靄と対峙するあなたを」




