第70話 県の向こう
県大会は、結果だけ見れば危なげなかった。
個人四百。
蓮は決勝へ。
黒瀬も当然みたいに残る。
招集所の前で、二人は自然に同じ列へ立つ。
「また来たな」
黒瀬が言う。
「そっちも」
「最後の年だな」
「そうだな」
余計なことは言わない。
去年までの距離では、もうない。
決勝。
「On your marks.」
「Set.」
鳴ってからホームへ戻るまで、黒瀬はやはり前にいた。
前半から崩れない。
腕が止まらない。
蓮は追う。
去年より近い。
明らかに近い。
でも、最後の一歩だけ届かない。
一着、黒瀬。
二着、朝倉蓮。
悔しい。
でも、差がはっきり見える場所まで来た悔しさだった。
レース後、黒瀬が短く言う。
「近くなったな」
「まだ遠い」
「遠いって分かる位置まで来てる」
蓮は少しだけ笑う。
「そうかもな」
県のマイル決勝は、その日の最後だった。
鳴海が前に出る。
一年が県の決勝で一走。
それだけでざわつきが起きる。
倉橋は静かに受ける。
去年より強い顔をしている。
取られた場所を、取られたままにしない走り。
問題は三走だった。
県の強豪校が、井坂のところで潰しに来る。
バックで並ばれる。
第三コーナーで肘が近い。
呼吸が崩れかける。
「井坂っ!」
西野が叫ぶ。
遥も、高梨も前へ出る。
女子マネたちも息を呑む。
井坂は苦しい顔のまま前を見る。
去年なら、ここで熱くなりすぎていた。
でも今は違う。
崩れない。
切らない。
バトンを出す。
蓮が受ける。
その瞬間、観客席が一段揺れた。
「今の、何だ……」
「一瞬、空気変わったぞ」
浅い。
まだ足りない。
でも、井坂がつないだ線が確かに蓮へ入った。
蓮はホームで一校かわす。
さらにもう一校へ迫る。
最後まで届ききらず、結果は二位。
それで十分だった。
南関へは余裕で届く。
だが輪の中で一番息を切らしていたのは井坂だった。
倉橋が言う。
「無茶したね」
「してねえよ」
「してる顔」
「気のせいだろ」
白石がそこへ給水を持ってくる。
「井坂先輩、顔こわ」
「うるせー」
「きゃー、こわーい」
牧田まで乗る。
井坂は露骨に嫌そうな顔をする。
それでも水はちゃんと受け取る。
蓮がその横で短く言った。
「次、戻り方も覚えろ」
井坂が顔を上げる。
「……何の話ですか」
「入ったろ。少し」
風が止まる。
井坂は何も言えなかった。
自分でもまだ、確信には届いていなかったからだ。




