第67話 渡さない二走
倉橋の二走は、一度失った場所だった。
怪我で外れた。
代わりに井坂が入った。
結果も出た。
それでも、倉橋の中では終わっていない。
競る相手は霧島だった。
一年のわりに受けがきれいで、四百の感覚がいい。
無駄がない。
雑誌や動画で見てきた世代らしく、最初から形を持っている。
「二走、やりたいです」
霧島が言う。
倉橋は穏やかに返した。
「うん、知ってる」
「競る場所ではありますよね」
「そうだね」
そこで倉橋は少しだけ笑った。
「でも、渡す気はない」
霧島の目が細くなる。
「取ります」
「いいよ。取れるなら」
練習は受け渡しから始まる。
鳴海の勢いを殺さず受ける。
膨らまない。
焦らない。
バックストレートで一度流れを整えて、三走へ熱を残す。
霧島は上手い。
教わったことをすぐ形にする。
一年でここまでできるのは、確かに強い。
でも倉橋には、失った側の重さがあった。
「もう一回」
誰より先にそう言う。
足が張っていても言う。
苦しくても、線を切らない。
井坂が呆れたように笑う。
「お前、静かなのに一番引かねえよな」
「井坂にだけは言われたくない」
「それはまあ、そう」
最後の一本。
鳴海から倉橋へ。
倉橋から井坂へ。
受けた瞬間、倉橋の肩が一度だけ沈む。
そのあと、前へ出た。
派手ではない。
でも、流れが死なない。
まるで、自分が失っていた時間ごと取り返すみたいだった。
「……今の」
霧島が小さく呟く。
倉橋は息を整えながら言った。
「代わりじゃない」
誰に向けた言葉でもない。
でも、輪の中の全員に届いた。
「戻るだけだよ。俺の二走に」
井坂が口元を上げる。
「言うじゃん」
「取られたままは嫌だから」
西野が選考表に印をつけた。
「二走、倉橋」
霧島は悔しそうに唇を噛んだ。
でも、目は死んでいない。
「次、抜きます」
倉橋がうなずく。
「うん。抜かれないから」
やわらかいのに、引かない。
その言い方に、一年たちが少し黙る。
蓮は小さく息を吐いた。
戻ってきたのだと思った。
怪我で一度離れた場所へ。
候補じゃなく、託される二走として。




